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GO! ララ、GO! (27)

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二十七 死中に活を求める

 出張を終えたハワードが上海に戻ると、アシスタントがさっそく分厚い書類の束を抱えてやってきた。全て彼のサインを待っていた清算書類である。ハワードは威海営業所の書類に目を止め、顔をしかめた。威海営業所の前四半期の売上は全国最下位、ろくな商売もできないのに事務費用は一人前に請求してくる。この営業所はハワードの悩みの種になっていた。威海営業所以外にも、他にも多くの営業所がノルマの達成度を考慮することなく経費を使って本部に請求してくる。必要経費を出すのはやぶさかではないが、せめてそれに見合う利益を出してくれ。利益の出ない営業所は閉めたほうがましだ。

 ハワードはピーターとレスターを呼び、営業所の統廃合について話し合うことにした。ハワードの現状説明によると、DBは中国内に三十か所近い営業所を有している。最も規模が小さい営業所はスタッフ十人程度で当該地域の業務をカバーしている。オフィスを使用するスタッフの大多数はファーストラインの営業マンであり、彼らは毎日ほとんど外回りをしていて、取引先が営業所を訪ねてくることもほぼない。オフィスは週一回の定例会議を開くだけの場所となっているが、会議だけなら社外の会場を借りることも可能だ。我が社では何かと言えばすぐに営業所を設置するが、その必要はあるだろうか。

 ピーターは生まれながらの経理マンである。どの部門が経費を請求しても彼は自らの肉を削がれるような反応を示す。たとえ明らかに必要経費だと分かっていても、さらに彼の手中に潤沢な予算があったとしても、あるいは会社のポリシーに合致していても、彼はきまって各種の分析レポートを提出させる。だが提出させたレポートをすぐに見ようともせず、良いと悪いとも言わないどころか、さらにあれこれと質問し、最後にはより詳細に分析したレポートを出すように要求するのが常であった。彼の要求を満たすレポートを作成するのは財務の素人にとっては極めて苦痛な作業である。様々な専門的な分析を行い、非の打ち所がない段階になってようやく経費が下りる。これにはゆうに三か月を要する。ピーターからあっさり金がもらえるなんて思わない方がいい。彼は偶然にもユダヤ人の末裔だったので、裏では社員たちから「ゴリオ」と呼ばれていた。あだ名の由来はバルザックが描いた「ゴリオ爺さん」、つまり守銭奴という意味だ。誰かがゴリオにcost saving(支出削減)の話をすれば、彼はたちまち目を輝かせ満面の笑顔で、両手どころかできることなら両足まで挙げて賛成しようとする。まことに愛すべき守銭奴である。

 もし一部の営業所をクローズできれば、少なくとも家賃、水道光熱費、不動産関連費用などをまるまる節約でき、パソコン、コピー機、プリンター、オフィス家具、什器設備など一連の固定資産も不要となる。また、スタッフ全員がHOME BASE(自宅兼オフィス)勤務となれば、受付事務員を残しておく必要もなく、その分の人件費を営業チームにまわすことができる。ピーターは話を聞いただけでワクワクした。経費節減が可能だ! 彼は一も二もなくハワードの意見に同調した。
 レスターも賛意を表明した。各営業所にはフルタイムの総務担当スタッフが配属されず、各所長も行政関連の事務には不慣れである。そのため商業登記や税務関連の書類も乱雑に扱われ、営業許可の延長届を忘れて罰金を課せられることも珍しくない。所長交代時に行政関連事務の引き継ぎを怠った結果、後任者は商業登記書を一度も見たことがないという事態まで起こっていた。さらに、社印の管理も問題になっている。営業所長が社印をでたらめに押して会社に迷惑をかけ、姿を消したことがあったのだ。そこでレスターは主に会社のリスクを避ける立場で一部営業所のクローズに賛同した。

 生産性の上がらない営業所をクローズする方向で三人の意見がまとまった。次なる議題は、どの営業所を、どのような手順で閉めるか、閉鎖後にどのような問題が起こるか、問題をいかに解決するか、そもそも誰がこのプロジェクトのリーダーになるか、である。
 誰から見ても労多く見返りの少ない仕事だ。営業チームは既得権益を守ろうとし、本部長たちは自分の管轄内にある営業所の閉鎖に反対するだろう。今後の取引も営業所に頼らざるをえないのに彼らをどう説得すればいいのか。

この決断が複数の部門を巻き込み、各地のスタッフに影響を与えることは誰の目にも明らかだ。DBのような非常に大きな組織でこのプロジェクトを実施するとなるとプロジェクト・リーダーを五~六か月はこの仕事に貼りつけなければならず、むしろそれで完了すれば早いほうだ。
 ピーターはすぐにレスターにこの仕事を押し付けようとした。彼は口から出まかせに三つの理由を並べた。
「レスター、役所に提出する各種の許可申請は君の部署が各営業所との連携を受け持っている。社印の取り扱いもしかりだ。また君たち人事はスタッフ管理も担当していて各営業所長とも顔見知りだから話がしやすいだろう。お宅が仕切ったほうがいい」。
 古狸のレスターは当然このhot potato(厄介な仕事)を引き受けるのは遠慮したいと思った。「ゴリオ」君に公然と楯突くわけにはいかないが、彼は別に財務担当副社長を恐れてもいないし、さらに営業を統括する本部長でもない。DBで最も大きな顔をしているのは営業部とマーケティング部で、彼らは会社のために金儲けをしている自負から社内でも肩で風を切って歩いている。しかしその彼らもピーター財務大臣の前では借りてきた猫のように大人しくなる。一方、人事予算は透明性が高く変動の余地がないし、レスターも「ゴリオ」に管理される部下ではない。レスターは落ち着いた調子で話し出した。

「どこの営業所を閉鎖してどこを閉鎖しないか、明確に線引きする必要がありますね。そうでないと営業が反発するでしょう。どこで線引きするかを決めるには過去のデータまで掘り起こして検討しなければなりません。営業所の統廃合が進めば様々な変化があることが容易に予測されます。経費が最もわかりやすい部分ですが、どの程度まで経費削減が可能か、新たに予算配分が必要な経費にはどのようなものがあるか。例えば貸し会議室をレンタルするなら、各地域に予算を割り当てることになりますが、どれくらいのレンタル料金が必要か先に話し合って決めておくほうがいいでしょう。多く与えれば会社は損をするし、足りなければ営業のやる気を損ないます。営業の部門長の協力を仰ぐには最も適切なバランスで予算をコントロールすべきです。財務は各種データをもっとも明確に把握していますし、各項目の予算管理はGL(general ledger、総勘定元帳)で、固定資産はTreasurer(財務責任者)が担当しています。財務から部長か副本部長を指名して担当させるのが適切だと思われます」。

 この二人はその後数回行われたミーティングにおいてもそれぞれ相手チームがプロジェクトを担当すべきだとの主張に終始した。ピーターは十分に言葉を尽くして見解を述べたつもりだったが、レスターは決して屈服しようとせず、苛立ったピーターに睨まれ威圧されても、顔色一つ変えずその視線にfight back(反撃)し睨み返した。
 ハワードはそろそろ自分が話をまとめる頃合いだと思った。この仕事を最もうまく遂行できるのは誰だろうか。彼にとってこのプロジェクトを実施する目的は支出削減や行政関連事務のリスク回避より、むしろ営業部に売上高というプレッシャーをかけることであった。
 ピーターの下にいる副本部長は能力も経験も申し分ない。プロジェクト・リーダーにはもってこいだ。レスターの部下はララだったな。
 実はハワードが営業所問題を提起したのは今回が初めてというわけではない。以前にも専任者を指名して試行したことがある。しかし、営業所を管轄する各部門長のニーズに対する理解が不十分で、多くの具体的な問題に適切な解決策を見いだせず、そのために営業部から大きな反発を招くことになった。結局最後にはうやむやに終わってしまったのだった。 ハワードは、この件を成功させるには、頭脳明晰で部門間の利益調整を積極的かつ主体的に行うことができ、細々とした具体的な問題解決に誠意を以て取り組み最適なソリューションを探し出すことができる人材が必要だと考えた。積極的かつ主体的に働き地に足のついた仕事をする者と言えば、ララこそ彼が社内で最も高く評価している社員である。さらに、ララは昇進したばかりなので全社的なマネージメントについてしっかりと学んでもらいたいとの配慮もあった。彼女がこのプロジェクトを一通り経験すれば会社の中核を担う営業部の仕組みを理解できる。これは彼女にとっては非常によい機会である。また、彼女はこの業務を通して財務、仕入、営業、マーケティングなど他の主要各部門の管理運営に関する知識も得られるだろう。

 ハワードが腹を決めてレスターに「この件はララに任せたいと思う」と言うとピーターもすぐに同調した。
「それはいい。ララは仕事が早くて信頼できるし、コミュニケーション能力もある。彼女なら営業も賛成するに決まっている」。
 ハワードが意見を表明したら、レスターには反論する勇気はない。なにしろ彼は自分のボスで、財務VPのピーターとはわけが違う。レスターの社内評価はハワードの胸一つで決まるからだ。レスターはそれでも最後の抵抗を試みた。

「ウェンホアが辞めて後任がまだ決まっていません。それにララに任せている採用業務の負担も大きく、部下の課長たちも入社したばかりです」。
 ハワードは確かにそうだと思い、少し考え込んでからレスターに言った。
「新たな仕事をさせるときには必要なリソースも提供すべきだな。ではこうしよう。まずララ自身の意向を確認してくれ」。
 ピーターは慌てた。レスターからララに話をすれば、ララは結局レスターの意見に同調してしまうに違いない。彼は急いで提案した。
「今ちょうどララが上海にいるはずだから、ここに呼んできてはどうでしょう。彼女の意向を直接聞いてみましょう」。
 ハワードは、「それもいいだろう」と微笑んだ。

レスターが「じっくりとよく考えてから決断しなさい」と助言したにもかかわらず、ララはこのプロジェクトの重要性を考えもせず、ただハワードの自分にこの仕事を任せたいという意向だけを受け止めて、何のためらいもなく引き受けた。ピーターは内心小躍りしてララの肩を叩きたい気持ちだった。しかし彼は堅物で内気な性格から女性社員の肩を叩いたことがなかったので、手は中途半端に空中に上がったまま止まっていた。ハワードはララに「各部門からどんなデータを提供させる必要があるかを整理して提出するように」と命じて彼女を自席に戻らせた。

 レスターは心の中で頭を横に振った――まだまだひよっこだな。事の重大さが分かっていない。これは自分をひけらかすチャンスなどではないんだ。この仕事がどれほど営業の怒りを買うか。営業は手ごわいぞ、やつらは虎でハワード社長はライオンだ。ララ、君は虎とライオンの間で板挟みに合い死中に活を求めることになるんだ。

 ララはこの任務が決して容易いものではないことも、直属の上司であるレスターが消極的であることもわかっていた。しかし彼女はすでに結論を出してしまったのだ。レスターの意向に従っても昇進や昇給が望めるとは限らないし、従わなくても不利な立場になるとは限らない。しかしハワードは違う。自ら望んで引き受けた仕事であっても、あるいはそうでなくとも、彼女はやはりハワードの期待に応えることを優先した。

 事はここまできてしまった
レスターは誰を非難することもできない。部下が彼の意向を最優先しなかったそもそもの原因は彼自身にあるからだ。このご時世、社長が部下に「君が会社に何を要求できるかは、君が会社に何を貢献できるか次第だ」と言うだけでなく、部下も「自分は何をすれば会社から何を得られるのか」と問い返す。信望と権力は結びついている。power(権力)がなければ、admiration(信望)もない。

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GO! ララ、GO! (26)

 

 二十六 上司と部下の相性

ウェンホアの退職が決まってから、北京オフィスではララの部下となる総務課長を募集することになった。折よく北京出張中であったレスターが応募者二人の面接を行い、どちらも検討に値すると考えてすぐにララを北京に呼んで一人を選ばせることにした。

 ララは二人のレジュメを見てレスターに尋ねた。

「この二人にはそれぞれどんな長所がありますか。どちらが我が社にふさわしいでしょう」。 

「君の判断に影響するとよくないから意見は控えておくよ。まずこの二人に会ってみてくれ。話はそれからだ」。 

 一人目はやや覇気に欠け、間延びした話し方をした。返答も反応もピントがずれていて、欲しい人材とは思えない。二人目はジョウ・リャンという三十過ぎの男性で、顔つきからして頭がきれそうに見えた。言葉遣いや立ち居振舞いも礼儀正しく、謙虚さのうちにプライドの高さを秘めた北京の若者に特有の雰囲気がある。レジュメを見ると、最初はICIで人事課長まで務め、現在は無名のインド系IT企業で人事部長として勤務している。

 ララはまず志望動機を尋ねた。

「なぜこのポストに応募しようと思ったんですか?」 

 ジョウ・リャンは、人事部長になりたくて年初に今のIT企業に転職したのだがどうしても企業文化に馴染めないので、と正直に答えた。現在の会社に融け込めないせいで気が滅入ってしまい、最終的な結論として自分は中小企業で上に行くよりも専門性のある大企業で課長として地道に働きたいと考えるに至ったのだと説明した。

 ララはそれもいいかもしれないと思った。今まで苦労してきたぶん次の仕事を大切にするだろう。期待が大きすぎると失望も大きくなるが、その心配もない。ララはさらに質問を続け、採用および総務で八年間の業務経験があることも聞き出した。これはまさにララが求めていたものだった。ララが特に気に入ったのはジョウ・リャンの筋の通った話し方である。彼女は少し考えてからこう尋ねた。

「自分をせっかちだと思いますか、それとも気が長いほうですか」。

「どちらかと言えば、せっかちですね。」

ララはこの答えに満足した。彼女の部署は多忙な時期にあり、せっかちな人間でないとテキパキと仕事をこなすことができない。彼女はその場で彼を採用することに決めた。

 そしてすぐにレスターに電話をかけ、ボスの意見を聞く前に自分が採用決定に至った経緯を一通り説明した。レスターは本音ではもう一人のほうがふさわしいと思っていたが、ララ自身がジョウ・リャンを選ぶと言う以上、彼女の決定にあまり口出ししたくなかった。
 彼はジョウ・リャンと面接したときのことを思い出した。表面的には謙虚で礼儀正しいが、かなりプライドが高い印象を受けたし、採用業務の経験が八年もあるため、ララは彼を管理しにくい恐れもある。レスターはやはりララに忠告しておいたほうがよいと思い、遠回しに言った。

「北京オフィスにはかなり個性的な部長が何人かいるが、ジョウ・リャンがこれから彼らと一緒に仕事をするうえで支障が出る可能性があるとは思わないかね」。

「過去にそういう問題に対処した経験があるか聞いてみたのですが、かなり世渡り上手な人だと感じました。また、最近キャリア形成に挫折してしまったようなので慎重になっているはずです。たぶん問題ないと思います」。 

レスターは、この人選は理想的とは言えないまでも、さほど大きな問題は起こらないだろうと考えた。それに何といっても今後はララの部下になるのだから、直属の上司である彼女の目に適うことがより重要だ。一歩譲って言えば、今回の結果があまり理想的でなかったとしても、ララ自身に実際の採用を経験させてこそ、彼女の成長を促すことができる。レスターは腹を決めて、ララに尋ねた。

