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三毛の中南米紀行 -13-

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高原の百 ボリビア紀 

 

 飛行機が世界で最も高い場所にある空港「エル・アルト」に着陸しようとした時、後部座席にいたヨーロッパの旅客緊張のあまりフライトアテンダントに酸素を求めた 

 その憔悴しきった中年男性に全員が注目していたとき、前の列に座っていた日本人も具合が悪くなり、ため息をついて静かになってしまった 

 二人のフライトアテンダントが酸素ボンベを持ってきて、彼に装着するとほかの乗客たちもだんだん不安になってきた 

 私は青いをして、前の椅子にもたれている。何も話すことが出来ず、両手はとても冷たい。隣にはラパスに来たことのある年配の日本人男性いて、ずっと私の手を握、薄い冊子風を送りながら優しく言った 

 「怖くないから安心して!」   

 実は怖いとはそもそも全く思っておらず、飛行機が下降する際に酔ってしまい気持ち悪くなっただけだ 

 「着いたらゆっくり歩くんだよ。熱いシャワーや、食べ過ぎもよくない。酒も飲まない方がいい。次の日には良くなるよ! 

 「別にそういうわけでは…… 

 その老人私の言葉をさえぎって付け加えた 

 「話さなくていい。酸素を使ってしまうからね 

 私はいかけ、本当に一言も話さないようにした 

 飛行機を降りる時、手持ちの荷物は全てミシャに託した。自分の心臓があまり良くないことは分かっているので、無理はしなかった 

 海抜四千百メートルの平原は、私が行ったことのある所の中で一番高い場所である。ここでは、空港の滑走路も普通より長い。空気抵抗が違うからだ 

 一日目は、できるだけゆっくりと動いた。私があまりにのろのろと歩いたので、空港の警官が出したほどだ 

 ボリビアは南米のチベットと言うべき場所である。当時のことを思い出すたびに神秘的な思いが心に生まれる 

 空港だけを見ても、蒼茫たる草原には非凡で静かな美しさがある 

 税関入国者でごった返していた。元気そうに並んでいる人もいるが、私のように初めて来た人は大体が無理に動かないように座って待ってい 

 旅行客にとって空港が豪華かどうかは実はあまり重要ではない入国審査の仕事の速さや係官が親切かどうか、これこそがその国の第一印象を決める 

 ボリビアの空港は特に豪華ではないが、色々な所を見ると十分な歓迎とサービスをしており、旅行客は親切にもてなされていることが感じられる 

 旅客サービスセンターもらったパンフレットに載っているホテルは私たちにとっては高すぎた。長いリストの中に一泊四十ドル以下のところがなく、高級な所は百ドルもする 

 街に行くバスはないが、他の人とタクシーに相乗りできたので、一人一ドル五十セント安く上がった 

 タクシーに乗ってはみたが、まだどこのホテルに行くか決めていない。しかしこういうことには慣れているので別に心配はない。タクシーの運転手は最高のアドバイザーだ。相談にのってもらおう 

 運転手が親切なだけではなく、一緒に乗っていた三人のボリビア人もとても良い人たちった。彼らが勧めてくれたホテルの値段安すぎて唖然するほどだ 

 「もう少し高くても大丈夫。できれば、部屋に浴室がついているところがいいんですけど」、と少し申し訳なさそうに言ってみ 

 タクシーはホテルを探すためにあちこちを回った最後に旧市街の魔女市場を斜めに入った街角に停まった 

 見た瞬間、その雰囲気に魅了された。そしてホテルも気に入ったので泊まることにした 

 タクシー代を払う時、運転手に迷惑をかけたので申し訳ない気持ちでチップを三割ほど多く渡した。した金額ではないが、運転手が感激するさまを見、この国の人は素朴で正直だと改めて感じた 

 荷物を置いて、まずは街の店にコカの葉を買いに行った。まもなく発症するであろう高山病から逃れることは出来ないからだ 

 買い求めたコカの葉はペルーのクスコにいる間には使いきれず、最後には大きな包みが一つまるまる残ることになった。しかし、荷物に入れていると税関を通る時に麻薬とみなされるので、クスコに置いてきた 

 実はコカの葉は麻薬ではない。一トンの葉があっても、たった数グラムのコカインもないからだ 

 高原の住民は少量の葉を湯に入れてお茶のようにして飲む。そうすると息が楽になるの 

 ホテルのレストランに頼み、ポットに一杯分のお湯沸かてもらい、値段を聞いたら無料だと言われた 

 お湯をくれた人にチップを少しげると、また何度も繰り返しお礼を言われた。この国くほど民度が高く、人々が親切だ。まるで感謝されるためにこの国に来たようで、何かにつけて恩返しをしなければという気分になった 

 今回の旅で、インディアンの血が受け継ぐ人々が暮らすでは常に彼らの素朴さと正直さを感じることができた 

 エクアドルでは、まるで親戚のようにもてなされた。ペルーも和やかで親しみやすく、そしてボリビアは更に情に篤く純粋だった 

 この面積百万平方キロメートル余りの高原国家は、六百万人に満たない人口しかない。七〇%はインディアン、二五%はスペインと先住民の混血、残りの五はヨーロッパから来た移民の白人だ 

