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三毛の中南米紀行 -19-

<修正前>


チリの五日間 

チリ紀行 

 

 

 チリの税関を出たが、旅客サービスセンターのカウンターが見つからなかったので、私は少し待ち、税関のスタッフが手すきになったのを見はからって、彼に場所を訊ねた。 

 「聞かないで。私はその係じゃない」 

 不愛想な答えにまず、厚かましくまた聞いた。「何処にあるのか教えてもらえませんか? 

 「外! 

 外の左か右か彼は教えてくれなかったが、私はお礼を言って出てきた。 

 多くのタクシーが呼び込みをしており、持ってきたガイドブックの幾つかのホテルの住所を運転手に聞くと、その中のある人が面倒臭そうに言った。 

「旅客サービスセンターに行けばいだろ! たちはガイドじゃないんだ 

 私はお礼を言い、旅客サービスセンターに急いだ 

 太陽は既に西に傾き、カウンター内の女性スタッフの席丁度西日に照らされ、彼女はげんなりとした表情をしていた。 

 「ホテルのリストを見せてもらってもいですか? 

 それは彼女の腕の下に敷かれていた。彼女がわずかに腕をずらして見せた数行ほどに目を走らせると、全て一日ドル以上だった。 

 「もっと安いところはありますか? 

 腕をまた下にずらし、六十ドル以上のリストが見えた。 

 「一日四十ドルまでなら払えます 

 彼女は私をいわくありげにちらりと見て、の紙をこちら側に投げてよこしたが、やはり一言も話さなかった。 

 「両替は何処で出来ますか?、と更に聞いた。 

 「閉まりました 

 「市内に行くバスはありますか? 

 「両替しないでどうやってバスに乗るのですか 

 「もしかったら── 

 「出来ません 

 最後まで聞かず、間髪入れずに出来ないと言われたので、それ以上いやな気分にならないうちにお礼を言って離れた。 

 ここ、チリの首都サンチアゴは、コスタリカの空港とは違って他人に小銭を恵んでもらうことは出来ない。ここは違う感じがする。何も得られないことが感覚的に分かる。 

 ペルーに着いたのは深夜四時だった。現地のお金持っておらず、ホテルもかったが、バスの運転手が親切にサービスしてくれ、私たちを泊まところまで送ってからやっと帰った。あの気遣いを思い出すと心から感謝の気持ちこみ上げてくる。 

 旅程が何月も伸びたため、体力も段々続かなくなり、空を飛ぶに必ずくらくらして吐いてしまう。飛行機を降りる時には疲れていて、早く寝て休みたいのだ。 

 バスがないなら、タクシーに乗れば良い三十八ドルのホテルを選んだ。これが最も安かった。 

 車に乗って、運転手に怒っていたわけではないのに、彼は先にけしかけてきた。 

 「あんたの国の人間はチリにどんどん増えている」 

 「そうですか、知りませんでした 

 「とてもケチなんだ」 

 「中国人は勤勉で苦労を厭わず頑張る、穏やかな民族です。私たちは社会に迷惑をかけるようなことはしません 

私はゆっくりとったが、運転手に対して好感を持てなかった。 

 「金のことばかりだ。あんなに稼いでどうするんだ。人生を楽むことを知らない 

 「それはあなたの見方にすぎませんよ 

私はもう何も言いたくなくなり、また中国人の悪口を言うことないように、ホテルに着いたらこの偏見に満ちた運転手にチップを多くあげようと考えていた。 

 ホテルは行き止まりの一本にあり、車入れなかったので、私が先に降りて、空き部屋があるかどうか見に行った。さっさと行ってきたかったので旅行小切手や現金ドル、パスポートと航空券が全て入っているミシャに預けた 

 「ちゃんと持っていてね! 先に降りるから! 

