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三毛の中南米紀行 -22-

<修正前>

悲喜こもごもの記録 

故郷の思い出 

 

 

中国、この一枚の葉は実際あまりにも大きい。 

 しかし私はこれまでの人生でずっとものごとの表面をおおざっぱに見ることや一部だけを見ることを嫌ってきた。中国を目の前にして私は迷った。どこに着地して歩き出せばいいのだろうか。 

 だがついに私は最も触れたくない、一番弱い葉脈――故郷を選んだ。私のルーツに向き合うことにした。 

 私たちは小さい頃から「杏の花が咲く小雨の降る江南」に憧れていた。乾隆帝が六回も訪れたという江南はいったいどんなところなのだろう。そこで雄大で広々とした北部を断念し、江南に行くことを決めた。春になったら見渡す限り広がる菜の花畑を見に行こう。 

 そう決めた。まず先祖と伝統に義理を果たし、故郷への思いにけりをつければ私の心はようやく一人の旅人に変わる。 

こうして私は中国南部の最大都市――上海に着いた。そこは両親の生まれた場所だ。 

 上海には家があり、それは三毛(サンマオ)のお父さん――漫画家張(チャン)楽(ルー)平(ピン)の家だ。 

 今の三毛が生まれる前に張楽平は三毛という名の孤児を描いた――この子どもは親とは縁が薄い子どもだった。だからこの三毛と呼ばれる女の子も作品の中の三毛のように、親とは縁がない運命なのだ。家に帰っても三日しか落ち着いていられない。 

 張家の人々とは三日だけ一緒に過ごしてすぐに慌しく別れ、後ろ髪を引かれるように名残惜しく立ち去ることになった。こうして私の故郷への旅が始まった。 

 この時、三毛が中国の内陸に帰るというニュースはすでに新聞に掲載され、三毛は彼女自身でいられなかった。三毛は作家としての三毛だ。そこで上海同済大学のゲストハウスに居を移し、ホテルには泊まらなかった。大学のゲストハウスには警備員がいる。自分の身を守るためだ。気力が本力に追いつかないので三毛は多くの中国文化人とは一定の距離を置いている。感情の平静を保ち体力を過度に消耗しないためである。 

 あの張(チャン)愛(アイ)玲(リン)が書いた切ない物語、路面電車がガタコトと走る音、パンを焼く香り、西洋と東洋が入り混じる上海はやはり堂々たる都会である。 

 しかし、全てを見て回ることは出来ない。 

 七日後には上海を離れて蘇州に行った。 

 姑蘇、蘇州は林黛玉の故郷だ。林黛玉という少女は小説『紅楼夢』の中で人々に愛された登場人物だ。 

 あの日、蘇州に着くとすでに夕方だった。非常に高い運賃を無駄にしたくなくて、荷物をいとこの家に置くと「車で出かけましょう!」、とすぐに言った。大切な三毛に同行してきた親戚が「どこに行こうとしてそんなに急いでいるの?」、と尋ね、私は「寒山寺」、と答えた。 

 午後四時過ぎ、観光客は帰ったあとだった。 

 天気は肌寒くなり、早春の風の中、雨が芽吹いたばかりの楓の葉を打つ。そっと寒山寺に入ると、周りはしんと静まり返っていた。緑に囲まれた小さな道を黒い袈裟を着た高僧が大股で歩いてきた。しゃがみこんで後ろ姿をカシャっと写真に撮ったが、誰も邪魔しなかった。 

 寺院に入り年配のお坊さんが静かに字を書いているのを見た。隣で二人の若いお坊さんが紙をずらしている。入り口の外に立ち、首を伸ばして中を覗き込み微笑んだ。 

 若いお坊さんは訪問者が彼の愛読している本の作者だと気付き、「おや」と言って寺院に招きいれ、私はまた微笑んだ。年配のお坊さんが訪問者が誰か気付く前に双林の若いお坊さんが「この方は台湾から来た大変有名な作家、三毛さんですよ」、と紹介した。 

 三毛はこの時、中国での三毛の名声は地に足が着いたものではなく、ただの「有名人の三毛」にすぎないことを知り、ふと暗然たる思いにかられた。 

 明らかに虚名なのだ。そして年配のお坊さんが一幅の書を揮毫してくれた。私もお返しにひとこと書いた。筆を持ち鄭(ジェン)板橋(バンチャオ)の筆法だと自称した。書き終えると年配のお坊さんは礼儀正しく合掌し、別れを告げた。 