 ボリビアは南米港を持たない二カ国のうちの一である。西はペルとチリ、はブラジル、南はアルゼンチン、パラグアイと国境を接している 

 ボリビアの領土は一八七九まで太平洋沿岸まであったのだが、硝石採掘の奪い合いによる五年間の戦争で、沿海部分チリに奪われて現在も返還されないままだ。チリはボリビア港を使うことに同意したが、自国の領土と他国では意義も利便性も全く異なる 

 ラパスは世界一高い場所にある首都として認められているが、実はボリビアの本当の首都はもう一つある。スクレだ 

 しかし、外交機能行政機能もラパスに集中していて、スクレは最高裁判所しかないので一般にはラパスが首都として認識されている 

 初めてラパスに来たが、少し息苦しいとはいえ、その他には特に体の変調はなかった。そして、エクアドルとペル高原での経験、コカ茶の作り方や飲み方が分かっていたので、数時間ほど静かに休養するだけで元気になった 

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三毛の中南米紀行 -14-

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魔女市 

 ボリビアに来る前、巫術街には是非くべきだというガイドブックの記事を何度か読んだが、まさか自分のホテルから二十歩も離れていないところに、その有名な街があるとは思わなかった 

 一休みしたあと、急いで厚い上着を羽織って街に出かけた。高原では夏の日中であっても薄いセーターが必要で、夜になると更にもう一枚重ね着しなければならない。 

 石畳の道はを斜めに走っている。ヨーロッパ様式の古い街並みは、当時スペイン人が南米を植民地にした時い祖国からここまで持ち込んだものだ 

 美しい伝統建築の下にも露店が軒を連ねている。露店のママたちは、花刺繍されフリンジがついたシルクの肩掛けをまとい、丈のプリーツスカート穿いて、の太いお下げを、自分が深く信仰しているまじない道具を売っている 

 ここのインディアン服装エクアドルやペルーとは異なっている一見すると、に載せたフェルトの帽子は同じようだが、細かい違いがある。彼らはまた違う文化を持っているのだ 

 言語を例にあげれば、ここではケチュア語以外に、アイラマ語も使う。聞こえてくる音は極めて優しい調子である 

 もちろん、ママたちはスペイン語せる 

 ママたちが売っているもには、石細工の手や足動物色々な珍しい種子もる。そしてとりどり毛系や、幸福を呼ぶ様々な縁起のよいを入れた瓶も沢山あった。 

 ママ嫌がられないよう、まず小動物石細工一並び買った。家畜の無事を祈るお守りだそうだ 

 「この乾た鳥は何? 

 黒い大きな目をした干からびた動物を指差してママに聞いた 

 彼女は笑いながら「これは鳥ではなく死産したリャマだよ」と答えた 

 「何の病気を治せるの? 誰が買うの? それとも旅行のお守り? 

 「そんなこと使わないよ 

笑いながらそう答えて、さらに続けた 

 「これを買って、家を建てるときに埋めれば、運気が上がるんだよ」 

 「このカラフルな毛糸は? 

私はまた尋ねた 

 「飾り用だよ。毛系だけでは使わない 

その露店には、皿に盛られた料理のような供え物もある。 

露店は景気がいいようで、地元の人が次々に買いに来る 

 「ママ、これ御利益があるの 誰かにご祈祷をしてもらわないといけない 

は自分買った小瓶を見ながら言った。中には様々な物が入って油に漬かっている。赤や緑の何か、それに一匹 

 「必要ない。左ポケットに入れておきさえすれば、幸運やってくる 

ママの言葉信じたわけではなかったが、その瓶を右ポケットに入れることもできなかった。 

 色鮮やかで多様性に富む露店は迷信の表れというより、貴重な風俗と神話を物語っているとみなしたほうがいいかもしれない 

 ある露店で買った古い石細工現地の人が「パチャママ」と呼ぶ大地の母である 

 「パチャママ」の周りには、彼女の夫、息子と娘、ヤギと蛇いる。そして幾筋かの川が流れ、畑もある。それらの全てスープ皿大の石に今にも動き出しそうに生き生きとられてい 

 聞いた話では、この大地の母の石細工家のの土に埋めて隠しておくそうだそして大地の母の誕生日りだし、油をかけ拝み、また土の中に埋める。そうすると、大地の母は家や土地や家畜が富めるよう見守ってくれるのだと言う 

