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GO! ララ、GO! (15)

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 十五 一〇〇一話のジョーク

ウェイの運転する車は繁華街からひとつ奥まった住宅地へと入っていった。住宅地内の木は青々と茂っており、芝生はきれいに刈られている。暗闇の中で建物の外壁が赤いレンガであるのがぼんやりと見てとれた。ララは訝しげに尋ねた。「ここはどこですか?」。ウェイは「僕の家だ」と手短に答えた。

 ララはどういうことなのか理解できずにいると、ウェイは「ここに車を置いてタクシーを呼ぼう。運転しなければ酒が飲めるから」と説明した。

ララは「ああ」と頷いてから心の中で文句を言った――事前に何も説明しないで人を自宅まで連れてくるなんて、あなたもEQは大したことないわね。

ウェイは車を駐車場に入れ、「何を食べに行く? 三つの選択肢があるけど」と言った。

ララは前回の教訓があったので「お好きなところでいいです。どうせ私が選んでもそこには行かないんでしょ」と答えた。

「そんなふうに拗ねるなよ。じゃあ、今日は上海料理にしよう。餅の炒め物が好きだって言ってたから、肇家浜路の蘇浙杭は? なかなかいい店だよ」。

 ララは餅の炒め物でお腹を満たした。ウェイは餅炒めにはたいして箸をつけず、ほとんどララにたいらげさせた。他にも彼女は酔っぱらい蟹を満足いくまで食べ、クラゲの和え物にも舌鼓を打った。満腹になるにつれ、ずっとこらえていた悲しみや怒りがほぐれていき、彼女の顔に血色がもどって元気も出てきた。やはり「人が鉄なら、飯は鋼」〔人は腹を満たしてこそ力が出る〕は真理で、人は満腹になると怒りの感情が鈍くなるものだ。

 何杯かの赤ワインが彼女の瞳をさらにきらきらと潤ませ、話し方も柔らかくなった。もはやがむしゃらに働くだけの意地っ張りではなくなって、時には可愛らしく笑い、しなやかな腕を大きく動かして生き生きと話した。興に乗ってくると、髪留めを無造作に外し、栗色に染めた艶やかで長い髪が肩甲骨の下まで滝のように流れ落ちた。

 酒も食事も十分に堪能した二人は蘇浙杭レストランを出て肇家浜路でタクシーを待った。ウェイは「まだ早いから、上海を案内してあげよう」と提案したが、ララはそっけなく「田舎者扱い?」と断った。ウェイが「だが地元の人間でもないだろう」と言うと、ララは「それは私が田舎者だって言っているのと同じことよ」と声をあげて笑い出した。ウェイは通りを走ってきたタクシーを目の端で見つけ、呼び止めながら、「君はどうして屁理屈ばかりこねるんだろうな」と笑った。ララは「なんで田舎者なのかについて話してあげましょう」。と彼の腕をひっぱった。ウェイはタクシーを止め、ララをなだめてタクシーに乗せながら、言った。「いいよ。元ネタがあるならその話を聞かせてくれよ」。

 ララは芝居っけたっぷりに話し始めた。

「少し前まで、上海では地方出身者を十把一絡げに田舎者と呼んでいたの。上海以外の人はみんな田舎者。まあ無理ないかもね。だってパリのバスの車掌さんもパリ以外の全世界の人はみんな田舎者だって思ってるんだって。で、上海の話に戻るわね――上海の大金持ちはお手伝いさんも地元の人しか雇わないそうよ。ある日の明け方、呼び鈴を鳴らす人がいました。主人は誰かと尋ね、お手伝いさんが玄関まで見に行って戻ってきて言いました。二人の田舎者です。それで主人はまた言いました。どこから来たのか聞いてこい。お手伝いさんは二人の訪問者に『あんたたちどこから来たの?』、二人は答えました。『北京から参りました』。お手伝いさんは主人のもとへ走って行って言いました。『ご主人様、北京の田舎者が二人たずねて来ました』――」。

北京出身のウェイは話の意味を理解した。「やるなあ、ララ。僕へのあてこすり? それとも上海人への皮肉?」

ララは「田舎者はとっくの昔に中立的な言葉になってるわ。上海で言う『田舎者』は『地元以外の人』という意味でしかない。広州では広東人以外はみんな『北方人』と呼ぶのと同じ」とウェイをはぐらかした。。

ウェイが飲み干した赤ワインはララよりもやや多く、DYNASTY〔中国のブランド「王朝」ワイン〕の三分の二本は彼の胃に入っていた。血液循環がよくなると人は愉快になってくるものだ。食後にはララの間抜けな笑い話が心地よく感じられた。そして「へえ、笑い話の才能まであったのか。他にどんな笑い話がある? もう一つ話してくれよ」と言った。

 ララは調子に乗ってほらを吹いた。「もちろんよ。私には笑い話のネタが千一個あるんだから。でも一回に一つだけ。次は禿頭クラブの話をしてあげる」。ウェイは「いいね。それなら千一回、一緒に食事できる」と同意した。