「彼にはいくら給料を出すつもりかね?」。

「本人は七〇〇〇元を希望していますが、私は七二〇〇元にして彼の満足度を上げたい思っています。最初から好印象を与えれば、安心して仕事に打ち込んでもらえます」。 

「問題ないだろう。ワン・ホンに連絡して、彼がOKしたらすぐにOFFER(採用通知書)を出そう」。

 DBは速やかにジョウ・リャンにOFFERを出した。彼は提示された給与が自分の希望よりも少し高いことを知るとやはり嬉しさを感じ、すぐにララに電話をかけて指定された着任日には必ずDBに出社すると伝えた。ララは彼が給料の件で自分に礼を言うだろうと思っていたが、彼は最後までそれについては触れなかった。

 上海オフィスでもこの数か月ずっと総務課長を募集している。ララは二百通以上のレジュメに目を通したせいで、却って誰を選べばいいのか分からなくなってしまっていた。レスターは、ララは自分の仕事だけで相当疲れているのに課長一人の募集にそんなに時間をかけるべきではない、決めるべき時には決めなさい、とアドバイスした。そして、彼女のために優秀な人材を見つけてきたので会ってみないかと提案した。

 二十七、八歳の上海女性、肌が透き通るように白く血管や骨まで透けて見えるようだ。痩せていて、座っていても一七〇センチメートルほどの長身であることが分かる。一般的に上海女性はファッションに敏感だが、彼女は何とも複雑な服装で面接に臨んだ。丈の長い服と短い服を幾重にも重ね着し、面接に来たのにつま先の皮がめくれた革靴を履いている。がっしりした太いヒールのついたその靴は上海の街中を探しても買えそうにないデザインだ。無造作に結わえたポニーテールの髪は非常に長く、下ろしたら腰のあたりまで来そうだが、ろくに手入れをしていないようで頭頂部はボサボサしていた。ヴィッキー・チャオと同じくらい大きな眼でララを見つめている。普通の応募者のような遠慮がちな様子はなく、ただクールにそこに座ってじっとしていた。ララが笑顔で挨拶をするとようやく返事をしたが、顔は少しも笑っていなかった。

ララは一目で気に入らないと思った。彼女は自分に対して全く敬意を払っていないようだ。さらに彼女の服装もララの目には奇妙に映った。ララは彼女に好感を持てなかった。面接中は表向きでは礼儀正しく答えていたが、彼女からの質問はどれもひねくれていて悪意が感じられた。

 ララは最初に彼女が現在いる会社の社員数とオフィス面積、自分の部屋を持っている社員数を尋ね、さらに十分ほど一般的な質問をした。

その後、ララは急に話題を変え不意を突いた。

「会社で使っている交換機の型番は分かりますか?」

 普通は交換機のメーカー名は知っていても型番まで答えられる人間はめったにいない。ララはこの質問で彼女が交換機にどれほど詳しいか判断しようと思った。その女性は顔色ひとつ変えず、クールに答えた。

「NEC7400」。

 ララはさらに「キャビネットは何台ですか、また、アナログ基盤とデジタル基盤はそれぞれいくつ?」と質問した。女性は簡潔明瞭に一つ一つの数字を挙げた。ララが頭の中でざっと計算してみると、彼女が最初に述べた社員数や管理職の割合と合致している。

 ララはわざと面接の最初で社員数と面積について質問し、その回答を基本情報として憶えておき、次に無関係な質問をはさんだ。彼女に最後の質問に対する答えが関連数字と合致すべきだと気づかせないためである。たとえ専門知識があっても、自ら業務を管理していなかったり、社内状況を整然と把握していなかったり、業務内容に詳しくなかったりすれば、その回答は破綻しやすくなる。しかしこの女性は明らかに業務に精通しており反応も早い。

 ララはさらにコピー機の型番と台数について質問した。女性の回答は常に簡潔で、この質問に対してはこんなばかげた質問に答える価値などないとでも言いたげに口をわずかに尖らせた。ララは彼女の表情に気づかないふりをして、怒りをおさえながら次の質問をした。

「あなたの部署では毎年予算案を作成しているようですが、あなたもその仕事に関わっていますか?」

「私は現在の会社に三年間勤めていますが、そのうちの二年間は予算案作成の責任を負っていました」。

応募者がこの点に並々ならぬ自信を示したからには、ララは一般的な面接スキルを使って彼女を褒めるしかなかった。

「上司から信頼されているようですね。きっとお仕事がおできになるんでしょう」。

 女性はにこりともせずに言った。

「私は本部長に満足していただける仕事ができるのですから、信頼されて当然です」。

 ララは心の中で――あなた、面接に来ているんじゃないの? 何なのその態度は!――と呟きながらも微笑みをたやさずに質問を続けた。

「今年の予算案を作成したとき、コピー機の維持費と消耗品への予算配分はどの程度にしましたか?」

 女性はこう指摘した。

「その質問は実質的には先ほどの質問と同じです。消耗品の予算配分は消耗品のおよその単価だけでなく社員数にも関係します。またコピー機の台数は社員数によって変わります。そして維持費の予算は機器の使用年数と密接な相関関係があります。私の会社にはキヤノンのコピー機が六台あり、使用年数一年が二台、二年が二台、三年が二台となっています。これはまだ質問されていないのですが、おそらく次の質問はこれですよね」。

 そして彼女はあっさりと数字を挙げ、一点の不足もない完璧な回答をした。ララは問うべきこともなくなり、逆に彼女から質問の問題点を指摘されて狼狽えた。

ララは心を落ち着かせ、リフォームに関する重要な質問をいくつか続けたが、女性の回答は常に完璧で、最後にはこのように言い放った。

「大規模リフォームプロジェクトの経験がない総務は大企業の専門職とは言えません。総務部のごく初歩的な業務です」。

 彼女の専門知識は疑いようがない、総務の専門業務についてこれ以上質問する必要はない。ララは質問を変え、彼女に彼女自身の人間関係についての評価を尋ねた。ララは内心では、こういう人は人間関係を上手く処理できるわけはないと思い込んでいたので、彼女自身の評価を知りたかった。

 女性は落ち着いた様子で言った。

「人間関係がどのようであれば良いと言えるか、それは企業文化によって異なるでしょう。例えば、今の会社の企業文化は非常にアグレッシブで、周りと協力できさえすれば人間関係において高い評価を得られます。私は先ほど現在の職場でリフォームプロジェクトを担当したと話しましたが、こうしたプロジェクトでは各部門と総務部の連携が不可欠です。私はプロジェクトを順調に進めることができました。だからこそ、先ほどのリフォームに関する質問に対して適切に回答できました。さらにプロジェクトが成功したことで私が社内で効果的な人間関係を築いていることを証明できます」。

 屁理屈なのか道理があるかはさておき、ララはこれを聞いて思わず感心した。この若さでこんなに筋の通った話し方ができるとは、少なくとも頭の回転の速さは申し分ない。彼女はさらに質問した。

「確かに会社が違えば企業文化も違いますね。今あなたが働いているのは欧州企業ですが、DBは典型的な米国企業です。現在のアグレッシブな企業文化のもとで良好な人間関係を築くことができたからといって、DBでも上手くやっていけると証明できますか?」

 女性はララのロジックを訂正した。

「そうなると人間関係の問題ではなくて適応能力の問題になってしまいます。一つ例を挙げて私の適応能力を証明します……」。

 一時間におよんだ面接で、ララは彼女の回答に何ひとつ問題点をみつけることができなかった。彼女はおそらくこの数か月面接してきた応募者の中で総務部の専門業務について最も熟知している人材だ。彼女はララを不快にさせたが、その不快さの原因はレスターに報告し検討すべき問題点のうちには入らない。

 ララは彼女に会社規定の数学ロジック問題を解かせてみようと思いついた。結果はかなりの高得点で、このテスト結果だけから見ても彼女がララよりもずっと反応が速いことがわかる。ララはいささかプレッシャーを感じた。

 ララはレスターの部屋を訪ねたが、どう話を切り出すべきかわからなかった。自分の指示に従わなくなることが心配だから彼女が気に入らないとは言いにくい。結局、遠まわしに彼女の人間関係が少し気にかかる、今後各部門と良好な関係が築けるかどうか心配だ、とだけレスターに告げた。ララはそう言いながら、応募者と直属の上司の相性についてウェンホアがレクチャーしてくれたときのことを思い出した。昇進したばかりの部長は自分が部下を管理できるかどうかを気にしすぎて、大人しく言うことを聞きそうな部下に好意的になりがちだという。ララは思わず後ろめたい気持になった。

 レスターは面接中にその応募者の人間関係に問題があると思った具体的な事例があったのかと尋ねたが、彼女は答えることができなかった。レスターはララを説得した。

「この女性はとても聡明で、ポテンシャルが高く、専門業務の経験も豊富だ。不確定要素もあるかもしれないが、このポストは求人を開始してからもう数か月になる。そろそろ決めるべきじゃないかな。いずれにせよ、三か月の試用期間があるから、本当にダメなら辞めさせるのは簡単だよ」。

 ララは最後の言葉を聞いてうなずくしかなかった。

 その女性の名はパメラという。パメラが上海オフィスに総務課長として赴任すると、部下のマギーたちは彼女から受けるひどいパワハラに悩まされることになった。マギーはもともと強情な性格で最初こそ果敢に抵抗したが、パメラは何枚も上手だった。彼女はマギーに毎朝出勤直後にその日の業務予定を書き出して提出するよう命じ、退勤前にはその業務予定の進捗状況を報告させた。パメラが問題ないと判断するまで部下たちは帰ることができない。

 パメラはゴールデンウィークの三日前になって急にマギーに倉庫整理の仕事を与え、休日出勤するよう命じた。マギーは連休の旅行を手配済みだったので休日出勤に応じようとしなかった。パメラは落ち着きはらって言った。

「問題ないわ。連休前に終われば休日出勤しなくて済む。でも終わらなかったら休日出勤。あなた次第よ」。

 マギーは目の前が暗くなるほど腹が立った。倉庫は大きく、多くの部門と共有している。整理するには各部門のアシスタントと倉庫内の物資を一つ一つ棚卸ししなければならないし、倉庫管理会社の協力も必要だ。休日出勤せずにこの仕事を終わらせるのは絶対に不可能だ。

 マギーはパメラに反論した。

「たとえ私が休日出勤しても、他部門のアシスタントも休日出勤なんかしませんよ。彼女たちが来なかったらどうやって他部門の物資を移動させるんですか。何か紛失したりしたら面倒なことになりますよ」。 

 パメラはひねくれた物言いをした。

「連休前の三日間で各部門のアシスタントと協力して先に棚卸ししておけばいい。棚卸しリストにサインをもらっておけば、連休中はそのリストをもとに整理できる。なぜその場に全員いる必要があるのよ」。

 マギーは怒りを抑えながら言った。

「倉庫のスペースがなくなってしまったわけでもないのに、なぜそんなに急いで整理しなければいけないんですか。なぜそんなに早く終わらせなければいけないんですか」。

 パメラは手の中のペンをゆっくりと弄びながら言った。

「本当に急ぐの。私が決めたことをいちいちあなたに説明する必要なんてない」。

 マギーは胸にやりきれない思い抱えつつ怒りを抑えてデスクに戻った。

 ちょうどその時、ララは上海に来ていた。パメラに会議の備品を用意するように言うと、パメラはその備品はないと答えた。

「どうしてないと分かるの?」

「マギーからそう聞きました」。

 ララはおかしいと思った。これらの備品は先月も先々月も確認したばかりだ。マギーはどこに保管しているか知っているはずなのに、どうして簡単にないと言ったのだろうか。

「もう一度彼女に聞いてみて」。

パメラは走って聞きに行き、帰ってきて言った。

「やはりないようです」。

 ララは腹立たし気に言った。

「ミーティングをしましょう。マギーを呼んで」。

 全員がそろうと、ララはいきなりマギーに尋ねた。

「うちの部門がどんな備品を所有しているか知らないの?」

マギーは泣きそうな顔で「知っています」と答えた。

 ララは「それならなぜ上司に備品はないなんて言ったの?」と厳しく問い詰めた。マギーは顔をあげ強い口調で言った。

「私、連休には旅行に行く予定だったんです。それなのに、何の予告もなく突然連休中も出勤するようにって言われました。嫌だというと連休前に終わらせろと命令されました。あれだけの仕事、徹夜したって終わらない! 連休前に終わらせなきゃいけないような仕事でもないのに! これはイジメよ!」

ララは怪訝そうな顔で「どんな仕事?」と尋ねた。パメラはまずいことになったというような表情をした。もともと色白の顔がさらに青ざめている。マギーは堰を切ったように倉庫整理の件を洗いざらいぶちまけた。ララは事の成り行きを知り、パメラに対して強い怒りを覚えたが、感情を抑えてマギーに言った。

「仕事の指示に不服ならそう言えばいいの。別の仕事で仕返ししたりしないで。先に席に戻ってなさい」。

 マギーを帰してから、ララはパメラに言った。

「その仕事、あなたなら三日でできるの?」

パメラはばつが悪そうに首を横に振った。ララは語気を強めた。

「あなたにできないなら、彼女もできないでしょ。そんな仕事を故意にやらせようとする理由は何なの。もし本当に休日出勤が必要ならもっと早く彼女に話すべきだし、それに、その仕事をどうして連休中に終わらせなきゃいけないのか私にも分からない」。

 パメラは詭弁を弄した。

「マギーの勤務態度が悪かったので、改めさせようとしたんです」。

「彼女の態度が問題なら、その件について指導してちょうだい。嫌がらせなんかしないで」。

 パメラが立ち上がると一七〇センチの長身のせいでララがひどく小柄に見えた。彼女は曖昧な表情でララの目を見ながら言った。

「ララ、私にはあなたの支持が必要なんです。あなたは私の上司でしょ、上司の支持が得られなかったら、どうして仕事を続けられますか?」。

ララはパメラが責任を転嫁しようとしているのだと感じ、ムラムラと怒りが沸き上がった。そして、彼女も淡々と返した。

「あなたの仕事はもちろん応援してる。でも部下にパワラするのは我が社の企業文化では許されない。どの社員に対しても公平な態度で接し、相手を尊重しなければいけない」。

 パメラは不機嫌になり、ララも面白くなかった。

 二人は話題を変え、パメラの仕事の進捗状況をチェックし始めた。すると、彼女は部下をいじめるのに熱心なあまり、自分自身の仕事が疎かになっていることが露呈した。ララはパメラを解雇することになるかもしれないと思ったが、まず彼女にこう言った。

「それでは、あなたはここに来て一か月になるから、一緒に一か月目の総括をしましょうか」。

 ララはノートパソコンを起動し、パメラが入社した直後に彼女にアサインしたタスクを画面に表示した。このファイルはララが社内メールでパメラに送ったものである。一覧表を見ながら未達成タスクを一つ一つ数え上げたのでパメラには返す言葉がなかった。ララはその場で備忘録を作成して最初のメールのリプライとしてパメラのアドレスに送ると同時にCCで自分の上司であるレスターにも送信した。

 