 若いお坊さんは名残惜しそうに一緒に小さな建物まで見送りに着いてきた。考える間もなく階段を上るように促され、階上の角を曲がると三毛はあっと叫んだ。寒山寺の大きな鐘が目の前にあったのだ。 

 鐘を見て心の中で「これは偽物だ。本物の鐘はすでに日本に持っていかれてしまった」、と呟いた。 

 しかし、鐘は鐘。偽物も本物も関係ない。 

 若いお坊さんは三毛を鐘が吊るされている場所まで引っ張って行き「叩いて下さい」、と言った。 

 遠慮するつもりだったが、鐘には易占の八卦の記号が浮き彫りになっており、ちょうど槌の当たる場所には「三」のような「乾」と表す記号があるのが見てとれた。自分の名前が書いてある。せっかくの機会だったので、チャンスを逃さず、手を伸ばし、全身の力と気持ちを込めて鐘をついた。 

 ゴーン――余韻が消えそうだ 

 ゴーン――余韻が消える 

 ゴーン―― 

 鐘を三回叩いた。隣で聞いていた親戚や友人が口々に言った 

「もう一回鐘の音を聞きたいと思ったら×年×月×日の夕方に寒山寺の外に静かに座って待たなければならないよ。今日わけも分からずに鐘を叩いた音をよく味わっておきなさい」 

 下に降り、壁にもたれながら自分に尋ねた。これは夢ではないだろうか?! 両足の力が抜けて足元が頼りない。 

 線香のところまでふらふらと歩くと、明らかに禅宗の寺である。禅寺に線香が必要だろうか? 思わず笑いながら「線香は余計です」、と口に出した。 

 歩き出そうとした時、若いお坊さんがやってきて「性空法師様が禅房へいらしてくださいとおっしゃっています」、と知らせてくれた。さっきカメラで撮ったあの黒い袈裟を着ていた年配のお坊さんは方丈の性空法師だったのだ。 

 方丈が来た。掛け軸を一幅揮毫すると、若いお坊さんが前に進み出て巻いた。三毛の名が書かれたものを手に入れて立ち去った。 

 家に帰り、兄嫁が仕度した食事を食べた。 

 その後の蘇州での五日間は林黛玉になって泣き、笑い、風花雪月を賞でた。 

 蘇州の庭園に入り、笑いながら言った。 

「この庭園は写真とは違う。写真で見る中国の庭園は大したことないけど、実際に中まで入ってみると、ああ――」 

言葉を失った。 

 隣の人が「写真とどう違うの?」、と聞いた。 

 「風が足りなかったのよ!」、と言い返した。 

 この時そよ風が吹き、空いっぱいの杏の花がゆっくりと地面に舞い落ちた。みんが花びらの雨の中を歩こうとした時、三毛が手を伸ばし人々の行く手をさえぎって「動かないで、しばらく待って。林黛玉が花を弔うまで待って花を踏んで行って。林黛玉は今築山の後ろで泣いているの。あなたたちは聞こえないの?」、と呼びかけた。 

 このような五日間だった。 

 五日後、人々によく知られていない水路を遡る旅が始まった。 

 父方のまたいとこと同じ船に乗り、私は思った。 

「これは林黛玉と璉二お兄さんが船に乗って水路で家に帰る場面じゃないの?」 

この時またいとこは大変疲れていたため、横になったとたん鼾をかきはじめた。私は疲れた彼を見て、そっと船室のドアを開けた。 

 神経質な彼はすぐに気付いて声をあげた。 

「傍にいてよ、どこに行くの?」 

「外の月が綺麗だから見に行くの」、と囁くと、彼は疲れ切った声で「気を付けてね。水に落ちないように」、と声をかけた。 

 この夜は隋の煬帝が作った運河に沿って進んだ。その道中、彼女ははらはらと涙をこぼし続けた。水路が浙江省に近づいた時、彼は目を覚ました。既に夜が明けていた。彼が何か尋ねたが、彼女ははっきりと聞き取れず、突然寧波の方言で尋ねた。 