ララは突然 「パラマウント、パラマウント!」と大きな声を出した。ウェイが彼女の指差すほう見ると、タクシーはちょうどパラマウントビルを通り過ぎたところだった。彼は「パラマウントがどうしたんだ?」と不思議に思ったが、ララは「映画に出てくるあのパラマウント?」と確かめた。「そうだよ、ダンスホールだ」とウェイが答えると、ララは興奮して言った。「すごい! 子供の頃に観た映画では、大富豪、スパイ、地下組織、みんなパラマウントに来てたのよ!」。ウェイは適当に話を合わせ、「行ってみたい?」と聞いてみた。「女性の歌手が『夜上海』をまだ歌っているかどうか見てみたい」とララははしゃいだ。ウェイは内心「それはないだろうな」と思いつつ「たいして面白いところじゃないよ。中年以上の人たちが来るところだ。誰かに聞いてみてまだ歌ってるようなら連れて行ってあげよう」と答えた。ララは興をそがれて「じゃあ、どこなら面白いの?」と聞いた。

「ここは社交ダンスを踊るところだよ、どこが面白いのかね。僕ならディスコのほうがいい」。

ララは「私はディスコダンスなんてできない。心臓が悪いから」と不満げだ。

 ウェイは笑った。「ディスコに行ったからって踊らなくてもいいんだ。今からいい所へ連れて行ってあげよう」。

 ララはウェイをひと睨みして彼に背を向けて窓の方を見て、彼に気づかれないように暗闇の中で「EQ低すぎ!」と小声でつぶやいた。

  ウェイはララをバーへ連れてきた、このバーは2フロアに分かれていて、各フロアの面積は二〇〇平米ほど、一階のフロアには大きなスクリーンがある。ちょうど英語の映画を放映していて、中央には長方形の特大のクーラーボックスを置いて、ブロックアイスの間には様々な銘柄のビールが差し込まれていた。ウェイはララを引っ張って行き、クーラーボックスを見せて説明した。「ここは二〇〇種類以上ものブランドのビールがあるんだ」。ララは氷の中から何本か引っ張り出してみたが、どれも見たことがなかった。風変わりなブランドばかりで、ラベルには世界各地の文字が印刷されている。彼女は少しも興味がわかず、引っぱり出したビールをもとの場所にもどした。

 ウェイはとなりで「見る目がないな」と言った。ララは見る目がないと言われ、かなり不愉快になったが我慢して取り合わなかった。ウェイはそれには気がつかず、ララに二階に行こうと熱心に誘った。二階は一階より静かで照明はほのかに暗い。オールディーズが流れ、客は優雅に酒を飲みながら談笑しており、中央にはそこそこの広さのダンスホールがあった。

ウェイは「ビールでも飲もう」と提案し、すぐに自分でビールのブランドを選んだ。ウェイターはララにも注文を聞いたが、ララはよくわからないので、ウェイがララにも自分と同じ銘柄を頼んだ。ララはウェイターに黒ビールにするか白ビールにするかをさらに尋ねられて驚いた、ビールといえば黄金色だ。白や黒の種類があるなんて全く知らなかったからだ。ウェイはまた提案した。「白にしておこう。黒は君が飲むには少しヘヴィかもしれないから」。

ララは自分が恥ずかった。稼ぎが少ないからビールの白黒も知らないんだ。彼女はビール瓶をひっつかんでウェイを殴りつけ記憶をなくさせれば、自分が白黒の区別もつかない人間だとバレなくて済むのにと思いながらも、顔には作り笑いを浮かべ、恨めしさと恥ずかしさからくる怒りを隠した。

お酒がくると、二人は一緒に飲みだした。一方が一杯飲めば一方も一杯、飲めば飲むほど愉快になっていき互いに互いの顔を見ながらげらげらと笑った。

 ウェイは「君はどうして僕をいつも批判するの?」と聞いた。ララは「批判なんて、いつしましたっけ?」と否定したが、ウェイは笑いながら「EQが低い、っていうのは褒め言葉かな」と言い返した。ララは目を泳がせて「そんなこと言ってませんよ」と言い逃れをした。ウェイはララの胸を指差した。「心の中でも?」。ララは言い張った。「私にはあなたに何か言う資格なんてありません。私のEQのほうがもっと低いし。あなたは本部長、私はヒラの課長に過ぎないんだから」。ウェイは彼女が社内の地位を持ち出したのを聞いて、言った。「そんなつまらないこと」。ララはかんしゃくを起こした。「つまらなくて結構。どうせ私はバカよ」。ウェイは慌てた。「わかったわかった。僕が間違っていた。リラックスしてもらいたくて連れてきたのに。こういう場所は嫌いかい? 君に気に入ってもらえると思ったんだが」。