 パメラはこの世界で最もIQが高いグループに属しているので、ララがすべての話し合いを書面の形式で保存し、しかもCCでレスターにもメールを送っていることに気づくと、ララが自分を適当な時期を見計らって試用期間中に解雇するつもりなのだと悟った。彼女は目を見開いてパソコンの画面を一心に見つめた。そして調子を合わせるような口調で二か月目からは心を入れ替えて頑張ることを約束した。

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GO! ララ、GO! (25)

 

二十五 なぜ部下に逃げられるのか 

 レスターはウェンホアを呼びつけて、「ララの自己評価レポートに部長クラスの採用何度か関わったと書いてあったが、彼女にはまだ早すぎるんじゃないかな彼女は君と違って人事業務について日が浅い。確かに聡明でよく気がつくが何といってもまだ新人だと注意した 

 ウェンホアが黙ったままなのレスターはさらに話をつづけた 

「部長採用はやはり君に任せたい。ララがその場にいても構わないせいぜい君のやり方を傍で見て勉強する程度とどめてくれ。彼女が応募者にインタビューするなどということはないようにね。でないと配属先の門から文句がでるだろうから

 ウェンホアはレスターの
警告が何を意味するか理解した。はウェンホアとララでは社内の位置づけが違うと指摘することで暗に自分を認めていることを伝えている。彼は笑いながら言った。 

「ララは優秀でしっかりした社員です。大丈夫ですよ彼女はよく立場をわきまえて自分の言うべきことすべきことを知っています部門長からも好かれています 

それならよかった君がララをよく教育しサポートしてくれていることは、ララの自己評価書報告を見てわかよ」。 


 ララの
自己評価報告聞き、ウェンホアは堪えきれずに噴き出した 

「ララは私の指導に全く満足していませんよ。彼女あれを書いた目的は私にもっと教えろと要求するためです」。 

レスターも笑った。 

うん。それにワン・ホンにプレッシャーを与えるためでもある」。 


 
二人がひとしきりいあった後に、レスターはウェンホアにジョージCEO訪中後、取締役会は中国への投資拡大戦略を可決したことについて話した――新たな業務拡大プランは基本的にアジア太平洋地域本部の同意を得ており、“Focus China”(フォーカス・チャイナと名付けられている現在、アジア太平洋地域本部がこのプランに詳細な検討と修正を行っている最中で、正式に承認されれば社内組織の変更が行われる。人事もそれに呼応してすぐにも新組織に対応する採用計画を練らなければならない―― 

 

 ウェンホアはレスター彼に示した組織図を仔細に、これから採用チーム課せられる業務量が大幅に増加することを知った。ララに任せたファーストラインの営業マン採用を除き、ウェンホアは本部で重要ポストの採用を何件もやり遂げなくてはならない。難しい仕事になるだろう。道理でレスター自分に対して友好的な態度をとるはずだ。ウェンホアは事態を理解し、瞳に光を宿らせてうなずいた 


 
レスターはウェンホアが音をあげるのではないかと心配していたが、そうでもない様子を見て内心ほっとした地方営業所の採用は誰もが有能さを認める頑固者ララがい――と言っても、この数か月間ララの「頑固というイメージは覆されたのだが、しかし気分が高揚する以前の印象が自然と浮かララをひそかに「頑固者」と呼ぶほうがしっくりきた――。そして本部には「策士ェンホアがいるレスターは今年の人事採用という難題うまくいくことを確信した 


 
その日レスターは数人の部長と会議を開き「フォーカス・チャイナプラン草案について説明し、各自の任務について心の準備させた。翌日、ウェンホアの妻が夫は急性胃腸炎で休む会社に電話をしてきた。レスターはローズとララの仮病を経験していたので病欠と聞くと警戒する。ウェンホアも仮病なのでは、という不吉な予感がした。 


 
数日後、ウェンホアは完治したと言って元気そうなで出勤した。そして、オフィスに入るとレスターの部屋に直行して辞表を提出した。レスターはこの一年あまり部長たちにこういったやり方で弄ばれることに慣れてしまっていた。ウェンホアが病欠した数日彼はローズの退職までの経緯再び思い出してみた。彼にとってウェンホアの辞職基本的には余計な心配の種にはならずにすんだとにもかくにもウェンホアは男性部長だ。妊娠流産だのと嘘をつけない。むしろあっさりしていて気持ちがいい、レスターは自分を慰めた。 


 
それを聞いてララはすぐにレスターのところにやって来た。 

「ボス、ウェンホアの部下でいちばん仕事ができるのはジェイソンです。今すぐにでもジェイソンをシニアに昇進させましょう。給料も上げてやりましょう。そうしないと、彼が今辞めてしまったら大変なことになりますよ」。  

 レスターはうなずいた。 

「ああ、すぐにジェイソンとをしよう絶対に彼を慰留しないと」。 


 
その晩、ジェイソンが風呂から上がると妻が「いまウェンホアから電話が来たけど」と言った。ジェイソンはあ」だけ返事をして特に何も言わなかった不思議そうに「何の話だったのかしら」と言うと、ジェイソンは何の話って、仕事を紹介したいんだろと答えた妻は思わず真剣になりあなた、転職したいの?」と聞いた。ジェイソンは冷ややかに言った。 

「今日レスターからがあった。シニアスタッフして給料も上げてやるって」。  

「それでどうするつもり?」  

とっくにシニアになっていてもおかしくなかった。レスター昇進させてもらわなくても上海でその程度のポストに転職するのは難しくない。給料がいくらるか次第だな」。 

 妻は心配そうに言った。 

みんなウェンホア部長策士だと言ってる気を付けたほうがいいわ」。 

「ウェンホアはDBを辞めることになった。今日すでに辞表を提出したそうだ僕もここまでやってきたんだから怖いものはないよ。僕に不渡り手形を出そうとしても無駄だ今よりいいポスト、今より高い給料。それしかない。毎月住宅ローン返済ために給料日待っている身なんだから 

 妻は夫の言葉にき、それから聞いた。 

「レスターは給料をいくら上げてくれるって?」 

 ジェイソンは嘲笑するように言った。 

「金の話になると服の中にノミでもいるようにもじもじして、ああでもないこうでもないと長話をするが、具体的な数字気持ちよく出してこない。給料がいくら上がるかなんてわからない。いずれにせよ、しばらく待っていれば数日中には辞令がられてくるだろう。今回は少なくとも二千元は上げてもらわないと。総額で八千元に満たないならおさらばだ」。 

「じゃあ、もし本当に八千元になったら?」 

ジェイソンは少し沈黙てから言った 

「もう前みたいにがむしゃらに働きたくない。頑張れば頑張るほどレスターから見くびられる。ウェンホアが用意してくれるポスト比較してから考えるよ」。 

「ウェンホア辞めあなたまで去ったらレスターの身はどうなるの? 

 ジェイソンは怒りをこめて言った。 

「彼はボスとしてこれまで僕にどんな仕打ちをしてきた? あいつだって内心ではわかっているはずだ、遅かれ早かれ僕も辞職するだろうって 


 
辞令がジェイソンの手元に届き、開いてみるとそこには「昇給五〇〇元」と書かれていた。彼は無造作にその紙片をシュレッダーにかけた。 


 
ララがレスターに「ジェイソンはどうでした?」と確認すると、レスターは自ありげに「ジェイソンはニコニコしていたが何も言わなかった。大丈夫だろうと答えたララは以前からレスター昇給には極めて気前が悪いことを知っていたので、ジェイソンの給料をいくら上げたか知りたくてたまらなかったが、とうとうくことができなかった。 


 
ひと月もたたないうちウェンホアがDBを去り、ジェイソン慌てず騒がず辞表を提出しウェンホアの後を追って退職したレスターウェンホアの仕事を二つに分け半分ララに任せ、残りの半分ワン・ホンに割り振る以外になす術がなかった。ワン・ホンは給与と福利厚生しかやってこなかったのでいきなり採用業務担当させられても時間ばかりかかって結果を出せず、レスター自ら一部を引き受けざるを得なかった。 

 本部のER(Employee Relationship 人事関係問題が起きてもワン・ホンこうした業務が苦手で彼に任せることはできない。無理に従業員と話し合せると最後に喧嘩になってしまう始末であった。レスターはワン・ホンにER処理させるのは得策ではない、彼にやらせると問題がこじれるだけだと気づき自らこの種の仕事を一手に引き受け、そのせいで血圧まで上がってしまった 


 
レスターはヘッドハンティング会社部長の候補者探しを急ぐよう催促し、少なからぬレジュメを見て人選を進めていたがいずれもウェンホアに比べると見劣りがし、決めかねているうちに四か月あまり過ぎた。ラは激務に耐えながらも、精神的には特に問題なく、ワン・ホン口では何も言わな明らかに疲弊している様子だった。もともとレスターの性格からすれば部長を一人選ぶのに半年かけるのは珍しことではない。しかし今回は自身も仕事を分担させられて参っていたし、ワン・ホンが不満を持つのを恐れて目をつぶって適当に二人ほど選んでハワードの承認を得るため社長室を訪ねた。しかしハワードはその提案を即座に却下し、ついでに全社の採用業務の進捗についてレスターに説明を求めた。レスターは自分のオフィスに戻ると血圧降下剤を飲んだ。 

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GO! ララ、GO! (24)

お待ちください。

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GO! ララ、GO! (23)

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 二十三 You deserve it!の二つの意味

 ララは広州でレスターの電話を受け、異動と昇進にともなう変更について詳細を知った。レスターはそれまでララの要求を常に退けてきたが、彼女は今回その行動が理解できる気がした。仮に自分がレスターの立場なら、じきに定年退職を迎えようというときに、社長の考えを忖度でもしなければ、会社が定める勤務地で働きたがらない部下のために前例を破ることはしなかっただろう。ハワードが意見を明確に示してからレスターはようやく積極的に動き始めた。ララは各営業所の人事業務が自分の担当となったことに特に感謝していた。

  四十六%の昇給に至っては、ララの期待をはるかに上回るものだった。彼女は感激しつつも、リフォームプロジェクトを任せられた際にレスターが出した特別手当てが五%だったことが自然と頭に浮かんできた。

 電話の向こうにいるレスターは、ララの思いを知ってか知らずか、あるいはこれまでララに辛く当たりすぎたと思ったのか、ララが述べる感謝の言葉を聞いても軽く受け流し、簡潔に誠意をこめてこう返した。

You deserve it.(君にはその価値がある)」。

 レスターはその言葉を口に出した瞬間、あることを思い出した。ローズが杜撰な予算とタイムスケジュールで自分に危険な罠を仕掛けたことに気が付き、やむを得ず急いでローズを昇進させたときにも、彼女に対して心にもない言葉をかけた。

You deserve it.」。

 電話の両側でララとレスターはともに感慨にふけり、一瞬の沈黙が訪れた。ララはハワードが言ったことを思い出した。

「レスターは寛容なボスだ。彼には彼の特徴がある。君はこれからも彼の部下であることに変わりない」。

 ララはレスターのもとでしっかりと部長を務めてボスに認められようと決意し、レスターもララの誠実さを感じ取った。かつて心にわだかまりを持っていた者どうしが和解しよい関係を築く以上に気持ちの晴れることはない。

 人員配置について話が及ぶと、ララはヘレンをアシスタントに昇格させたいと提案した。ヘレンはすでにDBの広州オフィスで七年間にわたってフロントスタッフを経験しており、現在二十七歳になる。物事を深く考えない性格ではあるが、ララのもとで大きく成長した上に、ララとは互いに気心も知れている。SC(South China)のアシスタントには適任で、レスターも二つ返事で了承した。

 ヘレンはあきらかにララの昇進のおこぼれにあずかった形になり、広州オフィスではヘレンを見かけて冗談を言う者もいた。

「テンテン、羽振りがよさそうじゃないか」。

 ヘレンはララに「控えめに」と釘をさされているのを思い出し、一生懸命に謙虚にふるまおうとするあまり却って同僚の爆笑を誘う結果となってしまった。

 ララは間もなく上海に出向いてウェンホアのもとでリクルートについて学ぶことになった。彼女は呑み込みが早く何事も適切にこなしたのでレスターも非常に満足し、誰彼なしにララの自慢をした。また、気が向けばララに仕事のコツを教えることもあり、そんなときにはララは頭がいくつあっても足りないほど熱心に頷きながらすらすらとノートをとった。レスターはララが渇いたスポンジのように知識を吸収していく様子に感心し目を細めた。

 教えたい者と学びたい者が出会うことは大きな喜びである。機会さえあれば、ララはレスターの経験の豊かさを称賛し、レスターはララの聡明さを褒めた。二人はもっと早くからこの関係が築けていたらとまで思ったが、それを見るにつけ憤懣やるかたない思いにかられ、歯ぎしりをしながら「レスター、いつか必ずお前に“You deserve it” には二つの解釈があることを思い知らせてやる」とひそかに呟く者がいた。

 英語の“you deserve it”には二通りの解釈がある。よい意味で用いられる場合は「名実相応」(君はそれに値する)、逆の場合は「自業自得」(ざまあみろ、当然の報いだ)となる。英語では両者を区別せず“you deserve it”と表現するが、つまるところ「あなたはこれこれの事をした、それゆえこれこれの結果になった」という因果関係に重点を置き、「当然の結果だ」という意味を表す。

 ララは、相変わらず残業続きだった。ハワードは一日の仕事が終わると、退勤前に思い出したようにララを頻繁に自分のオフィスに呼んで質問したり仕事を与えたりした。ララも難題を抱えているときにはハワードの意見を求めることがあった。

 ウェイは、残業をしているときにララがハワードの部屋に入って一時間あまり出てこないのを二回ほど目にした。しかも彼女がハワードのアシスタントに面会のアポイントを取っていないことは明らかだ。一度はハワードがホワイトボードに図を描いてララに何かを説明しており、ララは顔を上げて全神経を集中させて聞いている様子だった。

 ウェイはやや苛立ちを覚え、後日やっかみ混じりの口調でララに言った。

「随分偉くなったもんだな。One on one(マンツーマン)で授業を受けるなんて」。

 ララは「知らないことが多すぎていろいろとご指導を受ける必要があるんです。明日にでも、あなた様に人生の真諦を教えていただきたいものですわ」と言って取り合わない。ウェイはいかにも不満そうに言葉を続けた。

「ハワードは営業担当社長か、それとも総務担当社長か。社長のDirect report(直属の部下)は本部長だろう。時間があるなら我々本部長とコミュニケーションを取るべきなのに、なんだって君とあんなに熱心に話をするんだ。総務がどれだけいい仕事をしたって会社の儲けにならないじゃないか。それに君は本部長のレスターが指導してくれるだろう。レスターの頭越しにハワードとあんなに頻繁に接触して!」。

「だったら私からハワードにあなたがご不満だってお伝えしましょうか!」。

「いいさ。君は社長のお気に入りだから何でも話せるだろうよ!」。

「私は誰よりも努力しているのよ! I deserve it!」

「いい気になるな。いつか手痛い目にあうぞ。You deserve it!」  

 ララは怒りのあまり思わず口走った。

「あんたの良心はダーダーディホアイラ!*1 スーラスーラ!*2



*1
「ひどく悪い」を意味する抗日戦争時の日本兵中国語

*2「死ね」を意味する抗日戦争時の日本兵中国語

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GO! ララ、GO! (22)