私は言い終わるとすぐに出て行った。 

 数歩走ったところで、振り返るとなんとミシャも下車しているのが見えた。私の後ろに手ぶらでついてきていたのだ。 

 「ミシャ── 

私は驚き、すぐにあのタクシーのほうを見た 

 まだエンジンがかかったままだった車は、なんとゆっくりと動き出していた。 

 一車線しかない車道なので、すぐには走り出せない。しかし車の半分は既に車道に乗り出していた。 

 私は叫ぶより前に、身をひるがえし追いかた。運転手はちらりと私を見たが、まだ車道に出ようとしている。私は彼の肩を叩いた。 

 「何をしているんですか? 

はきっと真っ青な顔をしていただろう。 

 彼は無表情で、逃げられないと分かると車を停めた。 

 「私たちはここで降ります! トランクを開けてください 

 ミシャも追い付いて、二人で荷物を降ろした。運転手は傍で冷やかに見ていた。 

タクシー代十三ドルチップも合わせて十六ドル渡すので、確かめてください 

私の声も喉につっかえるように硬かった 

 「誰が言ったんだ。二十五ドルだ 

なんと彼は恥ずかしげもなく上乗せしてきた 

 「乗車する時確かめましたよね 

 「誰がそれでいいと言った? 二十五ドルだ! 

 をちらりと見て、私は思い切った行動に出た。荷物を持ち、ホテルに向かった。ドルも払わなかった。 

 彼はホテルの中までずっとついてきたが、私は相手にせず、部屋をとり、フロントに言った。 

「私の代わりに運転手さんに正当な料金を払ってください。あとで両替して返します 

 運転手は私を止められず、ただぶつぶつと文句を言っていた。 

 チリに初めて着いていきなりこんな目にあったのはもちろん自分が不注意だったせいもあるが、空港で受けた不当な扱いにモヤモヤした時の気持ちも引きずっていた 

 荷物をちゃんと降ろした時には、もう夜になっており、ホテルで少し両替をしてミシャを連れ、街に食事をするを探しに行った。 

 市の中心にある非常に賑わっているレストランでようやく空席を見つけた。食べ終わる頃、三人の子どもを連れた父母が私たちのテーブルの傍で待っていた。 

 私は待っているの大変だろうと思い、既にテーブルに置いてあった伝票を手に取って立ち上がり、席を譲った。 

 この時、会計係の女性が何処からともなく現れ、大声でわめいた。 

どうして客席で清算しないの? お客さんがあなたのようにしたら、営業出来なくなっちゃうわ! 

 「あなたはもう伝票を置いたじゃない! 

はゆっくりと言った。 

 の人はまだすごい剣幕で、目を剥いて、ひったくるように金を持って行ってしまい、笑顔のかけらも見せなかった。 

「チリの人はとても不思議だね、とミシャが言った。 

 「偶然よ。そんな風に言わないの 

私は面白くない気持ちでレストランを出た。実際、かなり不愉快だった。 

 サンチアゴの中心街にあるのは豪華な外装のばかりで、車輌通行禁止になっており、商業地区には多くのベンチがあり大勢のが座っていた。 

ようやく女性が一人しか座っていないベンチを見つけ、彼女に声をかけて隣に座った。 

 もし他の国であれば、真ん中に座っている人少しずれて場所をあけただろう。ミシャとが腰を下ろし、ぼそぼそと話していたが、この女性は全くこうとしない。 

 「行きましょう。彼女の両隣に座って、ボディーガードでもするつもり?、と私はミシャに言った。 

 この大きな街をぐるっと一めぐりしてみると、車の往来が盛んで、皆慌ただしく、服とても気を遣っているが、表情はむしろ冷ややかだ。 

 イースター島の地図が貼ってある旅行会社が目に入り我慢できずに旅費を尋ねった。この島はチリ領に属しているものの、往復すると大体八千キロメートル太平洋にあ 

 旅行社の若い女性は初めから値段を言う気はないようで、つまらなそうな表情で、素っ気なく言った。 

「とても高いですよ 

 「どのくらい高いのですか? 

 「行きたいのですか? 