「誰が嫌いだなんて。ここのダンスホールが好き。サックスの音色も大好き。悲しくて善良で、私と同じね。勇気もないくせに妄想だけはできるなんて典型的なクズなのよ」。

ウェイは訳が分からず尋ねた。「じゃ僕はなんだと言うんだ?」

ララはため息をついた。「私はあなたがなんなのか知っている。でもあなたには私が何なのかわからないでしょうね」。

ウェイは少々不愉快になったが、気に留めていないふりをした。「じゃ、君が何者なのか教えてよ」。

ララはそれには答えず、ダンスホールのほうへ体の向きをかえた。スピーカーからは「ムーンリバー」が流れている。

「踊る? 一曲つきあってくれる?」

ララは頷き、ウェイは彼女の手を取った。

ララはウェイの肩にもたれ、ふらふらとしつつも、言葉にできない心地よさを感じていた。ララは思った。ウェイのEQが低くなければ、もっと素敵だったはず。

 ビールの酔いにムーンリバーの甘いメロディーが加わり、ウェイの肩にもたれた心地よさから彼女はとうとう泣き出してしまった。重苦しく、落ち込み、ふさぎ込んでいた日々が止めようのない涙と鼻水となってウェイの上質な背広を濡らした。

ウェイはハンカチを取り出してララに渡し、彼女の肩に置いた手に少し力をこめて抱き寄せ、軽く揺らし続けた。彼女は彼の胸の中で声もなくすすり泣き、秋風に吹かれる木の葉のように小刻みに体を震わせていた。

ウェイはララを哀れに思ったが、彼女を十分に理解してはいなかった。ララが悲しんでいるのはわかる。きっと悲しむ理由があるのだろうとも思う。しかし、彼女がなぜこんなにも悲しまなければならないのか彼には理解できない。本当にEQが足りないのだろうか。この次は彼女の望みをきいてパラマウントに連れて行ってやろう。

音楽が次の曲に換わるとき、ララはこっそりとウェイの肩越しにフロアの向かいにある鏡を見て笑顔を作った。そしてその表情のまま何事もなかったかのように席に戻り、ウェイにもうホテルに戻らなければと言った。ウェイはもちろんララをホテルまで送っていくつもりだったが、意外なことに彼女はその申し出を断った。ララはきっぱり「大丈夫です。ご自宅とは正反対の方向ですし、お互いに疲れているし、送っていただかなくても結構、。私も酔ってもいませんから」。

ウェイはすこしためらったが、ララがタクシーに乗ると彼もすぐにあとから乗り込んだ。ララは驚いて「どういうこと? 一人で帰れるのに」と声をあげた。「運転手さんを待たせてはいけない。どこのホテル?」。ララはウェイを指して「あなたが勝手に送るんですからね、私は頼んでない!」と言い、ウェイはララをあやすように言った。「そうそう、僕が送りたいんだ。で、どこのホテル?」ララはホテルのカードキーをウェイに投げてよこした。「ここよ」。そう言うと首を垂れて眠ってしまった。ウェイは仕方なく彼女のルームキーを見て、運転手に指示を出した。「寿路と交洲路の交差点のホリデイ・イン ビスタに行ってください」。

 ホテルの近くまで来ると、ウェイは軽くララを揺り起こした。「おい、大丈夫? 飲みすぎた?」。ララはぼんやりした甘え声で「うん」と返事をした。ウェイがララに「入口までは支えてやるよ。ちゃんと歩ける? ロビーに入ったら自分で歩いてくれよ」と言うと、ララは意地をはって「何を言うの! ロビーについたら私はふつうに自分で歩く。私はみっともないことはしないの」と言い返した。ウェイは「そうか、自分で歩けるんだ、それならよかった」とからかった。ウェイは料金を払い、ふらふらのララを支えてタクシーを降りた。心の中では自力で歩けるものなら歩いてみろ、とつぶやいていた。

ロビーに足を踏み入れると、ララは意外にもしゃんとして自力で歩きだし、さらには威厳たっぷりにウェイを一瞥した、ウェイはこっそりいぶかしんだ。自分のEQが本当に低いのか、それともララの意志が特別に強いのか?

彼らはロビーを通り過ぎ、エレベーターの前まで来た、ララは淑女のようにウェイに別れを告げた。「ではお部屋に戻ります。送っていただきありがとうございました。」

 ララは手を振ってウェイをエレベーターの外に閉めだし、上の階へと行ってしまった。

 ウェイはしばらくポカンとしていたが、ロビーを出て数分後にララの部屋に電話をかけてみた。するとララは何事もなかったかのような口調と態度でしとやかに言った。「お部屋につきました。どうぞご心配なさらないで。おやすみなさい」。ウェイも「おやすみ」と答え、どうにも不思議な思いを抱えて帰宅した。

  翌日、ウェイは出勤したが、午前中いっぱいララの姿を見かけなかった。彼は気持ちを抑えイザベラに総務部へ探しに行かせることもしなかった。午後もかなり遅くなった頃、ようやくララを見かけた。ウェイがララに内線電話をかけようか迷っていると、「ポン」と音がメールの着信音が響いた。ララからだ。彼は急いでタイトルを見た。「sorry」。これは私用のメールに違いない。心の中の期待と好奇心からすぐにメールを開いたが、内容は彼を大いに失望させた。そこには何の感情もこもっていない文字が並んでいたのである。