 こういう露店は、小物をひとつ買う度に少しの希望を与えてくれる。その期待だけで代金を払価値がある 

 露店街を行きつ戻りつ歩くうちにママたちは私に金運幸運恋愛運そして健康と平和象徴を売ってくれ 

 ママたちはお金を受け取り、私は人生に必要な全ての希望を手に入れた。そ考えると、私の儲けのほうがずっと大きい。 

 実際には、私のように篤い信仰心を持っている人間は巫術にすがる必要はない。だが、ちょっとした遊び心で、民俗を体験する楽しさをこの小さい露店で得ることができる 

 中南米では巫術だんだん見かけなくなっているが、ボリビアの市場で堂々と商売をしている姿を見たのは新鮮な出来事だった 

 ここで非常に興味深かったのは、博物館に「巫術展示室」があったことだ。展示物は外で売ってる物とほぼ同じだが、説明より分かりやすかった 

 人を呪う物に関しては、博物館の中に詳しい説明あったが、私自身他人に特に恨みがないので、人に害を与える物には興味がないし、知りたくなかった 

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三毛の中南米紀行 -15-

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オルーロの悪 

 カーニバルの日がだんだん近づいてきた 

 ペルーの古い町・クコに滞在している時、何人もの旅行客と知り合った。彼らの大半はペルーの次には国境を越えてブラジルに行く予定である。リオデジャネイロのカーニバルに参加し、お祭り騒ぎをするためだ。 

 何人かの旅行客にブラジルへ行こうと誘われた。ああいう盛大なイベントを見逃したら一生後悔するとも言われた 

 カーニバルはきっと異常な雰囲気で、酔っ払多いだろうホテル見つかりにくい。気が狂ったように大騒ぎしている街での醍醐味を味わえるとはえなかったので、頑なに誘いを断った 

 ボリビアも同様にカーニバルで祝い事をするが、他国とやり方が全く異なる 

 オルーロとい鉱山の町でディアブラーダ(悪魔のダンス)*1と呼ばれるフォークロア・ダンスを踊ってカーニバルと称する 

 悪魔たちには妻がて、その妻たちも街へ出パレードに参加する。悪魔の妻たち中国人女性と同じChina」という言葉で呼ばれる 

 初めてラパスに来た時、ホテル泊まっているのはカーニバルの参加者ばかりだった。オーロはラパスから二百キロ離れており、人口が十一万人の小さい町であるが、このカーニバルはボリビアで最も盛大な行事なのである 

 ホテルのフロント係はしきりに日帰りツアーのチケットを勧めてきた。一枚五十ドルだった 

 自分一人で長距離バスに乗って行くほうが実りある旅になると思いツアーの勧めを断ったのだが、フロント係はカーニバルの前日に着いたあなた方はどう手を尽くしてもバスのチケットを入手することは出来ないでしょう断言した 

 それでも私たちは長い坂道を上ってバス会社を一軒ずつ訪ねた 

 チケットは確かに完売していた。しかし、私は諦めきれずに、窓口の人に何とかしてくれないかと頼み続けた。 

 ボリビア人は元々とても親切で、何度も頼むと少しきまり悪そうに払い戻されたチケットを出し、追加料金も取らずに売ってくれることになった 

 チケットは一枚しかないので私しか行くことができない。となりにいたミシャ当然あまり嬉しそうではなかったが、私はもうチケットがないことを知っているのでここで無理を言うのも良くないと思い、先にそのチケットを買った 

 しばらく待っていると、一人の奥さんがチケットを払い戻しに来た。なんと同じバスだったので、その二枚目のチケットも私が奪うように購入した 

 翌朝、まだ空真っ暗なうちにミシャを起こし、暗いの中息を切らしながらバス・ターミナルに向かって走った 

 標高がこんなに高い場所で坂道を走ったので頭が痛くてたまらない。我慢して走り続けたが、本当に動けなくなってしまい、早朝の街でタクシーを拾って駅まで送ってもらった。運転手は感激するほど親切でいい人だった 

 ボリビアは一般的に後進国だと言われているが、私たちが乗るベンツのバス時間通りに到着した。車内は清潔で豪華、しかもサービス態度がとても誠実で、中南米で最もすぐれていた 

 駅の建物は非常に近代的で、バスに乗り間違えることも、人がぎゅうぎゅうに詰めこまれることいない。一般の乗客地元ので、高級なを着ているわけではないが、決して貧乏臭くは見えない彼らの教養と穏和さは、世界中を探しても滅多に見られない 

 車はくねくねした登り坂を走り、足元に見えるラパスの街は霧の中に消えていった 

 見渡す限り果てしない草原の冷たい空気の中朝日を出迎えた。遠い空の果てには雪山が連なっている。薄紅色の陽光山々を暖めることはできない。清冽な高原が衆生喜びや悲しみをきれいさっぱりと洗い流してくれる 

 草原とは、本当の高山とは何アンデス高地に登って初めて知ることが出来る。もし大地の風景が人の心を感化するとすれば、私もそ一人である 

 彩雲は草原の上空に浮かび、私たちの車と同じ位置で並走している。車を降りたら、雲の一片を捕まえられそうだいやが上にも自分が標高四千メートルあまりの場所ることを意識させられる 

 オルーロディアブラーダを見ることは最優先ではない。この景色だけで魂が浄化される。もしこのように壮麗雄大な青空の下で命を落とすのならそれもまた幸せだろう 

 この美しい空の下で、私に他の思いはなかった。ただここで死んで、この一瞬を永遠にしたい 

 遠い空に鷹が飛、草原は牛とアルパカリャマ群れ、民族衣装を着た男女が雲の下に広がる緑の草原を駆けいた。この景色は中国の青海やチベットとどう違うだろう。私はこの風景を奪われた。 

