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GO! ララ、GO! (13)

十三 報われない苦労
  ララはウェイと別れ、ホテルの部屋に戻って湯船につかった。わずかに緩んだ蛇口から、水滴が単調で心地よい音をたてながら三秒ごとにバスタブの水面にしたたり落ち、部屋の静けさをいっそう際立てていた。
温かい湯がララの均整の取れた身体を包み、下した髪はゆらゆらと湯の中に広がる。彼女はバスタブの縁に頭をあずけ、湯気で曇った鏡をまっすぐに見つめながら身動き一つせず深い物思いにふけった。私とウェイはどこが違うのだろう。彼はいつも溌溂として輝いているのに、こんなに頑張っている自分は見返りも得られずかえって憎まれ役にされている。幼い頃、先生は「労働が世界を創る」と教えてくれた。だから頭脳労働であれ肉体労働であれ、決して骨惜しみせず懸命に働いてきた。
 また、部下は上司に仕えて働き、上司の手を煩わせることなく、できる限り自分で種々の問題を処理すべきだと考えてきた。でなければ部下は上司にとって何の価値があるだろう。以上二点の原則にもとづき、ララはめったにレスターの手を煩わせず、多くの難題を黙々と処理してきた。
 もちろん彼女も「心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらる」〔肉体労働者は頭脳労働者に治められる(労心者治人、労力者治於人)。出典は『孟子』〕という言葉を学んだことはある。だがこれまでは、自分がDBでよくささやかれるその手の「典型的な働きバチ」――安価な「労働者」――に属す人間だと考えたことはなかった。
 バスタブの湯が徐々にぬるくなり、ララの考えもほぼまとまった。

 自分はこれまでレスターと十分にコミュニケーションをとらず、問題が起きても黙々と処理してきた。そのため彼は、問題がどれだけ起こり、その解決にララがどれだけ働き、解決がどれほど難しかったかについて全く関知していなかった。だから彼にはこの職責を担当する者の重要性がわからない。ボスは自分を重要な存在であると思っていない、そう考えれば、自分は大事にしてもらえる訳がなく、悪くすれば叱責される可能性すらある。
 一方ウェイの業務範囲はセールスだ。セールス業務の大きな特徴の一つは達成目標を数値化しやすいということだ。月次販売額の増加と減少及び会社にもたらした利潤は一目瞭然である。彼は営業成績がよいから重要な存在だと認められる。EQが少しくらい低くても何も問題ない。
 ララはレスターに目をかけてもらえない理由を探り当て、怒りをおさえ気持ちを鎮めてレスターのもとで働くための原則をいくつか決めた。実行に移してみると案の定うまくいった。そしてララのブログには以下のような投稿が掲載された。
 仕事の苦労が報われないときはどうすればいい?
1. 任務の各段階における主な業務内容と処理手順を見やすいチャートにしてボスに送り、「反対意見があるなら〇月×日までにご連絡ください。ご意見がなければこの計画で進めます」と伝える。このプロセスははボスに自分の仕事量を把握してもらう狙いがある。期限を設けるのは強制的にチャートを確認させるため(ボスは忙しすぎてメールを送っても見て見ないふりをするか、開いてもみない可能性だってある)。簡潔な見やすいチャートにするのはボスに時間を取らせず素早く内容を把握させるため。
 2.私がこの部門を引き継いだばかりのころは、ボスの手をなるべく煩わせないという原則に従い、難題が起きてもなるべく彼に任せず、一人で飛び回って多くの困難をなんとか解決した。しかしその結果、ボスは私を軽視し仕事の難しさを全く理解しなかった。その後は戦略を変えて、問題に当面したときには自分で解決法を考えるだけでなく、まずはそのつど自分のソリューションを携えてボスとミーティングを持つようにした。ミーティングはボスが比較的冷静で苛立っていない時を選び、一対一で特定の問題についてだけ討論するように心がけた。まず問題のバックグラウンドを説明し、ボスが解答に困ることがあれば、自分から二つのプランを提示し各案の優劣を分析して聞かせる。そうすれば、容易にいずれかを選べる。このようにして、ボスは私の仕事の難しさと問題が起こった頻度、私の専門知識および積極的かつ自発的に問題を解決する態度と業務スキルについてほぼ理解することができた。
 3.大型プロジェクトが進行している最中には、各段階の重要ポイントで自発的にボスに情報を提供する。どんなに順調に進んでいる場合でも進捗状況を報告し、重要業務のbrief(概要)を説明した。最終結果が出たらすぐに知らせて安心させ、ボスから質問され前に結果を報告するようにした。こうして彼は私に安心して仕事を任せられ、同時に部下を管理しているという実感も得ることができる。
 4.他部門の本部長たち、またはpresident(社長)やVP(副社長)と一緒に仕事をしなければならないときは、特に明確で簡潔にそして自発的にコミュニケーションをとるよう心掛け、できるだけ周到に気配りをした。mailを送るにも話をするにも極めて慎重に言葉を選んで誤解を招かないようにし、本部長たちの恨みを買うような状況は基本的になくなった。こうして私はボスにとって足を引っ張るような問題を起こさない信頼できる部下となることができた。
 ララがblogに投稿したように、やり方を改めてからしばらく経つと、ララとレスターの間には信頼関係が確立し始め、レスターはどんなことでもララに相談するようになった。
 ララは自己研鑽を通じて飛躍的に成長し、以前はぼんやりとしていたキャリアアップについての意識も明確になってきた。彼女は自分の力量を認識し、このプロジェクトの成功は卓越した業績であると確信した。――しかもこのプロジェクトにもし自分が参加しなかったらレスターだけではどうしようもなかった。誰がいなくなっても地球は回り続ける、というのは常に正しいとは限らない。
 自分の価値を理解したことで、ララはレスターが自分にあまりにも薄情だということがわかった。まだ駆け引きには慣れていないが、レスターというこの無理解なボスの下で働くなら自分の利益は自分で守るしかない。口に出しにくくても何も言わなければ、むざむざ搾取されるだけだ。