「タイトルのとおり」。いかなる想像が入り込む隙もなかった。

 ウェイは失望し、怒りも感じた。彼はこのメールに返信をした。内容はたった一つの顔文字---- :-)

 君が簡潔なのを好むなら、僕だってそうするさ。当分の間はララを誘わないことに決めた。それでも彼女が何事もなかったかのように涼しい顔で「タイトルのとおり」などというメールを寄越すかどうか見てやろう。

  しかし、ララは「タイトルのとおり」と本文に書いたメールを送ってこないだけでなく上海オフィスにすら姿を見せなくなった。一週間ほど経ってから、ウェイが総務部に尋ねるとララは広州に帰ってしまったと告げられた。こうしてウェイは三か月あまりララと会えなくなったのであった。

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GO! ララ、GO! (14)

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十四 食事に誘った理由


 ウェイは窓ガラスの向こうの廊下をララが憂鬱そうに歩いているのを見かけた。急いで部屋を出て声をかけようと追いかけたが、彼女はすでに幹部オフィスのドアの前にいた。

 部長の間延びした声がかすかに聞こえる。「ああ、ララ。君の顔を見ると心苦しいよ。会社が君に苦労をかけてすまなかった」。

 ウェイは心の中で「このくそったれ!」と罵倒した。その男らしさに欠ける声は子供のころに聞いた「イタチの年始回り」〔ニワトリを狙うイタチが猫撫で声で新年の挨拶に来る寓話〕を思い出させた。

 ララはなんとか気持ちを奮い立たせ冗談めかして言った。

「からかわないでくださいよ。私を泣かせたいんですか。ここで泣いているときに社長が来たら、あなたに泣かされたって言いつけますよ」。

 そう言いつつも目のまわりが熱くなってくるのを止める術はなかった。

ウェイはその光景を見て急いで自分の部屋に戻り、少し考えてから補佐に電話をかけ、「イザベラ、ララを呼んでくれ」と指示した。

 部屋に入って来たララはドアを背にして立っている。ウェイは座るように促した。

「ララ、雲南のみやげにプーアル茶をもらったんだ。いい味だよ。飲んでみないか」。

「ありがとうございます」。

 ウェイはイザベラの手を借りず、自らララにプーアル茶を淹れた。

 ララは一口飲むと「美味しいですね」と言ってから、何か聞きたげにウェイの顔を見た。

「ララ、自分を見てみろ。まるで殺気だった猫みたいに肩をいからせてる。僕は猫と喧嘩しようとしている犬じゃないよ。そんなに警戒しないでくれ」。

「そんな。私はただお仕事の指示を待っているだけですよ」。

「上海オフィスのリフォームプロジェクトという大仕事を見事にやり遂げたね。ハワードにとっても大助かりだ」。ウェイはララを喜ばせたくて心のこもった賛辞を送った。

 だがララは沈んだ声で「これが私の仕事ですから」とだけ答えた。

ウェイは「どこが君の仕事なんだ。君は広州オフィスの総務課長なのに」と首を横に振った。

 ララは肩をすくめた。「もともと私の上司のローズ部長の仕事でしたが、彼女が切迫流産で入院してしまって、私が穴埋めするしかなかったんです」。

「ローズの仕事ではなく、君の上司のレスター本部長の仕事だ」。ウェイはララの職責に対する考え方を訂正した。

 ララは笑った。「あれはレスターにとって確かにかなりのimpact(衝撃)でしたよね」。

「impactというなら一番影響を受けたのはハワードだ。彼にとっては最重要事項だから」。

 ララは目を伏せて言った。「ええ、わかっています」。

ウェイは心配そうに尋ねた。「ララ、ジョージ・ゲイツCEOが中国に来たときにTown Hall Meeting(全社規模の対話集会)にどうして参加しなかったんだ?」。

 ララは疲れた様子で言った。「疲労困憊でした。その前日は徹夜だったから」。

 「CEOがオフィスに入って来てからずっと彼を見ていたね。感想は?」

 ララは少し興味をそそられたように、「わが社のCEOはビル・ゲイツによく似ていると思いません?」と尋ねた。

 「他には?」 

 ララはまた急に興味をなくして憂鬱そうに言った。「私とは関係ありませんよね。CEOはあまりに遠い存在で、たとえクリントンに似ていてもだから何なのって感じ」。

 ウェイは笑った。「そうだな。でもレスターは君の近くにいる」。

 ララはデスク見つめながら答えた。「それを言うなら、一番近いのはローズです」。

 ウェイは、「ハワードは本来なら君からかなり遠い存在のはずだが、そうでもないようだね」と探るように聞いた。

 ララは黙り込んだ。

ウェイは声を抑えて言った。「ララ、just between you and me(ここだけの話)、ジョージ(CEO)は今回上海に来て、中国経済の発展にかなり良い印象を持ったようだ。中国市場の先行きを好感するようになった。どういう意味かわかる?」