車が検問で止まったとき、顔の小さい綺麗なインディアン女性達がゆでたてのトウモロコシとチーズを売りにやってきた 

 これも私の大好物だ。代金を支払う時、また何度も感謝の言葉聞いた。この国を好きにならずにはいられない 

 オルーロ到着後、町のはずれ長距離バス降り、市内バスに乗り換えて中心部に向かった。バスが混雑していて乗れなかったのでバスの下で叫んだ車掌が乗れないでいる私を見て、手を伸ばし力いっぱい引っ張り安全な場所乗せてくれた。そして両で私を支えてようやく発車 

 この思いやりの精神こそがボリビアの象徴だ。ボリビアの人々はみな神様の子どもだ。恥辱という言葉は彼らには似合わない 

 パレードはもう始まっていた。ミシャは観覧を急いで探しているが、私は帰りのチケットを先に買うべきだと主張した。そうしなければ安心できない 

 帰りのチケットを購入してから群衆に混じって観覧席を探しはじめた。途中でかなり勢いの強い水鉄砲が私たちに命中した。腹を立ててはいけない。水が命中したことは幸運がやってくる吉兆なのだ。これも南米数カ国のカーニバルの習慣である 

 観覧席は現地の人が道に沿って造ったもので五階まである。一座席あたり五ドルで、二日間パレードを座って見る権利がもらえる。私たちは四階で二つの空席を見けた 

 同じ観覧席では様々な人々が踊りを見てい。上の階に座っているのはインディアンのお婆さんだ。私の厚いセーターは狭くて置いておくスペースがなかったので、彼女たちすぐ上で預かってくれた 

 ダンス・チームは四十五組で、大半がオルーロの町の人々で結成されている。ふだんは錫鉱石を採掘する苦しい仕事に明け暮れているこの、今日だけはお祭り騒ぎになる。心ゆくまで楽しむ歓喜の踊りは、一種の生活の知恵言えるだろう 

 悪魔の群れがやって来た。まずは楽隊が先頭に並んで、ひとしきり賑やかな演奏を披露する。そして、観客の拍手喝采の中を仮面をつけた悪魔たちがと踊りとともに近づいてきた 

 最初は緑の顔鋭い牙の生えた悪魔が髪を振り乱しながらやって来るだろうと思っていたが、結局見えたのは中国の獅子舞の面によく似ているものだった。赤と緑塗られ、大きな目で睨みつけ、龍と鳳凰が刺繍された布を被っていて、胸のところに麒麟が描かれた、いわゆる悪魔の仮装している 

 「これは私たち中国の伝統衣装だわの龍と鳳凰と隣に座っているーロの女の子に大声で言った 

 彼女は「そんなはずありません! この風習は先祖代々受け継いできたもので、これはボリビアのものです!」と言い張った 

 「だけど中国人はスペイン人よりもっと早く南米に来ていたわ。既に沢山の証拠がある。あなたたちはどこから龍と鳳凰をつれて来たの 

 「それはあり得ない 

近くにいた爺さんも話に割り込んできた。私は言い返した。 

じゃあ、どうして悪魔の妻Chinaと呼のですか。これは中国女性という意味では? それも偶然ですか?」 

 「偶然だよ。中国人はここに来たことがないよ」お爺さん答えた 

 周りが騒がしすぎて、この話を続けることができなかった。そして私の視線はその終わりのない悪魔の群に飲み込まれていった 

 あれはまさに中国のもの。獅子は口に刀を咥えているが、それは台南安平にある多くの古家のドアに刻まれている魔避けの絵と全く同じではないか 

 聞いた話によると、オルーロの近郊地区の湖のそばに、中国人の顔をした住民が住んでいる。彼らの言語の中にまだ中国語と似ている単語が残っているが、その集団が住んでいる場所は実際にどこなのかは分からない 

 オルーロディアブラーダを見て思ったことは、長い時間をかけて調査すれば、南インディアンとアジアの関係が分かるかもしれないということだ 

 インディアンがモンゴルからシベリアのまだ溶けてない氷原を通って、そしてアラスカから南米まで行ったことは、既に多くの国の人類博物館に説明があるが、中国の文化はその後ここにやってきたのだと思う 

 このことは全く手がかりがないとは言え、例えばここのある村落のインディアンは酒を飲む時、必ず地面に少し撒く。これは中国古代、死者を弔う際に行う習慣と同じである。実に面白いことだ 

 このオルーロの有名な悪魔を全てカメラに収め、台湾に帰った友達と一緒に見よう! 