彼女は私をちらりと見た。 

 「でも、どのくらいなのですか 

 「観光客は何もすることがなくなるとわざわざ聞きに来るけど、大半の人はお金が無くてないんですよ 

この女性は笑っているともいないとも言えないような顔で同僚と話し始め、私を見ようとしなかった。 

 私はとても不満だったが、何も言い返さず、ガラスの扉を押し開け外に出た。 

 チリの土地に時間も身を置かないうちに、恐らく私の気分を害する人には出会い尽くしたようだ 

 ホテルに戻っ掃除おばさん挨拶して言った。 

「チリの人はとても冷たいんですね。服が乾いたらすぐ出ます。ここは私たちを歓迎していないから、出て行ったほうが良いようです 

 ホテルに到着した時にジー洗いし、ブラウスも洗って、浴室に干しておいた。 

 「そんな風に言わないでちょうだい! 来たばかりなのに気を落としてはいけないよ! 

おばさんは慌てたように言った 

 「あなたはチリ人なのですか?」と私は言い、笑った。 

「純血よ! そう急がないで。明日ホテルフルーツを仕入れるから、食べてよ! 

 「服が乾いたら、やっぱりすぐに行きます、と私は頑なに言った。 

 これを聞くとおばさんは何も言わず、くるりと踵を返して仕事部屋に行き水蜜桃と大きな葡萄を持ってきて、私の手に置いた 

「先にあげるから、食べてみて! 

 思わず笑ってしまった。 

 サンチアゴは南米で四番目の大都市で、面積は平方キロメート、人口は四百万人近い。何回か理不尽なことがあったからといって、なぜ誤解していたのだろう! 

 の夜はペルーとボリビアがことさら懐かしかった。そこの人々は兄弟のよう親密で、一月滞在したが何も気に障ることはかった。インディアンがいないところではやはり違 

 

 インカ帝国の時代、チリ北部も領土に属していたが、現在のチリ都市でインディアン見かけない。スペイン、フランス、ドイツやイギリス人が移民としてやってきた結果、この細長い国家はほとん白人の土地になってしまったのだ。首都サンチアゴは更に西洋的だ 

 この七十五六千平方キロメートルの国家は確かに小さくないが、住民はたった千百万人しかいない。 

 虹のようにアンデス山脈と太平洋の間に横たわるこの土地は南北四千二百キロメートルに延び東西は最も幅の広いところでも百八十キロメートルしかない。 

 サンチアゴは一五四一年に作られた都市だ。旧市街の風格や、新しい町のモダンさを併せ持つ完全な都市計画のもとに公園、大通り、広場や木々が整備された地上の交通は便利なだけでなく地下鉄もある。これは南米で各都市を旅行しても見られないものだ 

 このような大都市に身を置くと、出費は当然かさむ。ただ、サンチアゴを注意深く見る所と目的はアンデス山脈とは異なるのでいずれにせよ知識や情報を得ることができる。 

 ここの男女は南米旅行で見てきた中で、服に最もこだわりある言える。幼い子どもまで一人前にスーツを着てネクタイを締め、少女はローヒールの靴をあまり履かず、大半がハイヒールで、おしゃれな服を着いている。民色はあまり濃くなく、都会的でまるでヨーロッパにいるようで、もはやラテンの雰囲気はない。 

 チリのワインはコロンビアにいる時度も味わった。水蜜桃は世界一で、市場には物が溢れ、街では貧しい人を見かけない。 

 例え物乞いでも、楽器を演奏してお金をもらうストリートミュージシャンをまれに見ることがあったが、スーツを着ている人がなんと二人もいた。日本製の腕時計をつけ、更に電子オルガンを使いながら路上でその日暮らしをしている。 

 音楽を街に届けている人は、実際には物乞いではないのだろう。彼らのパフォーマンスは、都会の人を喜ばせている。妥当な収入があるのだろう。  

 色々レストランに行った経験から言うと、実際他の国と比べるととても高いことが多いが、商売は上手く行っているようで、新聞に書いてある不景気というものがのことか分からない 

 この考え広場に座っている時にある青年すと、彼は全く同意しなかった。 

 「あなたチリ上辺しか見ていない 

 「ここに来てまだ三日しか経っていないし、あなたたちの町と人しか見ていないわ。でも例え表面しか見なくても分かるわよ。国民の生活スタイルとか他のことは分からないけど、不景気や貧富の格差は観光客にも誤魔化せないわ 

 「政治の自由がないのです 

 私の手には丁度その日の新聞があったので、少しめくりある記事を指さしながら笑って聞いた。 

「あなたたちは自分たちの大統領は政治的に謀殺されたが証拠が見つからないと書いている。この新聞明日も同じように出版されればそれも一種の自由でしょ? 