 ララは少し自信なさげに言った。「DBは中国への投資を増やし、会社が規模を拡大する、ということですか」。

 ウェイは声を低くした。「順調にいけばハワードは必ず出世する」。

 ララは笑った。「そんなこと、just between you and meの必要はないじゃないですか。掃除のおばさんだって知っていますよ」。

 ウェイは、ララがとぼけているのか、この話題を避けたいのか判断できずに言葉を濁した。「それもそうだな。まあ、面白くもない冗談を聞かされたことにしておいてくれ」。

 ララは少し焦れたように「何かご用があったのではありませんか」、と聞いた。

 ウェイは誠実な様子で「ララ、一緒に食事に行きたいんだ」と誘った。

「以前もごちそうしていただきました」。

 ウェイはララが自分に敬語を使っていることを気に留めないふりをして言った。

「前回は非礼を詫びるためだったが、今度は友人どうしとして気軽に話がしたい。君と僕の二人で」。

 ララは用心深そうにウェイを見た。彼女は本部長たちからの嫌がらせにうんざりしていた。彼らと接触すれば必ず不愉快な思いをさせられる。本部長がララの「友人」であるわけがない。

 ウェイは彼女がすぐに答えないのを見ると、おどけて言った。「今日は疲れておりませんから、お食事が済みましたらホテルまで必ず送り届けることをお約束いたしますよ」。

 ララは彼の言葉に笑った。「そこまでしていただかなくても。私はただ、いつもご馳走していだたくのは申し訳ないと思って」。

「そんなことはない。いわゆるTeam Building(組織作り)、部門間交流だと思ってくれればいい」。

 ララは笑みを浮かべて謝意を述べ、さらに尋ねた。「食事のほかにも、何かご用があったのでは?」

「ああ」。

 彼は手の中でペンをもてあそびながら、しばらく黙っていた。

ララは何かを感じて尋ねた。「私、何かまずいことでもしましたか?」 

「いや。君とデイジーがちょっと言い争っただろう?」

 ウェイが管轄する大口顧客部は、EC・SC・NC(東・南・北中国)の3地域を統括する。各地域に地域部長がおり、デイジーはEC地域部長の下でエリア部長を務めている。上海出身で三十歳前後、まるで天女のような美貌を持ったDB中国で有名な美女である。彼女の陶器のような滑らかな肌にはシミ一つなく、半透明の白い肌にほんのりと血色が透けて見える。ナチュラルウェーブの髪、猫のような吸い込まれそうな瞳の持ち主で、社員たちは西洋人とのハーフではないかと噂していた。

 デイジーはただ美しいだけではなく仕事もバリバリとこなすかなりの高給取りだ。こういう女性は男性に対する理想が高く、三十歳近くなると誰に嫁げばいいかさらに分からなくなり、迷いばかりが先に立った。幸い仕事は彼女を裏切ることはなく、EC地域部長やウェイは彼女を高く買っていた。ハワードも彼女を見かければ微笑んで「ハイ」と声をかける。彼女もキャリアウーマンの例に漏れず気が強かった。

 ジョージCEOが中国に到着する前日、DB中国ではちょうど上海オフィスの片づけを終え、総務部は会社上層部の承認したプランに基づき全ての座席を指定して、全社員をそれぞれ自分の持ち場につかせた。デイジーはオフィスの図面を見るやいなや激怒して、大声でわめきながら上海オフィス総務部長補佐のマギーのところに来て席を変更するように要求した。

 マギーは「この図面は前もって各部門に見せていますし、そちらのウェイ本部長も同意しています」と説明した。

 デイジーは横柄な態度で「ウェイは私に何も言ってない。私は同意したおぼえはないわ」と言い放った。

マギーにも火が着いた。「じゃあお宅の部門はいったい誰が決定権を持っているんですか!?」

 デイジーはもともと総務部など眼中にない。彼女にとっては総務部は営業部に絶対服従すべき部門だ。彼女は見下した口調で言った。

「あんなに忙しい本部長がいちいち図面なんか見ている暇はない。あなたたちが彼に適当なことを言ってサインさせたんでしょう」。

「サインしたということは、承諾したということです」。

デイジーはさらに無理を言った。「とにかく私は動かない。ララを呼んできて」。

 傍で聞いていた者が慌てて徹夜明けのララを呼びに行った。

 息を切らしながら駆けつけてきたララに、マギーは急いで手にした図面を指し示しながら状況を伝えた。「デイジーが指定されたcubicle(区画)は嫌だ、こっちのcubicleにしてくれって言うんです!」

 もうすぐCEOがやってくるというときになって、ララは目から火が出そうになりながらマギーから図面を奪い取り、徹夜明けのかすれ声で怒鳴った。

「私の指示はどうなってた? こんなことで時間を無駄にしないで。あなたは指揮命令系統のルールがわからないの? 急用があるなら本部長から私に連絡させて! でなければジョージが上海を離れてからにして!」