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三毛の中南米紀行 -15-

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サテの 

 ラパスの最後の夜、新しく出会ったある中国人の男の子と一緒に皆で夕食を食べに行った。道に沿ってレストランを探している途中インディアンの店を通ったとき、彼これらは現地では田舎者の食べ物と呼ばれています、と直接的な表現をした 

 しかし、ボリビアの現地の習慣と他の南米の国とを比べても、異なる文化と好みがある。実際、本当に美味しく、田舎っぽい味とはちっとも思わなかった 

 食べ物その国の文化すれば、ボリビアの文化は大衆向けの文化と言える 

 ここでは、ホテル何十ドルもするいい食事もあれば、街の市場や一般のレストランで少し違った安く美味しい食べ物に出会える。 

 この国には世界で一番大きい湖「チチカカ湖」があるため、ここではマスそれほど高い食材ではない 

 ここの辛つけをした料理は南米随一であり、牛タンはコスタリカにも負けない。小さいレストランで出している料理は間違いなく丁寧に作られた味だ 

 多くの人々ボリビアを後進国であると考えているが、訪問してはじめてそれは真実ではな、おかしいと思った。ここは本来とても良い国だ 

 ここには不味すぎる食べ物はない。街でインディアンの女性がロウソクを吊るしている露店で食べてみたがどれも一流の味だった。 

特に好きなのは、現地の味わいのする焼餃子だ。私は餃子のことを「サテの娘」と訳している。焼いた小麦粉の皮の中にい鶏肉、豚肉、ジャガイモとタマネギが入っている。ガラスケースに入れて保温しあり、一つ二ドル五セントで、財布のような大きさである 

 これ庶民の主食であり、毎朝、私はホテルを出すと決まって近くにあるインディアンの小さい喫茶店で新鮮な牛乳を飲みながら「サテの娘」を二つ頼む 

 だいたい現地の人は喫茶店でこのようなものを朝食として一つか二つ食べる。牛乳とパンといった類のヨーロッパ式の朝食は、もしかしたら私が庶民的すぎるせいかもしれないが、食べているを見かけたことがない 

 私が朝ご飯を食べる小さい店では、毎日百個サテの娘を入荷するが、昼までには完売してしまうこのような現地の趣のある食べ物は、一般的な観光用レストランで食べることは比較的難しい 

 ボリビアで食べられる物は沢山あり、そして味わいも南米の他の国と違っている私の知るところによると、ボリビアに来る華人旅行客は多く、もし彼らが観光客用レストランではなく、街でボリビア人の食べ物にチャレンジしてみれば、それはそれで一つの楽しみになるかもしれない 

 個人的には、三十六個めのサテの娘を食べたあと、後ろ髪を引かれる思いでボリビアを去った 

 

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三毛の中南米紀行 -16-

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水戦争をす 

 私の冬服は元々十分にない。長い間南米の夏は一月か二月だと思っていた。まさか高原の夏にセーターが必要だとは思っていなかった 

 ペルーでセーターを二枚買って、コロンビアでは一枚純毛糸のポンチョを買ったが、一度バスで酔ってしまって、セーターが入っている手持ちの鞄を無くしてしまった。そして、ホテルをチェックアウトする時にポンチョも無くしてしまった 

 手持ちの物が無くなったら、逆に軽くなるからいい。ラパスに到着して、新しいセーターを買わなければならないことを少し楽しみにしていた 

 ラパスに滞在しているとき、毎日五色の手編みのセーターを着ていた。替えがなかったのでずっとそれを着ていた 

 夜になって、オルーロのカーニバルの水鉄砲で濡れたセーターの中に着ていた白いブラウスを脱ぐと色移りしていた。新しいセーターはインディアンのママが簡単に染めていたため、色が落ちてしまうことが分かった 