 政治について、ボリビアでは触れてはならない話題だったので、つい力が入ってしまった 

 大卒で銀行に勤めているというこの青年は、私のこのように自由を解釈するのを聞いて、激怒のあまり呼吸が荒くなってしまった。 

 チリは一九六四年から一九七〇年まで左翼思想のフレイ大統領が政権を握っており、一九七〇年以降はアジェンデ大統領の社会主義路線になった。 

 その数年、政治のやり方が社会の実情と乖離していたため、チリの人々は安心して生活することが出来なかった。 

 一九七三年ピノチェト将軍がチリ軍人政府を樹立し、現在に至っている。 

 選挙はこの国では一九八八年になってやっと認められた。 

 これはチリの比較的特殊な事情である。チリの一般大衆、特に青年知識人と話す時は、避けられない話題だ。 

 イースター島には是非とも行ってみたいが、旅費がとても高く、長らく躊躇っていた。チリに到着し、自分の血圧が低すぎるせいで強烈な車酔い、飛行機酔い、更にはエレベーターの上り下りでも眩暈がすることを知った。 

 薬局の人はとても良い人で、無料で血圧を測り、薬を処方してくれた。私の瞼をめくって見て、貧血だろうからと鉄分が入ったビタミン剤も貰った。全部飲んでもくらくらする感じがなくならず、歯茎が化膿し炎症を起こし始めた。 

 ミシャは私が道中あちこち具合が悪くなることを最も心配している。もし無理をしてイースター島まで行っても、ミシャの精神的負担が増加する。加えて二人の旅費も計算して元々計画になかった旅程は諦めることにした 

 チリの「国立自然史博物館で有名な展示といえば、アンデス山脈の凍土から発掘されたインディアンの子どもミイラだ。博物館はサンチアゴから四十キロメートルほど離れており、ブロモ山の山頂にある。 

 聞くところによると、その年、この子どもは神への人身として差し出された。死体が長年雪に埋もれていたため、数百年後発見された時傷がない状態だった。バスに乗って博物館に行くと、写真しかなく、子どもはいなかった。 

 「お聞きしたいのですが、子どものミイラは何処ですか? 

私は館内の人に尋ねた。 

 「修繕中で 

 「何処で修繕しているのですか? 遠くから来たのです。彼のことをどうしても見たくて 

 「同じ温度で冷凍保存しなければならないのです! 月下旬から展示出来ますが、現在は見ることが出来ません 

 たまに私は自分が本当にしつこいと感じる。毎回博物館に行く度に、行かないならともかく来てしまうと、質問が多くなる 

 またチリの人を捕まえ嫌がられないように、ぐるりと博物館を回り出てきた。ここの人は医者のように多くを語ろうとしない。 

 チリの博物館はメキシコやコスタリカ、ペルー、ボリビアのものに及ばない。彼らは文化遺産を大切にていないようだ。 

 公平に言うと、サンチアゴはとても美しく、手入れの行き届いた都市だ。 

 マポチョ川東から西に都市を貫き、川辺に並木道があり、緑が敷物のように広がっている。市内の人は川のほとりを散歩している。都会で暮らすプレッシャーを同じ都会の中で解消することが出来る。 

 市の中心地を除き、チリの住宅区にあるのは全て落葉樹の大木だ。夜中にミシャと橋を渡り、静まりかえった路地を歩いた。どの家も既に眠りについており、ただあるのは木と暗い街灯に照らされている静かな町だった。夏は間もなく終わる。サンチアゴの夜は、秋の涼しさを漂わせていた。 

 

 ずっと眩暈がして口内炎が出来た。血圧を二回ってみたが薬を飲んだのに血圧は低いままだった。これはペルーとボリビアの目まぐるしい苦労が積み重なったための疲れだと思い、チリでは遠くに行一回りした、アルゼンチンに行こうと計画していた。 

 チリにも紹介を受けた現地の人の名刺を持ってきてはいたが、勿論連絡する気にはなれなかった 

 最後の二日の夕暮れに街中を歩いていると、後ろからいつの間にか誰かが追いかけてきて中国語で呼びかけた 

三毛(サンマオ)さん、三毛さん! 