 ララは図面を引き裂いて床に投げつけ、身を翻して去って行った。

 デイジーは怒りのあまり地団駄を踏みながら「そういう態度なら、こっちにも考えがある!」と叫んだ。

 マギーは低い声でつぶやいた。「こっちだってみんな怒ってるわよ」。

 デイジーの上司のEC地域部長は、その日は出張で上海にいなかったが、誰かがすぐにウェイに報告しに走った。デイジーは大騒ぎしたが、結局は指定された位置に移動したので、ウェイは安心して今回の件は聞かなかったふりをした。

 その後、ララは機会を探して自分の態度をデイジーに謝罪した。デイジーはあれほどひどく怒鳴りつけられたことは初めてで、しかも同僚の目の前で引っ込みがつかなかったこともあり、ずっとわだかまりは消えていなかった。しかし下手に出ているララを責めることもできず、口先ではララの立場に理解を示したが、内心の怒りはおさまらず、機会があればウェイにララの文句を言った。

 ララはウェイの話を聞き、彼が和解させたいと思っていることが分かった。ララは慌ててデイジーにはすでに謝罪したことを伝え、さらにウェイに尋ねた。「別のcubicleにデイジーの席を移せるか調べてみましょうか。そうすれば、彼女に少しでも満足してもらえるかも」。

 「デイジーのところに行って本人に聞いてみればいい。女性どうしだからそのほうがメンツが立つ」。

 「わかりました。自分で聞きにいきます。原則さえ守れれば、移動できるものは移動しましょう」。 

ウェイはうなずいた。「じゃあそういうことで。仕事を終えたら電話するよ。だいたい7時頃かな。ホールの出入口で待ち合わせだ」。

 ララはドアのあたりでふと思い出したように言った。「私を食事に誘った理由はこれじゃありませんよね。この前のデイジーの件で私の態度が問題だったのなら、私がデイジーにご馳走すべきですから」。

 ウェイは前回の教訓を活かし、すぐに立場をはっきりさせた。

「疑うな。そんなつもりじゃないよ」。

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GO! ララ、GO! (13)

十三 報われない苦労
  ララはウェイと別れ、ホテルの部屋に戻って湯船につかった。わずかに緩んだ蛇口から、水滴が単調で心地よい音をたてながら三秒ごとにバスタブの水面にしたたり落ち、部屋の静けさをいっそう際立てていた。
温かい湯がララの均整の取れた身体を包み、下した髪はゆらゆらと湯の中に広がる。彼女はバスタブの縁に頭をあずけ、湯気で曇った鏡をまっすぐに見つめながら身動き一つせず深い物思いにふけった。私とウェイはどこが違うのだろう。彼はいつも溌溂として輝いているのに、こんなに頑張っている自分は見返りも得られずかえって憎まれ役にされている。幼い頃、先生は「労働が世界を創る」と教えてくれた。だから頭脳労働であれ肉体労働であれ、決して骨惜しみせず懸命に働いてきた。
 また、部下は上司に仕えて働き、上司の手を煩わせることなく、できる限り自分で種々の問題を処理すべきだと考えてきた。でなければ部下は上司にとって何の価値があるだろう。以上二点の原則にもとづき、ララはめったにレスターの手を煩わせず、多くの難題を黙々と処理してきた。
 もちろん彼女も「心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらる」〔肉体労働者は頭脳労働者に治められる(労心者治人、労力者治於人)。出典は『孟子』〕という言葉を学んだことはある。だがこれまでは、自分がDBでよくささやかれるその手の「典型的な働きバチ」――安価な「労働者」――に属す人間だと考えたことはなかった。
 バスタブの湯が徐々にぬるくなり、ララの考えもほぼまとまった。