 オルーロのカーニバルは土曜日にあり、ラパスの街では日曜日も人に水をか 

 水をける習慣は元々楽しい行事である。農業時代の各村の若い男女がこれで知り合い、水遊びを通してお互いの感情を高めるだけで、実際大したことではない 

 彼らはこの日曜日、水を大量に載せた中型ジープを運転して、街中をゆっくり運転しながら途中の人を濡らしていった 

 ベランダの下には行ってはいけない。いつバケツの水が飛んでくるか分からないからだ 

 街の子どもが風船を買って中に水を入れると、太い水爆弾になるそれをすれ違った人に浴びせている 

 セーターの色が落ちてしまうから、私はテルのガラスドアの中に立ち、外出しようとしなかった 

 ペルーのリマで水爆弾を一つ浴びてしまった。三階から投げて来て、ちょうど頭に命中してしまった。そこで一つだけ当たってからボリビアに来た 

 しかしホテルから出なくては、サテの娘を食べられない。よく考えてやはり外出することにした 

 あの狭い石段の街で、両方のベランダに人が立っていて、何歩か歩くと、スーツの格好をしている人がバケツ一杯分の水をかけられ、びしょ濡れになってしまった。 

 このような習慣の元では、掛けてきた人に怒ることも出来ない 

 しかし、そのスーツの人は怒った。路辺にある小石を掴んでベランダの上に投げた 

 私は道端で「投げて! 投げて! いいわ!」と叫んだ 

 自分は素敵な場面を見ていただけなのに、顔を上げると、ベランダの上からバケツ一杯分の水が降ってきた。 

 「あぁ! セーターの色が落ちる 

 私は逃げることもできず、ただ立ちながら泣き叫ぶしかなかった 

 そして、頭からズボンまで全て濡れてしまった 

 私は顔の水を拭いながら、ベランダの人言った。 

 「色が落ちると言ったじゃない。どうしてまたかけたの?」 

 この時、更に一杯の水がやってきて、また避けることが出来なかった 

 今回私は本当に怒った。その人の家の下にあるドアを必死に叩いて、上に行ってその人とケンカしようとした 

 上の人は「怒らないでよ。かけられたらラッキーだよ!」、と大笑いしながら言った 

 この美しい日曜日を見逃すのは惜しい。必ずびしょ濡れになるとは言え、ミシャと古い町の中であちらこちらに行ったりしたが、避けながら歩く姿はまるで弓の音に怯える鳥のようだ 

 水はきれいで、日に当たっていると蒸発する 

 そして、私が出会ったボリビア人は本当に感動するぐらい良い人で、郷に入れば郷に従えという論理も分かり、おかしいとは思わないはずだ 

 あの日、水爆弾を十何個も浴びてしまって、背中はびしょ濡れだった。悪意はないので、笑うしかない 

 この水戦争は実際やられただけだった。自分には道具がないからだ。この特別な日をセーターに記念として残した 

 

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三毛の中南米紀行 -17-

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平和の 

親愛なる市長様 

 あの日、お別れのに伝えることを忘れてしまいました。私の中国語の名前は、貴方たちの可愛い町と同じ意味がある「平和」と言います 

 初めてラパスに着いた時、どのような都市と人に会うのか全く見当がつきませんでした 

 ご存じの通り、私が宿泊しているのは旧市街のあるホテルで、ラパスの豪華なホテルには泊まりませんでした。貴方貴女のような人はもっと深く私たちの町と村落の人と土地を観察するべきで、ホテルで旅行の時間を使ってはいけない」と仰っていたのでその通りにしました 

 市長さん、たった十八日の時間は過ぎ去ってしまいました。このあっという間の時間の中で、私はボリビアの便利な列車と長距離バスを利用して遠いところまで行きました。色々な町に行って、この特別な都市パラマについては、また深い感情が芽生えました 

 貴方の都市、そして貴方の市民は私が滞在した時に、真摯な愛情と情緒を与えてくれました。この異郷の旅人に、まるで現地の人と同じように扱って頂いたので、離れるのがとても辛かったです。 

 私が見たラパスは、平和の町でした。ここは街が清潔で、バスが速くて、車内が綺麗でした。タクシーの運転手は優しく、店も良い対応をしてくれました。レストランのサービスは高級かそうでないかに関係なく親切にしてくれました。 

 都心部の鳩が沢山いる広場に大勢の人が座っていても騒がしくないですし落ち着いた寛容な市民なのですね 

 高いビルは旧式ヨーロッパ風の都心部に建てられ、新旧が入り交ざった建物は街の景観を壊さず、人々を楽しませていました。 

 ここで私はラパスの色々な博物館、旧城、新しい地区、大通り、路地から花の市場や市場、更には動物園と美容院にまで足を運びました 

 出会った全ての人々は、この土地で楽しく穏やかに過ごしています 

 特に感謝したいのは、ラパスには沢山の自然と広場があったことです貴方たちは自然を大切にしている。旅人は深夜に落ち葉を踏みながら散歩をしているとき、残念で名残惜しくなりました。また戻りたくなるからです 

 貴方の都市には、略奪や暴行がありませんでした。不誠実なことないので、この旅中、私はこの都市を安全と思いましたし、異郷にいるという気分にもなりませんでした 

 中南米の旅行では、至るところに可愛い人がいて、絵のような綺麗な景色が沢山ありますが、ボリビアのような民族の趣のあるところや、ラパスのような都市は、なかなかお目にかかりませんでした。 

 私は中国人で、自分の家と自分の国があるので、理屈から言えば、他国をこんなに深く愛することや気に入ることはないはずだと思っていました 

 ですが、私は貴方にこの手紙を書かなければなりません。ラパスに伝言してくださ。中国人であっても、この土地を愛さずにはいられないのです 

 理由は簡単です。ボリビアが先に私を好きになってくれたからです 

 立ち去るとき、喫茶店のお嬢さんも、道で大地の母を売ってくださったおばさまも、皆さん目を潤ませて下さいました。彼女たちは私を見かける度に「マミダ! 早く帰ってきて!」と呼びかけてくれました 