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二十二 認可は速やかに

 ワン・ホンはレスターに命じられたとおりに職務記述書を作成した。異動昇進内申表に記入する段になると、職位の欄に書き込むのをしばらく躊躇した。レスターは彼に「人事総務部長」と言ったが、彼の理解ではレスターが実際に与えたいのは「人事総務部長補佐」のはずだ。以前にローズを昇進させたときも最初は「部長補佐」とし、その後に「部長」と改めている。ましてやララには「人事」の二文字まで加えている。給与部長のワン・ホンには、この「人事」の二文字が余計につくことでララの市場価値がぐっと上がることがよくわかっていた。総務部長よりも人事部長のほうがよっぽど価値があるのだ。ワン・ホンは「たとえ『人事総務部長補佐』の肩書だけでもララは大いに得をする」と考えた。

彼は長いこと考えていたが、レスターに確認しに行くのはやめて自分勝手に職位の欄に「人事部長補佐」と記入することにした。次は「給与改定」欄だ。ワン・ホンがララの現在の給料を調べると六八二五元であった。この数字にワン・ホンは目を疑い、ララの我慢強さに感嘆した。レスターもあまりに気前が悪い。さて、現在の問題はワン・ホンがララの給料をどの程度上げるべきかということだ。

 通常、現在の給与金額に問題がなければ二〇~三〇%以内の昇給となる。しかしララの現在の給与は市場相場に比して明らかに低い。社内規定によれば昇進する社員の現時点の給与が明らかに低すぎ、業務成績が特に優秀である場合には社長の特別許可を得て五〇%まで昇給することができるとある。ワン・ホンの知る限り、レスターは昇給に対しては常に消極的で普通なら自ら進んで上限の三〇%までアップすることはめったにない。もし上げ幅が大きすぎればおそらく疑問を提示してくるだろう。さらにワン・ホン自身にもララが今回はあまりに優遇されているという思いが多少なりともあったため、給与をあまり高くしたくはなかった。しばらく考えてから「基本給決定に関する提案」の欄には「八八〇〇」と書き込んだ。

レスターはワン・ホンから書類を受け取るとすぐに、「ん? ワン・ホン、これは違う。職位に『補佐』はいらない。我々はララを『部長』にすることにしたんだ」と言った。ワン・ホンは顔を赤らめた。レスターに自分がララに部長の肩書を与えたくないという思いを見透かされたと感じたが、何とか言い返した。

「レスター、一度でこんなに昇進させるのは早すぎませんか。まずは『部長補佐』を務めさせて段階的にキャリアアップしたほうが、目標ができて更に努力を続けて成長するでしょう。半年か一年ほど観察して、それなりの成績を上げた時こそ『部長』の肩書というインセンティブを与えてやればいいと思いますが」。

 レスターは何度も頭を横に振った。

「認可はタイミングが大切だ。認可のタイミングを外し、奨励のタイミングを外すことは人事管理のタブーだよ。彼女が最も求めている時に与えてこそ最も効果的なんだ。仕事に慣れきってしまってからポストを与えても今ほどの効果はなくなる」。

ワン・ホンは余計な口出しをした結果となり、そのとおりですと言うしかなかった。

 レスターの指が給与欄の「八八〇〇」のところにすべっていった。

「我が社の非採算部門の部長の最低基本給はいくらだっけ?」

 ワン・ホンは冷や汗が出てきた。今日は自分がバカなことをしたのか、それともレスターが普段と違うのかわからなかったが、とにかくレスターは八八〇〇という低すぎる額が気に入らないようだ。ワン・ホンは気持ちを落ち着けて答えた。

「会社のポリシーによると九〇〇〇元です」。

 レスターは少し考えた。ララは何といっても部長だ、今回は彼女を徹底的に満足させよう、昇進しても給与面でわだかまりを持つことがないようにしなければ。レスターは考えを決めた。

「ララの月給はぴったり一万元にしよう。彼女の今の基本給は低いが、仕事のレベルは新部長の基本レベルよりも高い。これをハワードに届けて許可をもらってきなさい」。

そう言いながら彼は無造作に電卓をたたき、六八二五元から一万元への昇給は四六%アップだと算出し、その数字をワン・ホンに見せた。

 ワン・ホンはDBに入社した日に自ら決めたルール――レスターとは常に良好な関係を保つ――を守り、それ以上抗弁しようとせず、「承知しました。職位と給料の二か所を書き直して十分後にまた持ってきます」と言った。レスターはうなずいた。

 

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GO! ララ、GO! (21)

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二十一 部長になる覚悟 ――学習とストレス耐性

その日、レスターはワン・ホンのオフィスに来て言った。
「ハワードと話し合ってララを総務部長に昇進させることが決まった。ピーターもララは相応しい人材だと言っている」。

レスターは少し間をあけてこう続ける。
「何人かの本部長にも意見を聞いてみたが、めずらしいことに全員賛成だったよ。ちょっと意外だったね。少なくともウェイはララの昇進に反対すると思ったのだが。例の引っ越しの件でララはウェイと激しくやり合ったからね。彼がララはいい、と誰よりも快く賛成するなんて思わなかった。ララのコミュニケーション能力はやはり大したものだ」。

ワン・ホンはすぐには言葉を返せなかった。

「それもいいじゃないか。全員が昇進に賛成したのだから、新部長が仕事を始めてから何か問題が起きれば全員の連帯責任ということになる」。
 レスターは急に思いついたようにワン・ホンに言い訳した。自分がララの昇進に同意していると思われないよう予防線を張り、ララが部長には不適格だと判断された場合に、管理職全員に責任をかぶせてレスターの独断による誤った決定だったと指摘されないためだ。彼はさらに付け加えた。

「もちろん、私はララはしっかり務めてくれると信じているがね。そういうわけで、急いでララの異動昇進内申表を作成してくれ。Job description(職務記述書)も添付して」。

ワン・ホンは驚いて「彼女のlocation(勤務地)はどこですか?」と聞いた。

「広州だ。この点に関してはハワード本人がララを説得しようとしたが、彼女は妥協しなかった。彼女の好きにさせよう」。

ワン・ホンはさらに尋ねた。

「JD(職務記述書)は前にローズに使っていたものと同じでいいですね」。
 レスターの返事にワン・ホンは頭を殴られたような衝撃を受けた。

「以前の書類は使わないでくれ。ローズと違って、ララの肩書は『総務部長』ではなく『人事総務部長』になった。彼女の職責はDBが中国に設置したオフィス三十か所の総務管理に限らない。最も重要な違いは、彼女が本部以外の地域の人事にも責任を持つということで、主な職務は採用とER(Employee relationship、労務管理)だ。ララの部下の肩書も総務課長ではなく人事総務課長にする必要がある」。

 ワン・ホンはこのときばかりは「本当ですか!」と驚きの声をあげ、しばらくしてからやっと「指揮命令系統はどうなりますか?」と尋ねた。レスターはワン・ホンがこの話をフォローするだけで大変なことがわかっていたので、簡単な説明にとどめた。

「ララは私の直属の部下だ。この点はローズと変わらない。近いうちに上海と北京にそれぞれ課長を配属してララの部下とする。広州にはララが常駐しているので課長は置かない。また北京・上海・広州の主要三オフィスそれぞれ二名ずつ補佐を置き、残りの二十七営業所に各一名、営業部と兼任の補佐を配備する」。

 ワン・ホンは、冷静になって考えてみれば会社がララを「総務部長」にしようが「人事総務部長」にしようが自分には関係ない、自分は給与と福利厚生の仕事に専念すればいいのだ、と思った。しかし、採用とERを担当するリー・ウェンホア人事部長にとっては、自分の縄張りの半分とは言わずとも、少なくとも三分の一をララに持っていかれることになる。

 ワン・ホンは慎重にレスターに尋ねた。

「そのことをウェンホアは知っているんですか?」

 レスターは笑って言った。

「午前中に話をしたよ。リクルート業務はプレッシャーが大きいし、もともと人手が足りない部署だったから今年の人材募集拡大で疲労困憊していた。彼からは何度も人手を増やしてほしいと言われていたが、君も知ってのとおり増員は無理だ。予算がなくてね。今は有難いことにララの部署が本部以外の仕事を引き受けてくれた。ウェンホアは少なくともこの点は助っているんじゃないかな」。

 ワン・ホンは、ウェンホアは面白くないに決まっていると思った。目の前の仕事のストレスが多少は減るかもしれないが、営業所人事で最も重要な業務は人材採用であり、それを他の部門にまるごと持っていかれてしまうのは採用部長にとって屈辱的だ。

 ワン・ホンはここまで考えると、思わず野次馬的な興味から口を出した。

「ウェンホアはそのやり方にupset(動揺)するのでは?」

レスターはうなずいた。

「人間は本能的に変化を嫌うから多少は動揺するだろうね。彼には心配しないように伝えたよ。ララが営業所で担当するのは主にファーストラインの営業員募集で、最も高い肩書でもエリア部長どまりだ。管理職などの人事は全て本部のウェンホアが責任を持つ。事実上、千人の労働者を採用するより一人のSENIOR(上級職)を採用するほうが重要だ。この理屈は誰でもわかる。一言でいえば、ウェンホアは採用の仕事で最も責任の重い部分を受け持ち、ララに渡したのは最も価値の低い仕事、ということさ」。

 レスターはここまで話すと、自分が午前中の話し合いでどれほど容易くウェンホアを言いくるめたかを思い出し、いささか誇らしい気分であった。ワン・ホンは今まで「真面目だけが取り柄の働き蜂」として有名だったララが少しばかり狡猾になったと思った。彼女は総務部長になりたいだけではなく、ずっと人事業務を学びたいと希望していた。ハワードはリソースを要求する者に対しては必ず「君に分配するリソースで会社はどれほどのリターンを得られるのか」と質問する上司だ。ではララは会社にどんなリターンをもたらすというのだろう。

 ワン・ホンは気持ちを抑えきれずに聞いた。

「ララは今まで一度も人事をやったことがないんですよ。営業所の人事を彼女に任せるのはリスクが高くありませんか?」。

「もちろん一度に全て任せるわけにはいかない。今、ウェンホアに彼女に必要な研修計画を作らせているところだ。それからララの部下として北京オフィスに人事の経験が豊富な人材を採用する。また今後二か月間はウェンホアとジェイソンが営業所人事の仕事を兼務しつつララに仕事を引き継いでいく」。

 ワン・ホンはウェンホアをいささか気の毒に思い、それと同時にララのことを考えて手に汗を握り、「二か月間の引き継ぎでララは大丈夫だろうか」と再び心配せざるを得なかった。レスターは今後の事は全てウェンホアとララの責任で自分自身とは何も関係ないと言いたげな顔つきで肩をすくめて言った。

「これは厳しいチャレンジだが、それ以上に貴重なチャンスだ。この環境でララはかなり高い学習能力とストレス耐性を求められるだろう。私たちは彼女が奇跡を起こすことを期待しようじゃないか。部長になるならそれなりの覚悟が必要だ」。

ワン・ホンはレスターのオフィスを辞し、ララのJD(職務記述書)を作成しに戻った。心の中にはとうとう確かめることができなかった一つの疑念が渦巻いていた。

「ララに営業所の人事を担当させようと考えたのはいったい誰だ。ハワードか、それともレスター本人か?」。

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GO! ララ、GO! (20)

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二十 二人の同僚  

    

 後日、ウェンホアはララを見かけると自分のオフィスに招き入れた。ララに座るように促し、笑顔でララを見つめた。  

 ララは気まずくなって、「どうしたんですか。そんなに意味ありげな笑い方をして」、と尋ねた。  

「ボスをずいぶん困らせているみたいじゃないか」。  

「そんな……」、とララはやや臆したように否定した。  

 ウェンホアは真顔になって「いや、君には頭が下がるよ。その意地があればきっと成功できる」と言う。  

 

 その言葉を聞き、ララは少きまり悪そうに「どうにか仕事をこなすだけで精いっぱいです」と遠慮がちに返した。  

 ウェンホアはそこでようやく「昼は僕とワン・ホンにご馳走させてくれ」と用件を切り出した。  

ワン・ホンとウェンホアはともにレスターを上司に持つ同格の同僚で、給与福利厚生面を担当している。レスターのには採用部給与部総務部のほかに、ここしばらく部長が不在のままになっている社員教育及び成績管理部がある  

ララは満面に笑みをたたえて言った 

ありがとうございます。今日はどうしてこんなにいことがあるのかしら」。  

   

「いやいや! 実はずっと食事に誘おうと思っていたんだが、ちょっとまでワン・ホンはプロジェクトだか何だかで忙しかったし、彼に時間ができれば僕が出張、君は我々に輪をかけて忙しかっただろう。三人で集まれる機会をずっと探していたんだ」  

その日の昼、人は四川料理の名店、江南(South Beauty)で会食した。ワン・ホンが選んだ料理はどれも絶品であった。日本への出張から帰ってきたばかりのワン・ホンは先輩風を吹かせつつも、通り一遍の話題ではあるがララに話しかけるなどして好意的な態度を示した  

ワン・ホンは成都出身で、大学は上海で学んだ。若い頃は無口真面目一方の男で、大学を出ると早々に一緒に上海の大学に進学した高校時代のクラスメートと結婚した。  

  

ワン・ホンの結婚はロマンティックなところは何もなかったが、彼はに大変満足しており、生活満足度が高い層に属している。彼はもともとロマンス興味がなく、数字と数字を使って測れるものを信仰していた  

  ワン・ホンは生まれつき色白でふっくらと柔らか肌の持ち主だ。一日中エクセルのシートにびっしりと並んだ数字を追いかけているため、給与部長にありがちな強度の近視眼鏡をかけている。典型的な外資系企業のC&B(給与福利)部長であ彼の強みはデータ分析だ。分析の手腕に優れている反面、人や物事数字で判断するためやや融通が利かないところがあった年齢はウェンホアとほぼ同じ三十代半ばだが性格はかなり違う。社内のある部門ワン・ホンはあまりに堅物だと陰口を言う者があり、かつて一人の社員大いに腹を立てて「ワン・ホンとコミュニケーションできない」とレスターに不満をぶつけたこともあった。だがワン・ホン人間関係が特に悪いというわけでもない。なぜなら彼自身に悪意はなく、何事においても数字だけを根拠として賛成反対かを表明するのみで、なんら他意はないからである三十代半ばの部長としてはいささか杓子定規に過ぎるが、彼とてコミュニケーションの重要さは十分に理解している。実際にこの欠点彼の昇進を妨げたばかりか出世競争で大きな挫折を味合わせたこともあったからだ  

彼は過去の苦い経験を教訓として、二年前にレスターに採用されたとき自分自身に二つのルールを課した。、彼の強みはスキルである。第二、コミュニケーション能力が低いという弱みは変えられなくても、レスターとだけは常に良好なコミュニケーションを保つことが必須だ。他の誰とうまくいかなくても構わないが、レスターとの関係だけ絶対になおざりにできない。  

  