 自分はこれまでレスターと十分にコミュニケーションをとらず、問題が起きても黙々と処理してきた。そのため彼は、問題がどれだけ起こり、その解決にララがどれだけ働き、解決がどれほど難しかったかについて全く関知していなかった。だから彼にはこの職責を担当する者の重要性がわからない。ボスは自分を重要な存在であると思っていない、そう考えれば、自分は大事にしてもらえる訳がなく、悪くすれば叱責される可能性すらある。
 一方ウェイの業務範囲はセールスだ。セールス業務の大きな特徴の一つは達成目標を数値化しやすいということだ。月次販売額の増加と減少及び会社にもたらした利潤は一目瞭然である。彼は営業成績がよいから重要な存在だと認められる。EQが少しくらい低くても何も問題ない。
 ララはレスターに目をかけてもらえない理由を探り当て、怒りをおさえ気持ちを鎮めてレスターのもとで働くための原則をいくつか決めた。実行に移してみると案の定うまくいった。そしてララのブログには以下のような投稿が掲載された。
 仕事の苦労が報われないときはどうすればいい?
1. 任務の各段階における主な業務内容と処理手順を見やすいチャートにしてボスに送り、「反対意見があるなら〇月×日までにご連絡ください。ご意見がなければこの計画で進めます」と伝える。このプロセスははボスに自分の仕事量を把握してもらう狙いがある。期限を設けるのは強制的にチャートを確認させるため(ボスは忙しすぎてメールを送っても見て見ないふりをするか、開いてもみない可能性だってある)。簡潔な見やすいチャートにするのはボスに時間を取らせず素早く内容を把握させるため。
 2.私がこの部門を引き継いだばかりのころは、ボスの手をなるべく煩わせないという原則に従い、難題が起きてもなるべく彼に任せず、一人で飛び回って多くの困難をなんとか解決した。しかしその結果、ボスは私を軽視し仕事の難しさを全く理解しなかった。その後は戦略を変えて、問題に当面したときには自分で解決法を考えるだけでなく、まずはそのつど自分のソリューションを携えてボスとミーティングを持つようにした。ミーティングはボスが比較的冷静で苛立っていない時を選び、一対一で特定の問題についてだけ討論するように心がけた。まず問題のバックグラウンドを説明し、ボスが解答に困ることがあれば、自分から二つのプランを提示し各案の優劣を分析して聞かせる。そうすれば、容易にいずれかを選べる。このようにして、ボスは私の仕事の難しさと問題が起こった頻度、私の専門知識および積極的かつ自発的に問題を解決する態度と業務スキルについてほぼ理解することができた。
 3.大型プロジェクトが進行している最中には、各段階の重要ポイントで自発的にボスに情報を提供する。どんなに順調に進んでいる場合でも進捗状況を報告し、重要業務のbrief(概要)を説明した。最終結果が出たらすぐに知らせて安心させ、ボスから質問され前に結果を報告するようにした。こうして彼は私に安心して仕事を任せられ、同時に部下を管理しているという実感も得ることができる。
 4.他部門の本部長たち、またはpresident(社長)やVP(副社長)と一緒に仕事をしなければならないときは、特に明確で簡潔にそして自発的にコミュニケーションをとるよう心掛け、できるだけ周到に気配りをした。mailを送るにも話をするにも極めて慎重に言葉を選んで誤解を招かないようにし、本部長たちの恨みを買うような状況は基本的になくなった。こうして私はボスにとって足を引っ張るような問題を起こさない信頼できる部下となることができた。
 ララがblogに投稿したように、やり方を改めてからしばらく経つと、ララとレスターの間には信頼関係が確立し始め、レスターはどんなことでもララに相談するようになった。
 ララは自己研鑽を通じて飛躍的に成長し、以前はぼんやりとしていたキャリアアップについての意識も明確になってきた。彼女は自分の力量を認識し、このプロジェクトの成功は卓越した業績であると確信した。――しかもこのプロジェクトにもし自分が参加しなかったらレスターだけではどうしようもなかった。誰がいなくなっても地球は回り続ける、というのは常に正しいとは限らない。
 自分の価値を理解したことで、ララはレスターが自分にあまりにも薄情だということがわかった。まだ駆け引きには慣れていないが、レスターというこの無理解なボスの下で働くなら自分の利益は自分で守るしかない。口に出しにくくても何も言わなければ、むざむざ搾取されるだけだ。