 市長さん、私はここで「マミダ!」と呼ばれ、貴方たちの仲間になり、外国人ではなくなりました。 

 貴方にラパスは何に似ているのかを伺ったとき、こう答え欲しかったのです。ラパスは永遠に一本の百合で、高原の上に咲いている。その香りは永遠に忘れることが出来ない、と 

 世界の人々に会った時、ボリビアはどんな国でラパスはどんな都市なのか喜んで伝えます。 

 貴方が今年の夏頃に台湾へいらっしゃるかもしれないと伺いました。私の同胞が貴方良い印象を与えられるよう、同じような教養と情熱でもてなすことを期待しています 

 お別れするときに、住所を聞き忘れてしまいました。 

 空港の問い合わせカウンターの女性が親身になって政府の名前を書いてくれました。 

 この手紙を貴方だけに送ると、台湾の人々にラパスの美しさが伝わらなくなってしまうので、この新聞に投稿しました。ある中国人がボリビアに対する最大の感激と賛美を送ったものとお受け取りください 

どうぞご自愛ください。 

あなたの友人  Echo

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三毛の中南米紀行 -18-

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立ち去る 

 この旅の間、年輩の人も私のことを見守ってくれた。旅行各地に紹介状を書いてもらい、現地に着いたらすぐ台湾駐在機関に連絡して、旅の資料や質問をすることが出来るようになった 

 私の性格はひねくれていて、知らない人に会ったら緊張する。一見分からないかもしれないが、心の中ではそうである 

 もし駐在機関に連絡すると言ったら、恥ずかしくなってしまう 

 中南米の途中ではスペイン語を使っていて特に問題は無かった。だからその紹介状は使わなかった。それと私が到着することによって仕事で忙しい人を更に忙しくさせることをしたくなかった。これはただの旅行であり、大したことではないからだ 

 ボリビアを離れる二日前、やっと大使館に電話をした。張文雄(チャン ウェンホン)さんが電話にでて、彼は私が到着したと聞くと、すぐに晩ご飯を誘ってくれた。同時にもう一人の客がいるようだ 

 私は夏服ならばまだ手元にあった、冬用のセーターは一枚しかないので、張さんの好意を断ってしまった。そして次の日に大使館で会うと言ったが、それも別れの挨拶のためだ 

 あの日、行く前に手工芸の市場で新しいセーターを一枚買った。それに着替えて、大使館に敬意を払おうと思ったが、下は結局青い布製の長ズボンのままだった 

 ミシャは靴をチチカカ湖で写真を取るときに水の中に落としてしまったので、びしょ濡れだった。このような気候でもサンダルを履いて大使館に入るしかなかった 

 「二人ともちゃんとした服じゃないから、やはり私だけ入ることにしましょう。サンダルを履いているから、外の広場で待っていて二十分で必ず出てくるから」と私はミシャに言った 

 彼は行かなくてもいいと分かり、嬉しそうに広場に向かっていっ 

 ボリビアの秘書の女性に丁寧に大使館に入れてもらった。私は張文雄さんに会いに来たと伝え、二つの大きいテーブルを通り過ぎた。顔に笑みを携え、秘書に着いて中に入った 

 ある中国人の婦人に会い、私は微笑みながら彼女に一礼して、足を止めなかった 

 「あら! あなた」 

その婦人が叫んだ 

 「張さんに会いに来ました 

私は笑いながら答えた 

 「あなたは三毛でしょう? 待っていたわ 

 その婦人はこちらに駆け寄ってきて、私の手を掴んだ。喜びが形容できないようだ 

 「私はあなたの従姉滋荷(ズイ ホェー)同級生で、あなたのおさん娒(ム)おばさ丁虹(ティン ホン)よ! 

  私は彼女がこのように言ったので、心の中でとても嬉しくなって「丁姉さん」と呼んだ 

  あっという間に引っ張りだされ、張さんには会いに行けなくなってしまった 

 「『大使』に会いに行きましょう! 入って来て! 奥さんもちょうど居るわよ 

 彼女は何も言わず、あるオフィスに連れて行ってくれた 

 元々『大使』に会うつもりで、張さんにお願いしようと思っていたが、まさか丁姉さんがこのままオフィスにまで入れてもらえるとは思っていなかった。 

 「『大使』、私は荷物に紹介状を持っています。ですが…… 

私は口ごもりながら言った 

 「着いたのに、どうして連絡しないのですか。喜ぶ暇もない! 紹介状なんていりませんよ 

 「大使」は親しみを込め、私の手を握っ 

 「大使」の奥さん梁宜玲(リアン イー レイン)さんはすぐ私を座らせ、様々なことを聞いてきた。この時、お手伝いさんはコカ茶を持ってきてくれた。 

 丁姉さんが一番喜んでいた。すぐカメラを持ってきて、あちらこちらで写真を撮っていた 

 次の日ここを出発すると伝えると、呉(ウー)おばさん呉祖禹(ウー ツーユイ)、「大使」の奥さんとの昼食のお誘いを受けた 

 私は内心焦っていた。彼らが私のために歓迎してくれているのを見て不安になった。他人に迷惑をかけ、彼らの大切な時間を無駄にしたと感じていた 

 「外で同僚を待たせていますと思わず口走ってしまった 

 「どのような格好をしているの? 私が探しにいくわ 

 丁姉さんのその率直さに、本当に断れなくなってしまう 

 「サンダルを履いた、セーターを着ている背の高い男性です」 

 これで、ミシャも連れて来られてしまった 

 実は「大使」の奥さん、おばさんの写真は既にここの大手新聞で見たことがあった写真は合計枚で、ボリビア首相の奥さんと各幹部の奥さんを茶会に誘ったときに掲載されたものだ 

 私は町で新聞を買うとき、写真の中の人物以外にも、テーブルの上に並んだ豪華な食べ物はどんなに良いものかと思い細かく見た。後になって知ったが、その食事は全て「大使」の奥さんの手作りのものだった 

 「私は招待状を持って、ここの軍校校長から誘われました。午後彼らのカーニバルのお祝いに参加します。特に正式な場所ではありませんので、一緒に行きませんか? 