「なんですって?」 

水路を進むにつれて上海語から蘇州方言に、また蘇州方言から寧波方言に変わる。心の中にある故国の山河に移り変わりはすべて言葉の中にある。 

 杭州での二日間、記者に見つからないようにした。記者がホテルで三毛を探し回っていた時、三毛はもうこのホテルを離れ、十六番バスに乗っていた。 

 この時の三毛はもはや三毛ではなく、中国の十一億人の中の無残に踏みつけられる小さな草でしかなかった。 

 二日間の経験はとても貴重だった。 

 ただ血圧が低いため、上は七十、下は四十で立ちくらみのために六回も倒れた。私はついに「もうだめ。故郷に帰りましょう」と訴えた。 

 バスが寧波の町に入った時、故郷の人々は舟山(ジョウシャン)群島から迎えに来ていた。四時間も走ったが、バスで通るところは全て青信号だった。 

 港に着くと船長と海軍が迎えに来て舟山群島に行くためのフェリーを用意してくれた。迎えに来た同郷の友人に「一度も停まらずに走ってこられたのは何故か分かる?」、と聞かれて「気付かなかった。ずっと両岸の風景を見ていたから」、と答えると、その人は「あなたのために全部青信号にしたのよ」、と言う。私は顔色を曇らせた。 

「私を馬鹿にしているの。私はそんな人じゃない」 

その場は気まずい雰囲気に包まれた。 

 船は鴨蛋(ヤーダン)山の舟山群島の港に入った。船長が「御嬢さん、はるばる来てくれたあなたをあんなに多くの人が港で待っているよ。これが入港の汽笛だ――引っ張って」、と促した。 

 ボーッと音をたてた汽笛は複雑な喜びで満ちていた。まるで「帰ってきましたよ」、と言っているようだった。船が接岸すると、岸の上の波上場は黒山の人だかりであった。近い親戚はいないのに、といぶかっている私に彼が言った。 

「彼らは記者だ」 

私は故郷の誰に自分の心を届ければいいのかわからず、また涙ぐんだ。 

 波上場に降り立ち、人混みに向かって大声で叫んだ。 

竹(ジュー)青(チン)叔父さん、竹青おじさん、どーこーでーすーかー?」 

陳(チン)家の当主――ニー・ジューチンを一生懸命に探した。 

 沢山の人が押し寄せて名乗りをあげた。誰かれかまわず抱き合って泣いた。故郷を思う涙が親愛の情を込めた呼びかけの言葉を借りて人々の上に降り注いだ。 

 一人また一人と抱き合い涙を流した。竹青叔父さんが現れると私はついに竹青叔父さんの方で大声をあげて泣いた。 

「竹青叔父さん、三歳半の時あなたに抱っこされたことがある。今では私たち二人とも年老いて白髪になり残された人生でまた再会出来た。私に抱かせて」 

言い終わるとまた、激しく声をあげて泣いた。 

 そのあとの旅では私はぼんやりとし、夢の中にいるようだった。私はイタリア製のショートブーツで故郷の土をしっかりと踏み、自分に言った。 

「もちろん――夢じゃないでしょうね」 

 この時聞こえてきた話し声はみな同じ言葉を繰り返していた。 

「泣かないで、泣かないで。おかえり、おかえり。大丈夫、休んで。大丈夫、大丈夫……」 

 私の涙は止まることがなかった。 

 送迎の車が並び、華僑のホテルへ向かおうとする時、私がふと尋ねた。 

阿(アー)龍(ロン)叔母さんはどこにいますか? 故郷に唯一残っている年長者なの。訪ねたいわ」 

そこで車はターンして一軒の古い家へと近づいて行った。 

 まだ車が着く前に彼女の声が先に届いた。 

「阿龍叔母さん――平児(ピンアル)*1が帰ってきたよ――」 

叔母さんが誰なのかはっきり分からないうちに私は彼女を椅子に座らせ、記者が写真を撮るのを待たず、テレビ局のカメラマンが入ってくる前に、私は急いで膝をついて三回お辞儀をし、風のように立ち去って華僑のホテルに帰った。 