 振り返ると、眼鏡を掛けた中国人の青年が行儀よくそこに立っていた。 

 なんと台湾から来た人で、ここで事業をしている好青年だった。 

 話をしているうちに、この青年は私とミシャを彼のに夕食に来るようにと何度も誘ってくれたが、私は頑なに断った。もう恩をたくさん受けており、行く先々で中国の同胞に会う度に歓待をうけ、恩を返し切れない。申し訳ない気持ちが積み重なっていた。 

 「私の父があなたにとても会いたがっているのです。食事が重要なのではありません、で話すことが大切なのです。駄目ですか? 

その同胞は言った。 

 彼が父親のことを持ち出すと、私は困ってしまった。なんといっても目上の人は中国人には大きな存在で、私に会いたがっていると言われたら、どうして拒否することなど出来るだろうか? 

 「私は王凱男(ワンカイナン)と申します。これは私の名刺です」 

彼は名刺を手渡しながら、更に続けた。 

「私の妹は王凱(ワンカイ)珠(ジュ) 

私は声を上げた 

は私がマドリードにいた時の友達だわ! 

 なんと私の友人の父、兄、その妻までチリにいる食事の誘いはれなくなった 

 「一時間後に行きますね 

いきなりついて行って家人を驚かせるのは悪い。凱男を先に帰らせ話してもらうほうが良い。 

 「場所は分かりますか? 

 「住所を知っているから大丈夫よ! またでね! 

 「ほら、同胞がいればご飯にありつける。中国人って素敵でしょ?、と笑いながらミシャに言った。 

 ミシャが最も好んで食べるのは中国料理で、この旅行中も私は食事に不満はなかったが、彼はよく中華料理店に行きたがる。一般的な南米の食事は口に合わないのだ。 

 友達の父親なのだから意を込めて王(ワン)叔父さんと呼ぶべきだろう。最初の挨拶でそう呼ぶと大いに喜んでくれた。実際にはとても若々しく見えた。 

 凱男の妻、延蓮(イエンリエン)は韓国系華僑で、その日は美味しい料理を沢山食べたが、その中で特に気に入ったのは彼女が作ったキムチだった。 

 異郷で同郷の出身者と偶然ってワインをしこたま飲み、深夜まで話し込んだ。 

 「林(リン)享(シアン)能(ヌン)主任のところには行ったかい?」 

 林さんは台湾からチリに派遣され貿易センターの代表として働いている。私の荷物の中に名刺が入っているが、彼はとても忙しい人なので、邪魔をし迷惑を掛けるようなことはしたくない。 

 「行かないつもりです 

 「明日、あなたに連絡をしましょう 

 連絡が来たら必ず大歓迎されるだろう。これ困ったことになった。 

 既に沢山の借りをっている。の道中は同胞の愛に支えられている。彼らは惜しみなく与えてくれるが、私は平然と恩を受けられるのだろうか? 

 次の日、歩いて叔父さんのお店にある聯合報を取りに行った。昼食あること知らなかったが、結局王叔父さんは、私たちは新聞局の代表曽(ツォン)茂(マオ)川(チュアン)さんかれていると言った 

 台湾オリンピック委員会の、沈家(チェンジャー)銘(ミン)委員長もチリに来ており、お昼に彼に会うことが出来るようだ。しかし着ているものはと言うとジーンズだったので、ホテルに戻り着替えなければならない。 