 彼女は思い切ってレスターに直談判することにした。頬を紅潮させ、「リフォーム・プロジェクトはなんとか順調に完了しました。それから、この半年は総務部全体の部長代理としてすべてを正常に運営してきました。この業務成績は、私が総務部長のポストに就く能力があることを証明できるはずです。私に昇進のチャンスがあるかお聞かせください」と言った。
 レスターはおとなしいララが直に駆け引きをするとは予想もしていなかった。彼は背中がもぞもぞし、姿勢を正した。彼は回答を避けようとした。この件に関する考えが決まっていなかったのだ。彼にとっては、ララが昇進を求めず現状のまま総務を取り仕切ってくれるのが最も好ましい。ララが口を開いたことに彼は困惑し、本能的にとりあえずはララの要求を却下しようと決めた。
 レスターはララが広州を離れたくないことを知っていた。ララにはいささか申し訳ないと思いつつもこれを口実にした。
「君のlocation(所属)は広州だが総務部長のポストは上海に設けられているからどうしようもない。わかっていると思うが、会社は原則としてポストに人を配属するのであって、人のためにポストを設置するのではない。君が広州にいるからといって、会社はこのポストを広州に設けることはできない。分かってくれるね」。
 このもっともな理由にララは何も反論できなかったが、胸の内は「私をプロジェクトのために上海へ出向させたとき、私のlocationは広州で上海ではないことをどうして考慮してくれなかったのか」という怒りでいっぱいだった。
 ララは少し間をおいてから言った。
「レスター、私はいつでも出張します。上海に毎月少なくとも一週間は滞在できます。今までのこの半年間、私はずっと行ったり来たりしながら、全国総務部のルーティーン業務を滞りなくまわし、それと並行してプロジェクトも順調に進めてきました。しかも、私の部下はローズがいたころより二人も少なくなっていたんです。私は代理としてローズの職責を引き継ぎましたが、広州オフィスでは私の職責を代ってくれる人はいなかったし、北京のチャンが退職してからは補充要員もありませんでしたから、それも私が半年も掛け持ちすることになりました。この状況はボスもご存知ですよね。私は一人で課長二人と部長一人分の仕事をしていました」。
 レスターはララがここまで単刀直入に要求してくるとは考えていなかった。少し考え込んでから「そうだ、君はよくやった。しかし、ポストのある所に配属するのが原則だ。原則は必ず守らなければ」と言った。
 ララは声を詰まらせて問い返した。「それなら、会社に貢献した優秀な社員たちの利益は原則に照らして守ることはないんですか。会社は彼らが昇進する余地を考慮しないのですか」。
 レスターは両手を広げた。「中には手を打ちようがないこともある。明らかに不合理だと分かっていても、よりよい解決方法がないからこそ、時には優秀な社員が流失してしまう原因ともなる。残念だが仕方がないことだ」。
 ララは数日前に廊下でピーターに言われたことを思い出した。「ララ、大したものだよ。アジア太平洋エリアでは、君がこのプロジェクトを成功させ、しかも経費も節約したと皆が感心している。ハワードは君の仕事に大満足だ。レスターから社長賞を申請するよう頼んでハワードの承認をもらうといいよ」。
 いいわ、部長にしないというならヨーロッパ旅行に行かせてもらう。ローズが前に社長賞を取ったときの賞金は二〇〇〇ドルだった。私はもっともらえるはず、とララは考えて、つばを飲み込み「プロジェクトの成功に対して相応のボーナスがあるのでは?」と尋ねた。