 これで町長を迎え、記者会見をする準備が出来た。 

 三日後定海市の郊外に戻った――小沙(シャオシャー)郷の陳家村に祖父の生家を訪ねた。 

 その日は沢山の人だかりで「小沙の娘さん、おかえりなさい」、という声に迎えられた。 

 三毛には新しい名前が出来た――「小沙の娘」だ。 

  村人が薪小屋を指して言う。 

「あなたのおじいさんはこの小屋で産まれた」 

急ぎ足で門口まで行ったが、扉には鍵がかかっていた。 

 気の窓から覗くと、中には薪が積まれてあり、私はこの時また涙を流した。 

 遠い親戚の叔母さんの部屋に入ると、お湯の入った洗面器と真新しいタオルを渡され心の中で化粧をしているのにと思ったが、このタオルには別の意味があると思い直し、迷わずに四十年の旅の垢を故郷の水で綺麗にさっぱり洗い流した。 

 水は温かったが、私はまた昏倒した。 

 十五分後、私は意識を取り戻し「もう大丈夫、先祖のお参りに行きましょう」、と言った。 

 四十年の間、開かれることのなかった租廟に着き姿勢を正して言った。 

「さあ、お参りしましょう」 

 村の人は既に先祖を祀る儀式の準備をしていたが、祭礼のやり方がわからなかった。四十年の時の流れの中で全ては失われていた。お香に火をつけたが香炉がなかったため、ブリキ缶を探してきた。これで十分だ。私はそれを見て、数本の線香を受け取り、人々をかきわけ「あの――道を開けてください」、と頼んだ。 

 後ろを振り返って空に向かい、大声で叫んだ。 

「まず天に感謝し、次に地へ感謝します。野次馬見物している人はちょっとどいて下さい。あなたたちは――邪魔しないで」 

 再び祭壇に向かい赤い敷物を見て私は跪き、線香を古い缶に差し込んだ。この時は泣くことなく、心の中で先祖に向かって語りかけた。 

「平児は女だから家系図には入れません。今日、海外から帰ってきた一族の一人として一族の皆様を代表して故郷に綿を飾るために帰って来たのは陳家の家系に入ることを許されない私です」 

 先祖を祀るため、ロウソクを立て、位牌に向かって平児は恭しく三回をつき、九回額を地につける礼――閩(ミン)南(ナン)地方の作法――を用いた。台湾育ちなので関亭朝で見たやり方だ。 

 参拝が終わると平児はまた昏倒し十五分後に起き上がって「もう大丈夫、お墓参りに行きましょう」、と言い数百人が一緒に山を登った。 

 大勢の人に手を引かれ背をおされて登ったため、雲に乗って昇っていくかのようだった。 

 祖父のお墓の前に来た。さっき雨が降っていたせいで地面はぬかるんでいた。まず風水を見ると、悪くはなかった。次に墓の基礎が安定しているか、水はけは良いかどうかを確認すると特に問題はなかった。そして祖父の名前が違っていないか墓碑を建立したのは誰か、また両側に彫刻された松、柏、草花を見てから「いいわ」、と頷き、ようやく線香を立てた。 

 お墓の前で私は声の限りに叫んだ。 

「ああ、ああ、魂よ、帰ってきてください――。平児が会いに来ました」 

この時は思いきり激しく泣き叫んだ。祖父のに抱かれる孫のように安心しきって旅の心と体の疲れを亡き祖父を募る愛の涙に変えた。 

 滂沱として涙を流していた時、赤い服を着た七、八歳の子どもが周囲の人々の中で大笑いしていた。脳裏に賀知章の詩の一節が浮かんだ。お国訛りはそのままだが髪は白くなった。子どもが笑いながら、旅のお方はどこから来たのかと尋ねる。子どもにとってはよその土地から自転車でやって来た人が、土まんじゅうの前で泣いているだけのことだ。理解できるはずもない。 

 子どもは手を叩いて笑っていたが、四十歳以上の人々は目を涙でいっぱいにし、泣いて言える人もいれば、涙を堪えている人もいた。 

 先祖を祀る儀式は終わった。父の昔からの秘書竹青叔父さんは赤い敷物のところまで行き、どんと膝をついた。目赤く泣きはらし、礼拝をし始めた。三毛もすぐに膝をつき、泥の中でまたお辞儀をしてお礼をした。 

 親戚、友人、同郷の人が次々と登ってきた。同族とは姓の異なる年長者には平児は泥の中で返礼し、同世代の人には返礼しなかった。故郷の人たちは涙を流しながら、墓に向かって言った。 