 呉おばさんが遠慮しながら私とミシャに尋ねた 

 「それでは先に失礼して、昼ご飯を食べてから一緒に行きますと私は言った 

 「ご飯はもちろん一緒に食べるでしょう! 

 年輩の人がこんなに心を尽くしてくれているのに行かないのは無礼だ。嫌々ながら誘いを受けたが不安だらけだった 

 あの日は週末で「大使」の運転手は休日だったので彼自身が運転して、ミシャと私を彼らの住宅に迎えてくれた。 

 「大使」の家は高級住宅街にあり、周りは庭で囲み、様々な草花や果物の木が植えてある。建物はヨーロッパ風で、風格があるのはもちろん、保守的な感じでもある。壁にはツタの葉が絡みつていた。 

 「この家に引っ越したばかりの頃、ここは完全に荒れ果てていた。二年近く園芸をやり直したら、こうなったの 

 呉おばさんは目の前の成果を指しながら、嬉しそうに言った 

 その噴水と車道で使われている石は全て「大使」が週末に雪山から運んで来たものだ。この時、どうして大使が休みの日にジープを使うのかにやっと気付いた。 

 私はジープを深く愛している。そのため「大使」がジープを持っていることを知って、心から彼のことを気に入った 

 「中にどうぞ 

 呉おばさんが親切に案内してくれた 

 新聞のお茶会で見た装飾が目に映った 

 呉おばさんはアンティークが好きで、壁の上にはアンデス高原の住民が使っている銀器が沢山掛かっている 

 私は「大使」に特別にボリビアの詩と神話の本を送ってもらった。彼は本が一番好きで、本のコレクションも豊富だ 

 現地の新聞は、呉「大使」に長い紹介文を書いたことがあり、そのタイトルは『インディアン親しくする「大使」』だ 

 五年の月日をこの国で過ごし「大使」夫婦は当地の風俗習慣が残っているインディアン村落「ダリアバーグ」の教父と教母として選ばれた。これは民衆が彼らを敬愛することでもあり、民が台湾に親しくしている証だ 

 私は人見知りで神経質な人だ。もし相手が私に遠慮や距離を置くような行為をすると、数分も掛からずにその人のことを避ける理由になる 

 「大使」夫婦の家には、全ては見ることができない程のコレクションと草花があり、彼らが後輩に対するその儒者の教養と親切は、春風のようで帰りたくなくなる 

 「ジープで出かけましょうか? 

 「大使」がスーツからジャケットに着替え、笑いながら私に聞いた 

 彼の手の中に大きい西部式のカウボーイハットを持ち、車に乗る時にかぶった 

 「大使」は「今日はカーニバルだ!」と笑いながら言った。その楽しんでいる自然な態度が、彼人のいい証だ 

 「大使」夫婦趣味は本でなければ石だ。収集しているものは民族古物が多い。庭には果物沢山あり、休みの時はなんとジープを運転するのだ 

 この「大使」は自然が好きで、日曜日は一人で海抜五千メートル以上の雪山を登り、雪の中で休むことで魂の浄化ができると言っていた。 

 彼はもちろん上品で凄い人なのだが、実際は怪人であるとも言える 

 呉おばさんが私に「現地の料理を食べませんか?」と聞いた 

 郷に入れば郷に従うことが最も好きなので、もちろん現地の料理も喜んで食べる 

 また風情のあるジープに乗れて、とても楽しい気分だった 

 車は郊外を移動し続けており景色が良い 

 「大使」は軽い話し方と低いイントネーションで不意にユーモアのある話をするので、他の人は笑ってしまう。しかし、本人は何も無かったように笑わない 

 花と果樹に囲まれているレストランは、配置がすっきりしていて上品、そして田舎風である。 

 生活にこだわりがある人こそ、このような良い場所が見つけられる 

 ここでの食事はとても賑やかだった。他のテーブル客や、レストランの従業員など、皆が「大使」夫婦と仲良く、挨拶をしにきていた 

 その人たちは社交辞令を言うために来たのではないことが分かる。なぜならそんなことをする必要がないからだ 

 このとても人気ある「大使」は、この小さい場所にいても見て分かる 

 もちろん彼の奥さんの努力も無視しがたい。呉おばさんは思いやりがある 

 レストランから出てきて、花の小道のに大きい梨が落ちていた。「大使」がそれを拾い前の現地の二人の女の子を追いかけながら叫んだ 

 「たちの梨だよ! 戻っておいで