れが成功を導く方策であることは以下のように説明できる第一に、人間の体力と気力は限界がある。一つの事柄集中すれば事柄がおろそかにならざるを得ない多くの精力を傾けてWeakness(弱み)Strength(強み)に変えるより自分の強みをさらに発揮する方向に力を入れるほうがより高い成果を出すことができる。端的に言えば、人は得意分野で勝負するべきなの第二に、人間の注意力には限界がある。何もかも完璧にこなせない以上肝心なところに集中することが重要社内考査の合格点に達しているか、能力が高いかどうかその評価の八〇あるいはそれ以上高い割合で直属の上司が判断を下しているのである。たとえ世界中の人々から優秀だと言われても、直属の上司が問題ありと判断すれば十中八九問題がある。一言で言えば「ポイントを外してはならない  

   

ワン・ホンは上述の方針に従、自分自身に明確な位置付けを行った。自分は今より高いポストは務めきれない、人事部のよう常に人と話し合うスキルが求められる仕事はしたく。給与部長として地道におとなしく働き数字を相手にして分析の技術で食べていくのが合っている彼のこの態度をレスター非常に気に入ったレスターが必要としているのは、しっかりと仕事をこなし自らの本分をわきまえ給与部長。ワン・ホンもレスターが自分を引き立ててくれた恩に感謝し忠誠を尽くしたこうして二人息の合う上司と部下となった。ワン・ホンが得意とする事と苦手とする事がレスターは手に取るようにわかり、ワン・ホンもレスターが重視していることは何かを以心伝心で理解してポイントを外すことなく遂行した  

 ワン・ホンはララが昇進を直訴した話を噂に聞いてはいたが、彼の杓子定規な考え方に照らせばこれは合理的でプロフェッショナルなやり方到底言えなかった。もしこれが彼女のsuccess story”(出世物語)なってしまうのならそれはもはや“story”(物語)ではなくlegend”(伝説)と呼ばれるべきだ。  

 

そこで彼はわざわざ著名なコンサルティング会社であるHEWITTとMERCERの最新データから平均的な総務部長のキャリアを調べてみた。上海の人材市場には十五件のサンプルデータが見つかった多国籍企業の総務部長は平均データによると年齢四十歳以上・当該部門で勤続五年・当該職種の経験約十年・職歴二十であったしたがって、ララは少なくとも現在のポストをあと三年は務めなければ昇進考慮できない。なぜならDBの総務部長は少なくとも市場平均より高い条件を備えているべきだからだ  

  

しかし、彼がうっかり忘れたのかわざと無視したのかわからないが、年齢や経験年数にするデータは調べたものの、総務部長の主な職責に関する資料を閲覧することはなかった。つまり、ララにどんな仕事ができ、れほど重要な仕事をこなしてきた経験があるかを考慮しなかったのである。ウェンホアが遠回しにララに昇進の可能性があることを伝えた時、ワン・ホンは信じないばかりか気にも留めなかった。彼はそが本当なら、ララにあまりに都合がいい話だと思った。 

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GO! ララ、GO! (19)

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十九 ボトムアップかトップダウンか

 ララは胸に不満をため込んでいた。部長にならなければ決して諦めきれない。

  転職活動が思うようにいかず、ララは考え直すことにした。DBほどいい会社はめったにない。入社するのも難しかったのに簡単に辞められるだろうか。自分はすでにDBから十分な見返りを受けることができたのだろうか。

  もう他の方法は思いつかない。やはりハワードに相談しよう。ハワードのオフィスを訪ねるのはかなりの勇気が必要だが、自分が行動に移さなければ誰も助けてくれないことはよくわかっていた。

  ヘレンはララが仕事中にあらぬ方向を見つめてぼんやりしているのに気がついた。退社時間になっても心ここにあらずといった様子で帰ろうともしない。

 ララは様々な話の切り出し方を検討していた。何種類もの会話をシミュレーションし、想定しうる限りのハワードの反応を思い描いた。しかし、実際に上海オフィスに行き、ハワードと面と向かうと何も言えなくなってしまった。

その日、ハワードはララを見かけると、そういえば数か月も顔を見なかったと思い、親しげに声をかけた。

「ララ、僕のオフィスで話でもしないか」。

 二人は腰を掛けると、ハワードはララに向かってにこやかに尋ねた。

「最近はどうだい?」

 ずっと心に抑え込んでいたことが口をついて出た。

Howard、私、総務部長になりたいんです。この希望についてのご判断を聞かせてください」。

  ハワードは落ち着いた調子で問い返した。

「上海で働きたいかね?」

 ララは考えを曲げなかった。

「今のところ、まだ上海に来るつもりはありません。私のベースは広州です。でも出張はいつでもします」。

 「わかった。レスターに伝えなさい。私は君が広州にいても総務部長の役職をしっかり果たせると考えている」。

  こんなにもあっけなく結論が出るとは想定外だ。レスターとの終わりなきシーソーゲームを経験してきたララの戦闘意欲はいきなり出鼻をくじかれ、自分の耳を疑った。あるいはハワードの言葉の意味を誤解しているのだろうか。

  ララは早まる鼓動を落ち着かせ、できるだけ平静な声で頼んだ。

「それでは社長からレスター本部長にお口添えいただけないでしょうか」。

  ハワードは微笑んで言った。

「ララ、通常の社内手続きとしては、昇進を希望する社員の部門長から提案することになっている。その社員を指揮する部門の長だからこそ業務に必要な人材と昇進候補者の現在の働きぶりや能力を最もよく知っているからね。そして、その起案を行った部門長が昇進を検討する部下の直属の上司および人事部と話し合い、候補者が昇進の資格を備えているか審査するんだ」。

  ララは恥ずかしそうに「わかりました」と答えた。

  ハワードは付け加えた。

「だから君の上司であるレスターが私に君の昇進を申請しなければならない。私が彼の部下を昇進させるために申請書を出すよう彼に言うことはできないんだよ。部下の昇進は直属の上司が判断することで、その上司の上役とHRがその昇進が合理的で社内規定に合致していることを審査し保証する監査の役目を担っている」。

  ハワードは少し間をおいてから笑って言った。

「ふつうは上にいる者に使いたくない部下を無理に押し付けるようなことはしないよ。いま君がレスターの頭越しに私を訪ねてきたことは理解できる。だが、実際には正しい手続きとは言えない」。

  ララはハワードの柔和なコバルトブルーの目を見つめ、やりきれない様子でつぶやいた。

「この件はレスターに何度か願い出ましたが、いつも断られました。社長が反対するからという理由で」。

 「レスターに伝えなさい。私の意見は君の昇進に賛成だ。問題は何もないと」。

  ララは不安気に「私から言うんですか」と聞いた。

  「安心しなさい。彼は君の言葉を信じるよ。確かに私の意見で君の作り話ではないとね」。

  ララはすっかり嬉しくなり、お礼を言って部屋を出ようとした。

  ハワードはララを呼び止めた。

「ララ、レスターのところに行ったら、最初は私の考えを言わずに、君から昇格を再度願い出て、それでもだめなら私が賛成していると言いなさい。わかったね?」。

  ララはハワードの意図を汲み取って「わかりました」と答えた。

  ハワードはさらに念を押した。

「レスターとちゃんと話すんだよ。彼は寛容な上司だし良いところがある。君はこれからも彼の部下に変わりないんだから」。

  ララは「わかっています、安心してください」と約束した。

  ララは社長室を出たがまだ信じられなかった。あまりにも簡単に、戦いは十分で決着がついた。ララが悩みに悩んで考えたもっともらしい話の切り出し方は何ひとつ役に立たず、ハワードの反応も彼女が想定していたものとは全く違っていた。

  ララは足が地につかない様子で廊下を何度か行ったり来たりして気持ちを落ち着かせてから、ようやくレスターの部屋を訪ねた。

  レスターは彼の頭痛の種――名うての頑固者のララ君――がやって来るのを目にするや、頭がズキズキと痛みだした。レスターは戦いに備えて無理やり気力を奮い立たせ、得意のハリウッドスター級の笑顔でララを迎え入れた。

  ララも微笑んで挨拶をし、ハワードと話しあったとおり一切の前置きなしに切り出した。

「レスター、私を総務部長にしていただけませんか」。

 レスターは心中で「ああ、またか。今回は遠まわしではなく正面からぶつかってきた」と呟いた。

  レスターは辛抱強く言った。

「ララ、君は広州にいるが。この部署は上海に設置しなければならないんだ」。

 「喜んで出張します」

「本部を上海に置いている関係で管理業務の多くがここに集中している。君が広州にいるのはやはり都合が悪い。急に問題が起こったとき部長が本部にいないと問題になる」、とレスターは辛抱強く説明した。

「ローズが病気休暇をとったとき、私はチーム編成が不十分な状況下でこの部門を半年以上ひっぱってきました。各部門から高い評価を受けたことはボスもご存知ですよね。私にはこのポストで仕事をこなす自信があります」。

 互いの主張は以前に何度か行われた話し合いと変わらず、同じレールの上を進んでいるかに見えた。だがレスターは、今日のララにはこれまでとは違う有無を言わせない雰囲気がある、何かあるに違いないと心中いぶかしく思った。徐々に様子を見て確かめるしかない。そしていつものセリフを口にした。

「昇進はハワードが反対するだろう」。

 ララはまさにその言葉を待っていた。

「ハワードは反対しません。賛成だと言って下さいました」。

 レスターは飛び上がらんばかりに驚いた。ハワードの意見は言うまでもなく彼の予想に反していたが、ララの作り話ではないと判断し、すぐに尋ねた。

「ハワードはいつ、そう言ったんだ?」。

「つい先ほどです」。

「誰にそう言った?」。

「ボスがお困りのようでしたので、今日、私が自分でお願いに行きました。それで、同意すると言っていただけたんです」。

「ララ、このあと会議があるから、終わってからまた話をしよう」。

 「わかりました。ではお先に失礼します」。

 翌朝、ララが出社すると、ハワードの社長室でレスターとハワードが話をしているのがガラスのパーテーション越しに見えた。レスターはララに背を向けて手振りをしており、ハワードは朗らかな表情で笑っている。レスターの話はハワードの意向にまさに適っているようである。ララは自分の話をしているのだと思った。

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GO! ララ、GO! (18)

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 十八 職場の鉄則:mailは慎重に! 

 転職活動ははかばかしくなかった。広州オフィスの仕事をララは本職と思い定め、自分を励ましつつ手ぬかりなく務めていた。

 その日、ララがパソコンの画面に映った予算表を食い入るように見つめていたとき。一人の男性が彼女の前に立って咳払いをした。顔を上げると、それはウェイだった。 

 ウェイは、手にしていたダスターコートをそばに置いて勝手に座った。

 ララはいささか驚いて「いつ広州に来たのですか?」と尋ねた。 

 ウェイはその質問には答えず、逆に聞き返した。「三か月以上も上海に顔を見せなかったじゃないか。なぜなんだ?」 

 ララは事もなげに「二週間前に研修に行ったばかりですよ」と答えた。 

「いや、見かけなかったぞ」、とウェイは首をかしげた。

 ララは「三日間ずっと会議室に閉じこもっていたので廊下をウロウロする時間もなかったんです。だから見かけなかったんでしょう」と言い訳した。

 ウェイは少し腹立ちを覚えた。三か月も会えなかったのに、ララは別に再会を待ち望んでいたわけではなかったのか。彼は自分の感情を抑えて軽い調子で言った。

 「研修に参加していたんなら、昼休みにでも声をかけてくれればよかったのに。君が上海にいることを知っていたら、夕飯くらいご馳走してたよ」。

 ララは「お時間があれば、今晩は私にご馳走させて下さい」と微笑んだ。

 それを聞いてウェイはすっかり嬉しくなり、すぐに「約束だ」と言った。

 そして立ち去ることもなく、そのままララのそばに座ってじっとララを見ている。 ララは落ち着かなくなり、「私、また何か失礼なことをしました?」と聞いた。

「痩せたみたいだね。仕事がきつすぎるんじゃない?」

 ララは少しうつむいて自分の体を見て、「痩せ気味の方が服を選びやすいですから」と答えた。

「時間があればエステに行ったらいいよ。顔色が良くなるから」。

「これは今の流行色でヌーディーカラーと言うんです。今はヌーディーカラーのチークが売れているんです」。

 ウェイはそれには答えずビジネスバッグを開いてお洒落な紙袋を取り出し、ララに渡した。

 ララは突然のことに驚き、「私に?」と聞いた。

 「君にセールスするつもりはないよ」。

 オフィスでは人目に立つのも都合が悪いので、ララは目顔で微笑んで受け取るしかなかった。「今晩は美味しいものをたっぷりご馳走しますからね」。

 ウェイは、外国の顧客が受け取ったプレゼントをその場で開けて喜ぶことに慣れていたので、ララが自分が渡したプレゼントに少しも興味を持たないのを見て、たまらずに言った。「プレゼントした理由を知りたくない?」

 彼女はお得意のとぼけた顔を作った。「いまどれほどのお値段か聞こうと思っていたところなんですよ」。

 話をそらされまいとして、ウェイはララの目を見て「どうだろう。人によって答えは違うだろうね。たとえば、僕にとっては価値のあるものでも君にとってはどうかな」とささやいた。

 お互いに言いたいことはわかっている。だが、ララは今、会社の本部長に返事をすべきか、それとも一人の男性に返事をすべきか、とっさには判断しかねていた。

 ウェイは黙って彼女の顔を見ながら返事を待った。ララは気づまりに感じ、うつむいてパソコンの画面を見た。その場の空気はたちまち愉悦の重みとなって二人を包み、ある種の冒険への憧憬がお互いの口を開かせようとした。

 数分間の沈黙が流れ、ララがようやく話の糸口を探しあててウェイの出張理由を聞こうとしたとき、ヘレンがバタバタとララを呼びに来た。ウェイは「忙しいみたいだね」と言って立ち上がった。

 夜、二人は、沙面のレストランで夕食を共にした。店を出ると、ララはもうそろそろ帰らなくては、と言った。

 ウェイは彼女を帰したくなかった。本部長の立場も忘れて「まだ早いから場所を変えよう」と引き留めた。

 ララは「顔色がよくないって言ったじゃないですか。早く寝ないともっと顔色が悪くなっちゃう」と彼をからかう。

 ウェイは真顔で言った。「顔色が悪くても、きれいだよ」。

 その言葉に、ララの心が震えたが、なんとか冷静さを装って言った。「たいして飲んでもいないのに、酔ったふりして冗談なんてやめてくださいよ」。

「ララ、真面目に聞いてくれ」。

「いいですよ。おほめいただきありがとうございます。でも、自分でも悪くないとは思っていたんですけどね」。

「じゃあ場所を変えて、一杯付き合ってくれないか。十一時前に必ず家に送り届けるから」。

 ララはためらった。「十一時? もう冬なのに」。

 ウェイは一歩近づき、自分を見上げるララの瞳を覗き込んだ。ララは思わず目をそらした。ウェイは「ララ、もう三か月以上も会えなかったのに、どうしてそんなふうなんだ」とため息をついた。