「叔父さん、当初私は貧しい家庭に生まれ、もしあなたが小学校を作って村の子どもたち全員に無料で勉強させてくれなかったら、私は今ごろ小学校の教師ではなく読み書きも出来なかったでしょう」 

数人が墓参りに来て、泣いた。陳家の人間は彼らを迎えた。これでようやく四十年間の空白を埋め合わせることが出来た。 

 礼を返し終わっても祖父の魂は帰らなかった。平児は少し意外に思った。 

 新しく作った墓に縋り付き、墓碑を叩いて呼びかけた。 

「おじい様、まだ来てくれないの。時間がないのよ、早く帰って来なければ間に合わないわ」 

帰って来た。ようやく帰って来て言葉を残してくれた。 

 平児は祖父の言葉を聞き、涙を拭いた。そして墓の土を掴みビニール袋に入れた。 

「これでいいわ、帰りましょう。山を降りましょう」 

 山道は滑るため、記者の中には転んだ人もいるし、斜面を転がり落ちた人もいる。小沙の娘だけは一歩一歩しっかりと歩いた。彼女が突然しゃがみこんだのを見てまた失神したのかと思ったが、立ち上がった時、手の中には白い花があった。赤い袋を開け、その花をそっといれた。まだ足りない。十歩足らず歩いてはしゃがみこんで落ち葉を、三枚拾った。 

 これでいい。立ち上がり、「故郷のあの井戸を忘れていけないわ、そこへ行きましょう」、と言った。 

 祖父の古い家の井戸はまだあった。 

 親戚は小沙の娘を大変可愛がり、台湾の女性は弱いと思い込み、鉛製の桶で水を汲んで彼女に渡そうとした。 

「汲まないで。自分でやりたいの」、と言うと、故郷の人は「あなたに水が汲めるの?」、と尋ねた。小沙の娘は「見損なわないでよ」、と答えた。 

 そこで入っていた水を捨て、桶を再び井戸の中に入れると、自分の影が水面に映った。ごとんと音がし、縄を引っ張ると桶には水がいっぱい入っていた。 

 水を瓶に入れた。道中沢山のカーブがあり車が揺れるので、故郷の水をこぼしてしまわないか心配だった。濾過前の濁っている井戸の水をガラスのコップに入れた。兄さんが「飲まないで。不潔だから」、と制止したにもかかわらず、一気に飲んでしまった。 

 あちこちを見回し、屋根のてっぺんにある鉄の服にかかっているものを指さし「あの古くてぼろぼろの籠はまだ使っている?」、と聞くと親戚の叔母さんが「籠の中は干し野菜だよ。干し野菜が欲しいの?」、と聞くので「野菜は結構です。籠を私にください」、と答えた。 

 叔母さんは籠を拭き、平児に渡した。 

 井戸の水も飲んだし、籠ももらったのにホテルに帰っても安心できなかった。缶の中の土を出し、瓶の水に混ぜ、こっそり飲んで心の中で自分に言い聞かせた。 

「これで病気にはならないだろう。どこへ行っても水にあたることはないわ」 

 二日後、三毛は故郷を離れた。 

 降りはじめた小雨が小沙の娘を見送った。ちょうど雨風が春の帰省を送るように。 

 私は涙を流しながらバスに乗り、何度も振り返って「私の籠をしっかり持っていて!」、と言った。干し野菜は陳家で当時、飯を盛っていた古い茶碗にかわっていた。 

 船に乗り、ホテルの外側に広がる綺麗なアヘンの花畑を見ながら自分に言った。 

「今だわ」 

白のハンカチを用意し、もう一度竹青叔父さんを抱いてから手を放して乗った。 

 汽笛が鳴った。周りを気にすることもせず、泣きながら船の欄軒に身体をあずけて「これでもう心残りはないわ」、と独り言をもらした。 

 残りの人生に―― 

 悔いは――ない。 

 そうだ。雨風は春を送り、春になって家の主も去った。紅楼夢に登場する「元・迎・探・惜」*2の四姉妹の他に、もう一人の妹、「在春」が加わった。 

 帰ろう、帰ろう。これでいい。もうこれ以上、騒ぐことはない。 

 

訳注 

*1平児 

三毛の本名懋平の愛称 

*2元・迎・探・惜  

紅楼夢には元春、迎春、探春、惜春の四姉妹が登場する。ここでは「在春」というもう一人の娘が表れたと言っている。 

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