「ハワードは金の話は一番嫌いだ。金の話をするのはまずい、仕事は金のためにするのではない」。
 ララはそれには答えず、あくまで主張し続けた。「ローズが前に社長賞をもらうことができたんですから、私たちは当然もらえますよね」。だが、レスターはどうやらララには何のインセンティブも与えないつもりらしい。
 ララが口にした「私たち」は実は「私」を意味していた。彼女はレスターと一緒に仕事をしているうちに知らぬ間にレスターの影響を受け、自分のために金銭を要求するときにも「私たち」という言葉を使うようになった。
 レスターはあくまでもララを世間知らず扱いし、「仕事量が膨大なプロジェクトだったからチームは表彰されるべきだね。君は特に頑張った。私は君のためにクリスタルのトロフィーを制作するよう会社に提案しようと思っていたところだ。大きくなくちゃね、小さいのはだめだ。ピーターが費用について文句を言うかもしれない。もし彼が反対すれば、私が自腹を切ってでもクリスタルトロフィーを作ろう」と言いくるめようとした。
 だがララはきっぱりと「ピーターが自分で私に言ったんです。ボスに社長賞を申請してもらえって。反対するはずがありません」と言った。
 レスターはしらばっくれて驚いたふりをした。「彼は私に申請しろとは言ってないよ」。
 ララは黙らなかった。「通常の手続きでは、昇進または特別奨励金を出す際には当該社員の所属する部門がボトムアップで申請がなされるのではないですか」。
 話がここまで来ると、レスターも「社長賞の申請に関連するポリシーは後で調べておこう」と返事をしないわけにいかなくなった。。
 窓の外に一枚のプラタナスの葉がゆっくりと舞い落ちていった。二人は心の内を隠したままひらひらと落ちる葉を眺めて押し黙っていた。
 ララは心が晴れず、レスターも気まずい思いでララは今や完全なheadache(頭痛のたね)になったと考えていた。
 ララは自分自身に言い聞かせた。「自分が自分のために頑張らなければ。誰かに守ってもらおうなんて期待できない」。
 彼女は気持ちを落ち着かせて、また口を開いた。「ボス、私の給料についても考えてくれませんか?」
 レスターは事もなげに図々しく言った。「君の給料は高くはないが低くもない、中の上レベルだ。今年は既に特別許可で5パーセント昇給した。これ以上はハワードとピーターがいい顔をしない。年度末になったら私もできる限り昇給するよう計らう」。
 ララは心の中で叫んだ。「うそつき! 六八〇〇元がDBの管理職の中の上レベルだって? 少なくともあと一〇〇〇元アップできるはず!」。
 言うべきことはほぼ言い終わった。これ以上ボスを追い詰めても、この場でいい結果を引き出すことはできない。ここでレスターを怒らせれば、これから先、交渉の余地がなくなってしまうだろう。

 ララは腹立ちを抑え、立ち上がってできるだけ穏やかに言った。
「ありがとうございました。私のレベルでは理解しきれないことも多くてボスに教えていただこうと思っただけです。お手間をとらせてすみませんでした」。
 レスターも冷や汗が出てきて、思わずネクタイを緩めながら、ばつが悪そうに「かまわないよ」と口の中でボソッと呟いた。

 ララはオフィスビルを飛び出し、人がいない空き地を見つけて声のかぎりに叫んだ。
「この恩知らず!」

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