 ララは口ごもりつつ「どういうことなのか、まだよくわからなくて」と言った。

 手を伸ばしてララの肩を引き寄せ、ウェイは彼女を見つめてた。「遊びなんかじゃない」。

 冬の暮色がララのほんのり上気した頬を覆い隠し、彼女はわずかに顔をそむけてウェイの視線を逃れた。「それは、わかっています」。

 「じゃあ、19201920 Restaurant and Bar、広州市内のドイツ風レストランバー)に行こうか?」

「はい、でも十一時には帰ります」。

 ウェイは彼女の手をとって歩きだした。

 ウェイはララにベイリーズカクテルを注文し、ララはバーテンダーが作った味がとても気に入った。1920の灯りの下で、ずっと重苦しかった彼女の心が喜びと寛ぎに満たされていった。二人は談笑しながらグラスを重ね、楽しい時を過ごした。

 ウェイは約束どおり十一時になるとララを家に送った。タクシーがマンションの前に停まると、ララはウェイに車を降りずそのままホテルに戻るようにと言った。

「ここならタクシーを呼びやすいから、ロビーまで送るよ」。

 ララが固辞すると、ウェイは「じゃあ、ロビーには入らない。少しだけ一緒に歩きたいんだ。いいだろう?」と言った。

 ララは断り切れなくなった。何歩か歩いてから、ララは「もう大丈夫です、あとちょっとなので」と言った。

「わかった。ロビーに入るまで見ているよ」。

 ララが数歩行くと、ウェイはまた彼女を呼び止め駆け寄って来た。

 ララは彼の言葉を待った。少し躊躇ってから「ララ、上海は嫌かい?」と彼は尋ねた。ララは小さい声で言った。「先の事はまだ分からないけど、今はまだ上海で暮したいとは思えないんです」。

「僕は明日、上海に戻る。重要な会議があって急ぎで戻らなければならない。君が次に上海に来るのはいつ?」

「まだわかりません」。

 ウェイは仕方なく「じゃあ、mailをくれよ」と言う。

 ララは他人行儀に「何かあればお電話します。電話の方がずっと便利ですから」と答えた。ウェイは少し間をおいて言った。「電話したくなったらいつでもかけてくれ。どんなに夜遅くてもかまわない。携帯の電源を切らないよ」。 ララは無意識に距離を保った。「そんなの失礼です。やっぱり勤務時間中にかけますよ」。 ウェイはこらえきれなくなった。

「話をそらさないでくれないか」。

「分かりました」、とララは笑った。

「電話だけじゃなく、時間があればmailして」、とウェイは念を押した。

「はい。mailは誰が何を言ったか誤魔化せないところがいいですよね。全て会社のサーバーに保存されていつでも記録を調べられますから」。

 ウェイは憤然とした口調で「君は僕を脅すつもりなのか」と言った。

「脅すなんて。本部長、社用mailは慎重に、というのが職場の鉄則ですよ」と言いながら、彼女は愉快そうに笑い出した。

 ウェイは暗がりに浮かんだ彼女の華のような笑顔と街灯の照り返しに映える艶やかな肌を見て、思わず手を伸ばし彼女の頬に触れようとした。ララは笑っていたが、彼が手を伸ばしすのを見て反射的に振り払った。

 ウェイはバツが悪そうに手を引っ込め「ごめん」と謝った。ララも顔を赤らめ「私をからかっているの?」と聞いた。ウェイはいかにも気まずそうな顔で言った。

「人聞きの悪い言い方をしないでくれ。僕は君をいい同僚だと思っている」。

「そういうことですよね。私のことをいい同僚だと思っている。ところで、いつかは結婚するおつもり?」

 ウェイは急に用心深くなった。「もちろん、いい人がいれば」。 ララはからかい気味に「いい同僚とは?」と尋ねる。ウェイは「ないとは言えない」と慎重に答える。

「ついさっき、私のことをいい同僚と言いましたよね」。

「ララ、僕を罠にかけたのか?」とウェイは真顔で聞いた。

 ララは彼の言葉を理解できないふりをした。「罠だなんて! 私たちの友情がずっと変わらず続くようにするためですよ。明日、顔をあわせたときに気まずい思いをしなくて済むように」。

「僕は、先のことはわからないが、今のところは君をいい同僚だと思っている」。ウェイの言葉には何の説得力もなかった。

 ララは頷いた。「私もそれに百%賛成です。ですから、私がいまお話したことは、つまり現段階ではお互いに普通に接していよう、という提案なんです」。

 ウェイは答えなかった。 ララは続け

「私はどちらでもいいんです。今になっても部長にもなれないし。でもあなたは会社では前途洋々ですもの」。

「僕は誰に対しても誠実だよ」と言いながら、彼は我ながら何て空々しく中身がない言葉なんだろうと感じていた。

「だからこそ、私も誠意を込めて提案したんです」。

ウェイはため息をついた。「わかった。君の言う通りにしよう」。

 

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GO! ララ、GO! (17)

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十七 採用難と転職難

 ララはローズの退職後に真相を知ることになった。ローズは実はとっくに退職の準備をしており、自分が辞める前に総務部長の後任候補を全て追い払ってレスターを窮地に陥れようとしていたのだ。彼はれっきとした人事本部長であるにもかかわらず自身の部下の目論見に気づかなかったために社内で大いに面目を失なった。

 今頃、上海オフィスのあちこちで口さがない連中あれこれ噂をしているに違いない。ララはローズが一体どれほどの恨みを抱えていたのかと考えずにはいられなかった。それと同時に、ララの心中には一筋の希望の光が見えてきた。ローズが退職すれば自分の番が来るのではないだろうか。

 ローズに振り回されたレスターはララを登用することを全く考えないでもなかった。しかし部長職を経験したことのないララをどうしても軽く見がちで、さらに総務部長のポストは社内規定で上海に設置すると規定されているが、彼女は広州から上海に異動することに消極的だ。彼はハワードに特別措置を求める自信がなかった。

 ローズが切迫流産を口実に休暇を取ってから、ヘッドハンティング会社はレスターに総務部長の候補者を何人か紹介している。レスターはじっくり考えた後に手元に届いた履歴書を何度か見比べて、採用部長のウェンホアに早急に面接候補者を絞り込むよう指示した。

上海オフィスに総務部長が不在となってから、各部門は大事小事を問わずレスターに直接お伺いを立てるようになった。北京オフィスでは、チャンの退職後もローズが適当な後任者を配属しないまま放置していたので、各部門からは北京にはなぜ総務課長がいないのかという不満の声が上がり続けていた。
 
 レスターは困り果てて、部長の後任探しを急ぐ一方で、北京の件はひとまずララに解決させようとした。
 
 ララはストレートに尋ねた。「ボス、私が総務部長になることは可能でしょうか?」。
 
 レスターはララの質問には逃げ口上を使うのが常であった。「ララ、慌てるな。社内での競争力を高めるためにもっとスキルを磨きなさい」。そしてララは「exactly(ごもっともです)」と答える。
 
 翌日、レスターはララのメールを受け取った。
――上海オフィスでリフォームプロジェクトを管理して半年間、過労でストレスがたまり、深刻な不眠症に罹り、血圧も常に高めです。医者からはしばらく休養するように言われましたが、総務部が人手不足である現状を考慮して、通院しながら広州オフィスの業務をこなしていくつもりです。
 
 ララのメールは続く。
――社内規定によれば、管理職は休日出勤の代休を取れず、課長職社員は休日手当が出ないかわりに代休を取ることができます。私はこの半年間、毎月一〇〇時間を超える残業をしており、労働法に規定された毎月の残業時間の上限である三十六時間をはるかに上回っています――。
彼女はレスターに七〇〇時間以上の残業をどう処理するかと問いただしているのだ(出勤日数に換算する八十八日、一か月の出勤日数を二十一日とすると四カ月強の労働時間に相当する)。
 
 ララはメールに六カ月分の残業届のスキャン画像を添付した。すべての残業届にはレスターのサインがある。レスターはこのメールを見て頭を抱えた。ララが上海で研修に参加している時、レスターはオフィスの通路で彼女の姿を遠くから目にするだけで動揺し、彼女を避けるようになった。
 
 レスターは採用部長のウェンホアに「総務部長の後任選びに何か進展はあったか」と催促した。
 
 ウェンホアは南京出身で、生まれつき眉目秀麗、長身ですらっととしている。彼は採用と労務管理を担当している。生来の性格に加えて、解雇・懲戒処分・降格など気の滅入る話を日常的にしなければならない労務管理で鍛えられた人となりは非常に融通がきき、人間関係の処理に長けていた。人と顔を合わせれば話し出すよりも先に笑顔を作る。人当たりは柔らかいが腹の中は油断できないと噂されていた。抜け目がなく人から恨まれることは少ない。些細な損得は気にせず、必要なときには進んで人助けもする。
 
 彼とレスターの間の最大の問題は二人の相性である。ウェンホアはちょうど仕事に脂がのり気力体力も十分な働き盛りで野心にあふれているが、ひたすら安穏を求めるレスターが最も重視しているのは給与と福利厚生とチームワークだ。そのため、採用部長であるウェンホアは十分な重用を得られないことを内心では不満に感じていた。

 男と女は別の種類の動物だ。ウェンホアはララのように自分の利益のために何度もレスターと争うことは考えられない。せいぜい何かのついでに遠回しに提案してみて、何も結果が出なければそのまま諦める。ララは女だからああいう行動が奏功する、あるいは少なくとも害はない、しかし自分がやれば滑稽であるばかりか危険だということが彼にはよくわかっていた。
 
 ウェンホアは、表向きでは常にレスターの指示に唯々諾々と従い、経理部長のワン・ホンにも協力的であったので、周囲は彼に疑いを抱くこともなく、レスターも問題があると感じたことは特になかった。彼の鬱屈した思いを知る者は彼自身のみであった。
 
 レスターの質問にウェンホアは笑いながら答えた。「前回ご紹介した二人の候補者ではご不満のようですが、この二週間で候補に上がった者たちよりはあの二人の方がましです。どの候補者も大規模プロジェクトの管理経験が不足していたり、コミュニケーション能力が低かったりという問題があります。ここにはクセの強い本部長も多いので、EQが高くないとうまく処理できない事も多いのではないかと。そうなると後々面倒なことになります」。
 
「部長職の経験が十分な者を直接採用すれば、経験は問題にならない」。
 
「はい、そのような者もおりました。しかし部長職の経験がかなり長く、仕事に慣れ過ぎていて情熱を失い、積極性に欠けるようでした。忙しい職場ですから怠惰な人間では務めきれないでしょう」。
 
 レスターは何度も手を振った。
「怠惰な者はダメだ。自分から動いて、経験が豊富で、各部署と上手くコミュニケーションをとれる者でないと」。
 
「おっしゃる通りです。ですが、そのような者はそう簡単に見つかるものではありません。ボスの許可だけでなく社長の許可も必要です。ご存知の通り、社長は以前から要求が高く、我々が散々苦労して探してきて、やっとのことで関連部署の承認をすべて得ても、社長のところで即座に拒否された例もありました。部長職を募集して六カ月になりますが、いまだにポストが埋まらないので、関連部署から毎日催促されて採用部長としてはプレッシャーが大きいんですよ」。
「この広い上海に優秀な総務部長は一人もいないのか」。
 
「良い人は必ずいるでしょう。ですが、伯楽(ヘッドハンティング会社)が彼らにapproach(接触)した時、彼らは我が社のポストに就くことを考えてくれなかったのです。優秀な人材は普通むやみに転職しようとはしないですからね。その人は現在もトップ五〇〇社の部長なので、我々の会社に来て同じく部長ポストに就いたところで何の得にもなりません。少しくらい給料を上げても大した魅力にはならないんです」。
 
 レスターは腕組みをして考えてから、少し前のめりになって言った。
「ウェンホア、採用は君の得意分野だが、総務部も重要なラインだ。普通はポストの交代は難しいのだが、とりあえずこの一~二か月、君に総務部長を代行してもらえないだろうか。仕事のスキルを伸ばすいいチャンスだと思うが、どうだ?」。
 
 ウェンホアは一瞬驚いたが、すぐに答えた。
「もちろんかまいませんが、ご存知のようにこの数か月間で埋めなければならない空きポストがあまりにも多く、採用部の社員たちはすでにアップアップの状態なのに、どの部署も早く後任を探せと我々に矢の催促です。他の仕事まで兼務するとなると我々の負担が大きすぎるのでは……」。
 
 レスターはうんうんと話を聞きながら考える振りをした。
 
 ウェンホアは探るように尋ねた。「ボス、総務のことはひとまずララに任せてみてはどうですか。彼女は半年間上手くやってきたではありませんか」。
 
 レスターは苦笑してララのメールの内容をウェンホアに伝えた。
 
 ウェンホアは頭をフル回転させた。ジョージ・ゲイツが四カ月前に訪中してから、中国市場の発展可能性を期待したアメリカ本社は中国への投資に重点を置くことを迅速に決定した。本社からは外人の一団がやって来て、毎日コンサルタント会社と各部署の部長たちが会議を行っている。野心に溢れた戦略的拡大プロジェクト“CHINA FOCUS”の草案がもうすぐ発表される。
 
 このプロジェクトはすでにおおよその枠組みが決まっており、ウェンホアの部署は素案に基づいてわずか三~四か月で大量採用をやり遂げなければならなかった。ピーターが提示した予算は十分でなく、ヘッドハンティング会社の利用はセカンドラインの部長以上を採用する場合に限られていた。これはファーストラインの部長など多くのポストは、すべてウェンホアの部署で採用業務を進めなければならないことを意味していた。
 
 だがウェンホアの部署はただでさえ今年は負担が大きい。会社の業績が伸び、規模が毎年拡大しているにもかかわらず、採用部の人員数はそのままである。彼の下には課長と二人のスタッフしかいない。この陣容で全国の採用と労務管理を担当し、さらには契約書類などの人事情報管理の責任も負わねばならない。人手不足であることは明らかだ。

 部下の一人は能力が高く、現在のポストに就いてもう五年以上になる。ウェンホアの右腕として活躍しているが給料はいまだに六〇〇〇元を少し超える程度だ。レスターが三年前に中国に出向してきてから、ウェンホアは彼を幹部社員に昇進させてほしいと何度か頼んだが、レスターは頑なに認めなかった。正当な理由もなく、ただウェンホアの部署は規模も小さいし、幹部社員に昇進させればハワードが黙っていないだろうと言うだけだった。
 人事部長を長く務めているウェンホアには、それは理由にならないことは明白だ。社長のハワードが部長職以下の人事に口出しすることなどあるだろうか。まして、この昇進人事は社内規定に抵触するところは全くない。ウェンホアはレスターの考えが全く理解できなかった。
 
ウェンホアに何度も部下の昇進を求められたレスターはこう言った。
「わが社の待遇が他社より悪ければ、普通ならもう辞めているだろう。ずっと辞めないでいるという事実が当社の待遇が彼の成果と能力にふさわしいことを証明している」。
 ウェンホアはレスターの論理展開に対して正面から争うほどの気持ちはなく、気長に機会を待つことしかできなかった。今回、「チャイナ・フォーカス」(CHINA FOCUS)プロジェクトのスタートに乗じて、彼はまたレスターにこう尋ねてみた。
「採用業務が忙しくなっています。ジェイソンは会社に対するロイヤリティが非常に高いですし、彼の貢献を認めて昇給してやることはできませんか」。
 
レスターの回答は官僚的であった。
「金の話をするのは良くない。会社には一定の昇給制度があって勝手に規定外の昇給を認めることはできない。そんなことをしたら社内の雰囲気が悪くなる」。
 