 彼女は思い切ってレスターに直談判することにした。頬を紅潮させ、「リフォーム・プロジェクトはなんとか順調に完了しました。それから、この半年は総務部全体の部長代理としてすべてを正常に運営してきました。この業務成績は、私が総務部長のポストに就く能力があることを証明できるはずです。私に昇進のチャンスがあるかお聞かせください」と言った。
 レスターはおとなしいララが直に駆け引きをするとは予想もしていなかった。彼は背中がもぞもぞし、姿勢を正した。彼は回答を避けようとした。この件に関する考えが決まっていなかったのだ。彼にとっては、ララが昇進を求めず現状のまま総務を取り仕切ってくれるのが最も好ましい。ララが口を開いたことに彼は困惑し、本能的にとりあえずはララの要求を却下しようと決めた。
 レスターはララが広州を離れたくないことを知っていた。ララにはいささか申し訳ないと思いつつもこれを口実にした。
「君のlocation(所属)は広州だが総務部長のポストは上海に設けられているからどうしようもない。わかっていると思うが、会社は原則としてポストに人を配属するのであって、人のためにポストを設置するのではない。君が広州にいるからといって、会社はこのポストを広州に設けることはできない。分かってくれるね」。
 このもっともな理由にララは何も反論できなかったが、胸の内は「私をプロジェクトのために上海へ出向させたとき、私のlocationは広州で上海ではないことをどうして考慮してくれなかったのか」という怒りでいっぱいだった。
 ララは少し間をおいてから言った。
「レスター、私はいつでも出張します。上海に毎月少なくとも一週間は滞在できます。今までのこの半年間、私はずっと行ったり来たりしながら、全国総務部のルーティーン業務を滞りなくまわし、それと並行してプロジェクトも順調に進めてきました。しかも、私の部下はローズがいたころより二人も少なくなっていたんです。私は代理としてローズの職責を引き継ぎましたが、広州オフィスでは私の職責を代ってくれる人はいなかったし、北京のチャンが退職してからは補充要員もありませんでしたから、それも私が半年も掛け持ちすることになりました。この状況はボスもご存知ですよね。私は一人で課長二人と部長一人分の仕事をしていました」。
 レスターはララがここまで単刀直入に要求してくるとは考えていなかった。少し考え込んでから「そうだ、君はよくやった。しかし、ポストのある所に配属するのが原則だ。原則は必ず守らなければ」と言った。
 ララは声を詰まらせて問い返した。「それなら、会社に貢献した優秀な社員たちの利益は原則に照らして守ることはないんですか。会社は彼らが昇進する余地を考慮しないのですか」。
 レスターは両手を広げた。「中には手を打ちようがないこともある。明らかに不合理だと分かっていても、よりよい解決方法がないからこそ、時には優秀な社員が流失してしまう原因ともなる。残念だが仕方がないことだ」。
 ララは数日前に廊下でピーターに言われたことを思い出した。「ララ、大したものだよ。アジア太平洋エリアでは、君がこのプロジェクトを成功させ、しかも経費も節約したと皆が感心している。ハワードは君の仕事に大満足だ。レスターから社長賞を申請するよう頼んでハワードの承認をもらうといいよ」。
 いいわ、部長にしないというならヨーロッパ旅行に行かせてもらう。ローズが前に社長賞を取ったときの賞金は二〇〇〇ドルだった。私はもっともらえるはず、とララは考えて、つばを飲み込み「プロジェクトの成功に対して相応のボーナスがあるのでは?」と尋ねた。
「ハワードは金の話は一番嫌いだ。金の話をするのはまずい、仕事は金のためにするのではない」。
 ララはそれには答えず、あくまで主張し続けた。「ローズが前に社長賞をもらうことができたんですから、私たちは当然もらえますよね」。だが、レスターはどうやらララには何のインセンティブも与えないつもりらしい。
 ララが口にした「私たち」は実は「私」を意味していた。彼女はレスターと一緒に仕事をしているうちに知らぬ間にレスターの影響を受け、自分のために金銭を要求するときにも「私たち」という言葉を使うようになった。
 レスターはあくまでもララを世間知らず扱いし、「仕事量が膨大なプロジェクトだったからチームは表彰されるべきだね。君は特に頑張った。私は君のためにクリスタルのトロフィーを制作するよう会社に提案しようと思っていたところだ。大きくなくちゃね、小さいのはだめだ。ピーターが費用について文句を言うかもしれない。もし彼が反対すれば、私が自腹を切ってでもクリスタルトロフィーを作ろう」と言いくるめようとした。
 だがララはきっぱりと「ピーターが自分で私に言ったんです。ボスに社長賞を申請してもらえって。反対するはずがありません」と言った。
 レスターはしらばっくれて驚いたふりをした。「彼は私に申請しろとは言ってないよ」。
 ララは黙らなかった。「通常の手続きでは、昇進または特別奨励金を出す際には当該社員の所属する部門がボトムアップで申請がなされるのではないですか」。
 話がここまで来ると、レスターも「社長賞の申請に関連するポリシーは後で調べておこう」と返事をしないわけにいかなくなった。。
 窓の外に一枚のプラタナスの葉がゆっくりと舞い落ちていった。二人は心の内を隠したままひらひらと落ちる葉を眺めて押し黙っていた。
 ララは心が晴れず、レスターも気まずい思いでララは今や完全なheadache(頭痛のたね)になったと考えていた。
 ララは自分自身に言い聞かせた。「自分が自分のために頑張らなければ。誰かに守ってもらおうなんて期待できない」。
 彼女は気持ちを落ち着かせて、また口を開いた。「ボス、私の給料についても考えてくれませんか?」
 レスターは事もなげに図々しく言った。「君の給料は高くはないが低くもない、中の上レベルだ。今年は既に特別許可で5パーセント昇給した。これ以上はハワードとピーターがいい顔をしない。年度末になったら私もできる限り昇給するよう計らう」。
 ララは心の中で叫んだ。「うそつき! 六八〇〇元がDBの管理職の中の上レベルだって? 少なくともあと一〇〇〇元アップできるはず!」。
 言うべきことはほぼ言い終わった。これ以上ボスを追い詰めても、この場でいい結果を引き出すことはできない。ここでレスターを怒らせれば、これから先、交渉の余地がなくなってしまうだろう。

 ララは腹立ちを抑え、立ち上がってできるだけ穏やかに言った。
「ありがとうございました。私のレベルでは理解しきれないことも多くてボスに教えていただこうと思っただけです。お手間をとらせてすみませんでした」。
 レスターも冷や汗が出てきて、思わずネクタイを緩めながら、ばつが悪そうに「かまわないよ」と口の中でボソッと呟いた。

 ララはオフィスビルを飛び出し、人がいない空き地を見つけて声のかぎりに叫んだ。
「この恩知らず!」

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