「彼が転職してしまうのではと心配です」。
 
レスターは動じることなく答えた。
「人が入れ替わるのも悪いこととは限らない。合理的な人材の移動は我々の会社に新たな風を吹き込こんでくれる」。
 
 ウェンホアは腹が立って仕方がなかった。自分が今すぐにでも「合理的な移動」をしたいと思った。ジェイソンは仕事を始めてもうすぐ十年、すでに三十を過ぎている。ウェンホアの面の皮がどんなに厚くても、彼にこれ以上待ってくれとは言えない。この先五か月は転職しないでくれとひそかに祈ることしかできなかった。
 
 ララがレスターに立ち向かっているのを見てウェンホアは胸がすく思いだった。仕事人間のララがこのようなメールを書けるようになるとは、人は闘争の中で成長すると言うが、それは真実のようだ。
 ウェンホアは考えた。ララはローズよりもはるかに人柄が良いし、熱心に仕事に取組み、めったに問題を起こさない。もし彼女が今すぐこのポストを埋めてくれれば、自分たちの採用業務の負担をいくらか減らすことができる。それに、総務部は北部・東部・南部のオフィス全てに置かれている。彼女は義理堅い人間だから、もし自分が今回彼女の後押しをすれば、忙しくて手が回らなくなったときには、各オフィスにいるララの部下たちに手伝いを頼むことも可能だろう。
 
 ウェンホアはレスターに言った。
「ボス、多くの部署からララの仕事ぶりはローズよりも上だと聞いています。もし彼女を登用すれば、目の前の問題はすぐに片付くのではないでしょうか。彼女もボスに感謝するでしょうし、私の見る限り、彼女は社内でかなり信頼されています」。
 
 レスターは少し考えて首を横に振った。
「総務部長は上海オフィスに置くことになっているが、彼女は上海に来たがらない。社長は反対するだろう」。
 
 ウェンホアは説得した。
「ボス、プロジェクトが完了した後、社長がララに手紙を出しましたよね。その手紙で彼女を非常に高く評価したそうです。社長も同意するのではないでしょうか。彼女も頻繁に出張しても構わないと言っています。二つのオフィスを行き来してしっかり働いてくれるでしょう」。
 
 レスターはハワードが手紙を書いたと聞いて驚き、動揺した。だがその件を知らなかったとは言えないので、少し躊躇ったがやはり首を横に振った。
「特定の人間のために部署を設けることはできないよ。やはり部署があるところに人員配置すべきだ。これは社員全員に適用されるルールだ。もし我々人事部が特例を設けてしまったら、今後別の部署が同じことをするようになるだろう」。
 
 ウェンホアは心の中でつぶやいた――それなら私が総務部長を採用するまでせいぜい気長に待つことだ。彼はそれ以上何も言わず部屋を出た。
 
 ローズが広州に来てララにDBを辞めるように勧めて間もなく、ララは転職活動を始めた。
 
 労働力集約型企業以外のトップ五〇〇企業は、ほとんどが上海か北京に本部を設けており、広州はビジネスの中心からますます遠のいている。会社組織体制を見ると、企業の広州オフィス総務部の最高責任者は総務課長止まりで、トップ五〇〇企業はどこを探しても広州オフィスに総務部長のポストを設けている会社はなかった。
 
 ララは二か月のあいだ転職活動を続け、厳しい現実に直面していた。ローズの退職後、レスターの態度は取り付く島もない。ララは市場でチャンスを探すしかなかった。
 
 ホワイトカラー・ワールド(転職斡旋会社)は、毎年二回、広州で欧米企業とIT企業の転職相談会を開催する。そこで紹介されるすべてのポストの年収は最低でも六万元だ。ララは思い切って直接その転職相談会で運試しをしてみようと思った。
 
 だが実際にはこのような転職相談会で大企業が部長のポストを募集することはめったにない。募集が最も多いのはやはりエンジニア、スタッフ、課長などのprofessional(専門スタッフ)のポストで、そういう職を探している場合はこのような採用イベントに行ってみるのも悪くない。転職の手がかりを得られずに焦ったララはとにかく手当たり次第にぶつかってみようと思い、相談会に出かけた。
 
 転職相談会はかなりの人だかりで、心臓が弱い人は絶対に騒がしさに耐えられないだろう。ララは人ごみをかき分けながら自分自身に言い聞かせた――トップ五〇〇にしか行かない、絶対に部長じゃなきゃダメ!
 
 彼女はHEPのブースの前で本当に総務部長職募集の貼り紙を見つけた。HEPはアメリカのトップ五〇〇で家電メーカーである。今回は珠江デルタ地域に工場を建てるため総務部長を募集していた。
 
 ララは、この工場は広州ではなく、広州のはずれにある小さな町に建設されることに目を止めた。求人広告には「広州市内と工場を結ぶ送迎バスがあります」と明記されている。
 
 ララは自問した――毎朝六時半に起きて夜十時半に寝る生活でも平気? 病院に行かなきゃいけない、美容院に行きたい、デパートで買い物したい、と思ったら休みを取る必要がある。さもなければ週末を犠牲にするしかない。遅刻もできない、だって工場は市内からすごく遠くて交通の便が悪いから送迎バスに乗るしかないもの。
 
 決して満足できる条件ではなかったが、ララは部長職に就きたいという思いがかなり強かった。彼女は自分に言い聞かせた――二年間我慢して履歴書にトップ五〇〇での部長職の経歴を書くことができれば、次は市内の中心部で部長職を探すのがずっと楽になる。今はただ話を聞いてみるだけだし、すぐに決めるわけじゃない。話を聞くだけなら損はない、これも経験だと思えばいい。
 
 ララはその場で腹を決め、人ごみをかき分けて履歴書を渡しに行った。彼女は最初に高い位置に貼りだされた求人広告しか見ていなかったので、履歴書を渡す段になって初めてそこに座っているHEPの採用担当者の様子が目に入った。
 
 彼女に応対したのは三十歳前後の若い男性で、髪はゴワゴワしていて黄色っぽく、髪型は一見しただけで下手な理容師がカットしたであろうことがわかった。安っぽいスーツのインナーにメリヤス編みの青いセーターを着て椅子に座っていたが、片時もじっとしていることはなく、頭を揺らしたり腕を伸ばしたりしていた。
 
 彼はそっけない態度でララが両手で渡した履歴書を受け取り、パラパラと適当にめくって、彼女の現在の役職が総務課長であることを確認すると、彼女と全く目を合わせずに結論を述べた。
「あなたのキャリアで総務部長に応募するのはまだ早いですね。弊社には別に総務部長補佐というポストがあり、食堂と保安、緑化、車両を担当します。このポストなら応募可能です」。
 そう言いながら彼女の履歴書を指で弾いた。
 
 野暮ったい髪型とスーツの下に見えるメリヤス編みのセーターはまだしも、全身をやたらと動かすジェスチャーが不快で、ララはその場から抜け出したくなった。
 
 職探し中なんだから我慢しなきゃと懸命に自分に言い聞かせ、彼女は丁寧に説明した。
「総務部長の主要な職務はオフィスの大規模リフォームプロジェクト管理です。今の会社で総務部長が不足していたため、幸運にも私がそのようなプロジェクトの管理を任されました。社長からいただいたこの手紙は私がそのプロジェクトで活躍したことを証明してくれています。ですので、自分は総務部長職に適任だと確信しています。ただ、会社はこのポストを上海に設けていて、私は広州に住んでいるので、やむをえず広州で働く機会を探しているんです」。
 
 HEPの採用担当者は煩わしそうに、話を遮るような手ぶりをして言った。
「そこまでの説明は結構です。我々には我々の採用基準がありますので」。
 
 ララは笑顔を作って後ろの人に場所を譲るしかなかった。彼女は心の中でひそかに腑に落ちない思いであった。同じトップ五〇〇の人事でもこんなにレベルに差があるのか。ウェンホアの部下のジェイソンは、レスターがずっと彼の昇進に反対していて、給料も安いそうだが、HEPのこのひどく傲慢な採用担当者と比べればずっとプロフェッショナルだ。
 
 ララは思った。目の前のこの採用担当者から判断するだけでも、この会社には全く期待できない。彼自身がこんなレベルでHEPに優秀な人材を招くことができるのだろうか。たとえHEPに総務部長として採用されても行きたくない。一日中こんな人たちと一緒に働いたって絶対面白くない。レスターの下で適当に働いている方がずっとまし。課長の私にだってレスターはとても礼儀正しく接してくれるし、立ち居振舞いもまるでハリウッドスターのようで、少なくとも目の保養にはなる。
 
 ララはHEPのブースを離れてしばらく考えたが、ここで引き下がるわけにはいかないと思い、また他の大企業のブースをあちこち見て回った。するとトップ五〇〇の化学品メーカーを見つけた。黄埔経済開発区にある工場で似たようなポストを募集している。おそらく製品の付加価値が高いせいだろう、この会社の社員はレベルがずっと高く、自分に合いそうな気がした。履歴書を手渡し、採用担当者と少し話をしてみると、DBの総務部長と比べればかなり楽そうな仕事だと思ったが、やはり勤務地の問題が彼女を躊躇わせた。ずっと市の中心部で働くことを希望している彼女は結局がっかりしてその場を去るしかなかった。
 
 会場の人ごみを抜け出すと、すでに三~四時間も経っていることに気づいた。顔全体がベタつき、エレガントなベルベッドのジャケットも少しよれていた。ハイヒールを履いて長い時間立っていたため、足が痛くてたまらない。
 
 彼女は疲れて落ち込んでいた。誰かにこの辛さを訴えたくて携帯を取り出したが、誰に電話したらいいか分からなかった。
 
 帰宅してハイヒールを脱ぎ捨て、ソファーに倒れ込んだ。そして、ドクンドクンと脈打つこめかみを押さえて、どうしたらいいのかと考えた。
 ホワイトカラー・ワールドは珠江デルタ地域では質の高い転職相談会だということはよく承知している。しかし、ここでは自分の期待しているような仕事を見つけることはできない。転職相談会という線は諦めたほうがいい。ララは考えた結果、ヘッドハンティング会社を探してみることにした。
 
 DBが利用しているヘッドハンティング会社は「伯楽」と「科鋭」だから、その二社以外ならどこでもいい。。しかし、一体どこのヘッドハンティング会社に相談したらいいのか見当がつかなかった。優良ヘッドハンティング会社はどこなのか、どうやって連絡を取るかも分からない。ララは途方に暮れてため息をついた。
 
 だんだんと夜が更け、彼女は暗闇に包まれて深い眠りについた。

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GO! ララ、GO! (16)

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十六 最後のローズ

 ララが広州に戻り、ローズは職場復帰した。

 バンド界隈にその名を馳せた華やかな上海美人、誰もが思わず振りかえったあのローズが、今や路地裏で雨に打たれるライラックになっていた。口さがない連中は、運命に弄ばれたのか自ら招いた結果なのか、と噂しあった。
ローズの腹部は平らで、レスターに子どもは流れてしまったと打ちひしがれた様子で報告した。レスターは慈愛に満ちた祖父のように彼女を慰め、二人は和やかに昼食をとった。

 現在のレスターは世界で最も気楽で快活な人間である。プロジェクトは順調に完了し、ローズも帰って来た。これからはもう総務部門の業務を心配しなくともよい。この半年間、基本的にはララが一人で総務部を引っ張ってきたが、何といってもまだキャリアが浅いので常に傍で見ていなければならなかった。今はもうその心配はない。以前のように指示だけ出しておけば済む。彼はララに対して賢明な対応をして幸いだったとひそかに喜んだ。でなければ、ローズが急に戻ってきた今、二人の総務部長を前にして頭を抱えていたことだろう。

 ローズはレスターのおごりで昼食を終えると、オフィスに戻って頭を切り替えた。ドアを閉め、素早く受話器をとってララに電話をかけ、猫撫で声で言った。「お疲れ様だったわね。近いうちにお食事でもご一緒したいんだけど」。

 ララはローズのお腹が平らであることはすでに聞いていた。彼女は前々からそんなことではないかとは思ってはいたが、ローズのプライベートに関わる気はもともとない。お腹の子について聞くのもはばかられ、他に言うべきことも見つからなかったので、ララはただ「お久しぶりです。私にご馳走させてください」とだけ言った。

 ローズは親しげな口調で「どっちがごちそうしても同じよ。ずいぶん会ってないから、おしゃべりでもしたいと思って」と言った。だがローズといったい何を話すべきなのだろう。

ローズが会社から帰ると母が愚痴をこぼした。「家にはやらなきゃいけないことが山ほどある。私は家でも外でもバタバタで、いっそ千手観音にでもなりたいくらい。それなのにお前はこんなに遅くまで何をしていたのよ」。

 ローズは「会社でちょっと片付けておくことがあってね」とローズは適当に返事をした。

母は興味津々で「お前がいなくて、あのプロジェクトうまくいったの?」と尋ねた。
 ローズはだるそうに「あのくそまじめなララが全部一人でやってのけたわよ」と答えた。
 ローズの母は意外に思った。
「なかなかやるじゃない。なら彼女に仕事を任せて、お前は自分のことを早く済ませればいい」。
「レスターは彼女を昇進させるはずがない。でも実際にはララは部長候補に最適だわ」。
 ローズの言葉の端々には、彼女がレスターという人間を見抜いていることが表れていた。
 ローズの母は「私たちとはもう関係ないんだから、やりたいようにやらせれば」と娘をなだめた。
 ローズは悔しそうに言葉をつづけた。「レスターもひどすぎる。ララみたいないい部下をつけるのはもったいない」。
 「お前は彼にはララを昇格させる気はないと言ってたじゃない。ほうっておきなさい」。
 ローズは冷笑を浮かべて言った。「ふっ、そのうちララを昇格させたいと思う日が来るわ」。
母はまだくどくどと「お前もいいかげん図太いよ。半年間もおなかが大きいふりをして。今日は会社で彼に子どもは助かりませんでしたって報告したとき、彼は信じてたの?」と聞く。
ローズの眉がピクリと動いた。「信じるわけない! 一度だって信じてくれたことなんかないもの!」。
 ローズの母は驚いて、「それなら会社に戻ったのはどういうつもり? もう会社のことに関わっちゃだめよ。DBから半年も有給休暇をもらってヨーロッパで羽を伸ばしてきたんでしょ。それで少しは鬱憤も収まったんじゃないの」と言った。
 ローズは適当に「うん、うん、わかってる」と返事をした。

 翌日、ローズが出勤して最初にしたことは、口実を作ってララを上海に呼ぶことだった。ララは体調が悪いからまた今度にしてほしいと面倒くさそうに断った。
ローズは待ちきれず、すぐに自分で広州に飛んだ。ララに会うと笑顔を作って手を握り、「お疲れ様、また痩せたわね」と親しみを込めて声をかけた。
ララは仕方なく元気を奮い起してローズとレストランに出かけた。贅沢に慣れている彼女だけあって、選んだ店の雰囲気は最高で、ラタンの椅子に沈み込むと気分がだいぶほぐれてきた。

ララは自分自身に言い聞かせた。ローズはここにはいない、私は息抜きのために一人でここへ来たんだ。

 ローズはララが以前のように自分に対して丁重な態度をとらないことにはこだわらず、注文の際にもララに気配りして意見を聞いた。ウェイターがメニューを下げると、ローズはやっと水を一口飲んで微笑みながら言った。「ララ、前よりたくましくなった感じね」。
 ララは「前と変わりませんよ」と謙遜した。
 「いいえ、今は自信に満ち溢れている」。
ローズがことさらに褒めるので、ララは彼女がここに来た目的は何だろうかと考えながら、ララは笑顔を作って言った。
「自信だなんて。働くしか能がないだけです」。
「違うわ、私は感じるの。以前よりもずっとできる人になっている、競争力も前よりもずっと高くなっている。これは今回のプロジェクトで身につけたものよ」。
ララはなんと答えればよいかわからず、うつむいて水を飲んだ。
「あなたの実力は今や課長のポストを明らかに超えている。レスターに昇進のチャンスがあるかどうか聞いた?」。
その話だったのね、とララは思い、ローズの方を見て何も答えずに曖昧に笑った。
 ローズはララに顔を近づけてささやいた。
「私はレスターの性格をよく知っているから今のあなたの思いが痛いほどわかる。だって私は彼下であなたと同じ経験をしてきているもの」。
 そしてララの手を強く握り、励ますように言った。
「気を落とさないで。あなたには部長にふさわしい実力がある。DBがそのポストを与えなくても市場は与えてくれるはずだから」。
ララはますます何も言えなくなった。握られた手を引っ込めたかったが、それも気が引けた。

 ローズはララの手を放し、さらに熱心に話し続けた。
「ララ、あなたは以前レスターの直属の部下ではなかったから気づかなかったかもしれないけど、この半年間仕えてきて彼のやり方がわかったでしょ。私は自分の都合でこんな話をしているんじゃないのよ。だって私が産休を取った後にようやく復職したとしても彼は絶対に私のポストを他人に渡さないで待っている。休職したって私のキャリアには何の影響もないもの。だからあなたが気の毒で仕方ない。昇進や昇給を待っていても彼は何もしてくれない。優秀な社員は彼の下では不満を抱かざるを得ない。逆に仕事ができない社員はサボり放題で何のペナルティもない。この半年間、彼と一緒にやってきたんだから私の言っていることを誰よりよく理解できるでしょう」。

 ローズはララの表情を窺ったが、ララはうつむいたまま手に持ったグラスをもてあそび、何も答えなかった。ローズは故意にしばらく黙ってララに自分の話をじっくり考える時間を与えた。数分後、彼女はまた話を続けた。
「ララ、あなたは賢い人だからわかってもらえると思うけど、あなたが辞めても後任の課長はすぐに見つかる。会社に留まってくれるなら私は仕事で楽ができて大いに助かる。どの部長にとってもあなたのように従順で頼りになる部下を持つのはすごく幸運だと思う。でも、あなたは辛い思いをしたんじゃない? ただ働きをさせられて、レスターにむざむざ利用されて! 真面目な部下をいいようにこき使って、私だったらやってられない。これがあなたじゃなくて北京オフィスにいたワン・チャン課長だったら、絶対にレスターに一発お見舞いしたはずよ。人をバカにして、自分の手柄にするなんて。そんな都合のいいことってある?」。

 ララはローズがなぜこんなに激高しているのか訝しく思った。彼女はチャンでもなければララでもない。赤の他人である。さらに、これまで何の損もしていないどころか、甘い汁を吸いつくしてきた。それなのに何が不満で怒っているのだろう。弱い者を助けるために助太刀しようなんてローズの柄じゃない。この人は自分の友人だったのだろうか、とララは思わず自問した。

 ララはローズが何を考えているのかすぐには理解できなかったが、彼女の話に圧倒されたくもなかったので故意に無邪気な風を装って尋ねた。
「今回のプロジェクトを担当したおかげでいろいろと勉強できてよかったです。この機会を与えてくれたレスターには感謝しているんですよ。彼が私を使ってくれなかったらこんなに成長できませんでした。ふつう二、三年間かけて学ぶこともこの半年間の業務に比べれば足りないくらいです」。
ローズはそれを聞いて心の中で罵った。なんてお人よし! いじめられて当然だわ!
ローズはララの階級意識を訓導するように辛抱強く話を続けた。
「これだけ大きなリフォームプロジェクトを成功させるには、責任者が総務の仕事に精通していて、しかも社内組織や手続きに関するルールを熟知している必要がある。レスターが外部から人材を雇い入れても入社して数か月は仕事に着手することさえできないでしょうね。あの時はレスター自身も時間がなくて焦っていたから、外部の人間を募集するなんて無理な話だった。プロジェクトがうまくいかなかったら、ハワードはどこでジョージCEOをお出迎えすればいい? まさか自社のオフィスを視察させず、ヒルトンホテルにずっと閉じこめておくわけ? そうなったらハワードはお先真っ暗、レスターだって円満退職できない。だから、あなたは彼らの救いの女神だったのよ! あなたが誠実な人だってことは知ってる。あの手この手で復讐するなんて考えたくもないでしょうけど、でも自分の将来も考えなきゃダメなんじゃない? 自分の青春をあのじいさんの退職のために捧げようなんて思わないでしょ、それは誠実さとは呼ばない、愚か者よ! もし私があなただったら、絶対に部長のポストを狙って転職してやる。その時になればレスターにもわかるわ。あなたをちゃんと使ってやれなかったことは彼の損失だということをね。ララ、あなたほどの実力があれば、市場でいいポストが探せないはずがない」。

 ローズは自分が大企業のエリート社員であることも忘れ、下町育ちの本性を露わにしてララのレスターに対する不満を煽ろうとしている。ララには彼女が牙をむき爪をふるい立てる猿のように見えて、口にした水を吹き出しそうになった。
「私のどこにそんな実力があるんですか」。

 ローズは露店のペテン師に加担するサクラのように渾身の力を込めて説得した。
「あなたは当事者だからわからないでしょうけど、私は傍観者だからよくわかるの。あなたはもう部長にふさわしい実力を十分に備えていて、事実上もう半年も部長の仕事をしている。しかもいい結果を出しているでしょ」。

 ローズは嫌な女だし、これも気分のいい話ではない。しかしララはローズの言うことを否定できなかった。彼女の期待に満ちた顔を見て、突然この美女をからかってみたい思いにかられた。
「なるほど。レスターは私を部長にすべきだとおっしゃるんですね。では、どの部門を担当するのが私にふさわしいでしょう」。

 いま総務部長に就いているローズにとっては答えにくい質問だろうと思ったのだが、彼女は思いがけず全く平気な様子で言った。
「それは彼が悩めばいいこと。あなたが考える必要はない。もし既存の適当なポストがなければ、あなたのために新しいポストを作るべきよ。でなきゃ上に掛け合って、社内業務を理解するために各部門をまわって研修を受けさせるか、半年間の海外assignment(派遣職務もしくは派遣任務)に出すとかの許可を取ってくることだってできる。少なくとも給料を三割増しにしてくれてもよかった。彼はそれすらしてくれなかったんでしょ」。

 ローズはキャリアアップについて自分よりもずっと見識が高い。そう思うと彼女への敵意はあらかた消え失せ、ララは笑顔を返した。
「そのお話はまさに『十年の読書に勝る』ですね。こんなに私のことを気にかけてくださるなら、どこかにいいチャンスがあったら紹介してくださいよ。よろしくお願いします」。

 ローズはララの言葉をずばりと撥ねつけた。
「誰かに世話をしてもらうより自分自身に頼るほうが確実よ」。

 話はここで終わった。ローズは出張の目的は果たせたと思ったのか、ようやく料理に専念し始め、繰り返しシェフの腕前を褒めた。
ローズがその晩のフライトで広州を離れた後、ララは彼女の話を反芻した。わざわざ広州に来てとんぼ返りで去って行ったけど、あれだけ言葉を尽くして結局言いたかったのはたった一言、「ララ、DBを辞めなさい」だった。あのしたたかなローズが私の将来にこれほど関心を持つのは何故だろう。ひたすら私を辞めさせようとしている。私のことをライバル視して、自分の今のポストが脅かされるのが心配で私を追い出そうとしているのかしら?

 だがララはこうも考えた。レスターのやり方に関してローズが言ったことは的を射ている。たとえ彼女が産休を取得してから復職したとしても、レスターは彼女の部長のポストを決して他人に渡さなかっただろう。結局、いいように利用されたのはやっぱり私だったんだ。

 ここまで考えて、ララは急に頭に血が上った。この半年間、寝る暇も惜しんで命がけで働いたのに何の見返りもない。挙句の果てに、自分は上海オフィスの至る所でサーカスのピエロのように皆から指を指され噂される存在になってしまった。口が軽い同僚たちは、「ララ、大したもんだな。日焼けして痩せた自分の姿を見てごらん。レスターは君がいないとお手上げだ」と安っぽい同情を示し無責任に彼女を持ち上げる。彼女を好ましく思っていない者は顔を見れば「ララ、昇進はいつ? レスターはきっとボーナスをたんまりくれるでしょうね」と皮肉っぽく尋ねる。

 プロジェクト完了後にレスターが自分に言ったことをララは許せなかった。腹を立ててレスターに尋ねたことを思い出した。「会社に貢献した優秀な社員たちの利益は原則に照らして守ることはないんですか。会社は彼らが昇進する余地を考慮しないのですか」。

 ララはレスターのあの冷酷で融通のきかない答えを永遠に忘れない。「中には手を打ちようがないこともある。明らかに不合理だと分かっていても、よりよい解決方法がないからこそ、時には優秀な社員が流失してしまう原因ともなる。残念だが仕方がないことだ」。

 ララは昇給を要求したときに聞いたレスターの言葉も思い出した。「金の話をするのはまずい、仕事は金のためにするのではない」。
半年前にローズが切迫流産の恐れがあるため休暇を取ると宣言し、レスターが自分にプロジェクト担当を引き継がせたときの励ましの言葉もありありと思い出した。彼はララがこの重要任務で「これまでにない価値ある経験から多くを学ぶことになろう。君自身の社内における競争力は確実に新たな段階に進むだろうと信じている」と言った。

 また自分がプロジェクト担当になったときに、レスターが特別に許可してくれたたった5%の昇給も今は思い返すだけで胸くそ悪い。
ララは自分の感情をコントロールできなくなった。過去の出来事が映画のシーンのように次々に思い出され、怒りで呼吸が乱れて爆発しそうになった。どこかコンクリートの地面にでもコップを思い切り投げつけて粉々に砕いてやりたい。
レスターはどうして私をこんな目に合わせるのか。「自分の考えが甘かった」というだけでは説明しきれない。彼女は考えすぎてこめかみがズキズキしてきた。最後には、まだ三十歳にもならない自分が六十歳になる人間の考えを理解するのは難しいのだろうと認めざるを得なかった。

 ララの前の恋人はララのことを典型的な行動主義者と評したが、この点については間違いない。彼女は納得がいけばすぐに行動に移すタイプだ。
外資系企業での長年の経験は彼女にSMART原則(ここではSMART原則の最後の一条を指す。何事にも必ず期限を設け、定期的に成果を確認すること)を教えてきた。それが彼女の行動基準になり、彼女は時間をコントロールすることに非常に長けていた。どんな仕事に対しても、少しでも遅れが生じると彼女は自分で自分を急かした。一つの問題にかかりきりになり無制限に時間を費やす事態に陥らないようにし、自分の仕事に明確な期限をもうけ、どんなに複雑な仕事であっても予定の期日には必ず何らかの結論を出し、次に進むべき方向を決定する。

 レスターの目的は何なのかララには理解できなかった。ローズが自分に好意を持っていないのは明らかだが、彼女が裏で何を狙っているかについてはどうでもよかった。ララはレスターの部下の中で仕事ができる者や重用されている者を一人一人思い浮かべ、あることに気がついた。今まで仕事でよい結果をあげてレスターに引き立てられて育ててもらった例はないのだ。レスターが主体的に誰かを抜擢するのは自分の手に負えない仕事に直面した場合に限られている。だが代替案があるなら誰も昇進させないし異動させない。
 
 ララはハワードに助けを求めようかと何度も考えたが決心がつかなかった。彼に頼らなければDBで昇進する機会は永遠に来ないだろう。ハワードは彼女にとって最後の希望だ。だが彼の裁量でララが部長に昇進したらレスターから恨まれるに違いない。しかも昇進しても結局はレスターの部下であることには変わりなく、気持ちよく働くこともできまい。さらに経営者層は常に多忙を極めているというのに、天と地ほども職階の違うハワードに直談判などしたら、むしろ彼の不興を買って却って恥をかく結果になるのではないか。ララはハワードと話をすることに怖気づき、自信も持てなかった。

 あれこれ考えてみたがやはりローズの示した道しかない。仕事を探そう。彼女は思いついたことはすぐにやるたちだ。ところが職探しを始めて一か月経っても何の見通しもつかなかった。

 ローズはしょっちゅう電話を寄越してララに探りを入れたが、ララの動向を聞き出すことはできなかった。転職先を探し始めていないのか、それとも難航しているのか、何の答えも導き出せない。ローズは焦って地団駄を踏み、ララをさっさとDBから追い出せないことがもどかしくて仕方なかった。

 ローズは癇癪を起さないように気をつけながらララに言った。
「ララ、私たちは七十年代生まれだから毛沢東語録をよく暗唱したでしょ。『一万年はあまりにも久しければ、ただ朝夕を争わん』、この意味はわかるでしょ」。
「ありましたね。抗日戦争の時に言ったものでしたっけ」。
「抗日戦争の話なんかじゃない。青春はいつの時代も苦しくて短いものなの」。
 ララは適当に答えた。
「わかっています。バラだって花開くべき時に花開くべきで、枯れて散る時期になってからようやく花を咲かせようなんて思わない方がいい。私も最近はいいお相手を見つけようと頑張っているんですよ。お金持ちで、ハンサムで、私を愛してくれる人。そうすれば私もこんなに苦労しなくてすみますから。あくせく働くのは愚かな女だけ。もういいんです、レスターの下でやってくことにします。どこへも行きません。適当にやっていればいいなら、この会社以上のところなんてありませんよ。アメリカ人の定年は六十五歳だから、レスターが退職するまでまだ何年もある。私はここで彼とやっていくと決めたんです。みんなと一緒に毎年八%ベースアップして、五年も働けば月給は九千までいかなくとも八千元にはなります。これだけで十分に人から羨ましがられます」。

 ローズは怒りの余り頭から湯気が出そうだった。この木偶の坊のララにはもうなす術がない。こうして一か月、二か月と過ぎ、すでにオーストラリアに移民する手配を済ませていたローズはこれ以上ぐずぐずしていられなくなった。彼女は会社の誰にも、どの部門にも黙ったまま逃げるように会社を去った。労働法に定められた退職の一か月前には上司に申し出るという規定にも従わなかったため、レスターはローズの動向について全く感知できていなかった。

 ローズは欠勤が三日間も続き、携帯の電源も切られたままだった。レスターはやむを得ずローズの自宅に連絡を取ったが、誰も電話に出ることはなかった。ローズはわざと離陸前に、DB上海オフィスの元同僚たちに心のこもった「Farewell(さようなら)」メールを送った。レスターは自分の価値観を疑いそうになるほどの大きなショックを受けた。

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