 沈さんは生涯オリンピックのために苦労してきました。私ロングスカートに着替えに行くのは、彼に対しての敬意からです 

そうってホテルに急いで戻ろうとすると、ミシャもついてきた。 

 既に正午になった。汗で全身びしょ濡れになりながら戻り、服を着替えタクシーを呼んで王(ワン)さんのところで降りた。突然ミシャばつが悪そうに言った。さっきミシャに渡したポーチの小切手と現金をホテルの部屋の机の上に忘れてきた、と。 

 王叔父さんそれを聞いて驚き、また車を市の中心部へと走らせた。道が混んでいて、そポーチを持って出てきた頃には、時間は既に遅くなっていた。 

 曽さんは住宅の入り口で出迎えてくれた。快適な部屋、てきぱきとした奥さん部屋を埋め尽くした来客、そしてテーブルいっぱいの料理が私たちを待っていた。 

 ここでは、沈んとり合っただけでなく、林主任夫妻や李(リ)寒(ハン)鏡(ジン)さん、魏(ウエイ)さんと彼の美しい奥さんがいた。ペルーで知り合った王(ワン)允(ユン)昌(チャン)さん私のスペイン時代の学校の先輩、まさかチリで再会できたことは大きなサプライズプレゼントで、彼を見ると嬉しさのあまり叫んでしまった。本当に友人たちが懐かしく、次々に近況を尋ねた。 

 食事の時、私はひたすら自分に言い聞かせていた。悪いと思う気持ちは全て捨ててしまいなさい! もし同胞が私に良くするの好きなのであれば、これから素直に受け取ったほうが良い。迷惑をかけて気が済まなくても、平気でいても良くしてくれるのだから、そんなに申し訳なう必要はない。 

 何度も自分に言い聞かせてみたが、何も効果はなく、他人に面倒をかけることにどうしても恥ずかしさと不安を覚えてしまうのだ。 

 王おじさんは週末まず、私たちと一緒に主任の家に行った。ここでは黄貴美(ホアングイメイ)先生──文化大学の同級生林夫人と呼んでいる人、彼女は私たちとても真心を込め、親切に接待してくれた。 

 林家の三人の子どもは海外で育った聯合報届くや否や読んでいる。中国語はずっと疎かにしていない。 

 夜に李寒鏡さんの家で宴会があった。沈家銘叔父さん、王允昌さん、他にも多くのチリの来賓を招待し、ミシャと私も参加した。 

 が台湾のために力を尽くして働いているのに、役に立たない旅人の私はその人たちに挟まれて食事をしていた。 

 中国の妻たちはやり手で、の日どのくらいの来客あったかは分からないが、料理は常に食べきれないほど用意されていた。全ては主婦の裏舞台での功績だ。 

 一日ずっと周囲を騒がせ、もう十分だと思えたので、出来るなら早くここからいなくなって、の人の手間少なくしてあげたかった。私自身、恐縮しすぎて心が折れそうだった。 

 二日目、曽茂川さん一家、そして王叔父さん、ミシャと私は車を運転し海辺に行くことになった。 

 これは全部王凱男の声かけで大袈裟になった。全て三毛がいるせいだ。 

 海に来て、文化大学の後輩である陳(チェン)吉(チー)明(ミン)夫妻が前日既に黄貴美先生に連絡し、私と外に食事に行くことを約束していた。文化大学の卒業生はこのような団結友情があって、とても親切だ。 

 ホテルのロビーに降りると、私のファンと、一組の若い夫婦が私の泊まっているホテルを聞きつけて、会いに来た。 

 「時間に余裕がなく、お話できないので、明日の朝、飛行機に乗る前あなたのお店にご挨拶に伺います! 

慌ただしく言った。 

 ホテルにファンを置き去りにして申し訳なかったが名刺をもらってすぐ分かれた。翌日もちろん会いに行った 

 その夜主任、黄先生、曽さん、陳(チェン)吉(チー)明(ミン)廖玉瑟(リアオユイスー)と私は時間を惜しんでまた集まり、深夜になってやっと帰路に着いた。 

 チリの最後の二日、同胞の優し身に染みた 

 飛行機に乗る前、曽さん夫婦と一緒に食事をした中華料理屋の店主、銭維(チエンウェイ)国(グオ)おじさんはお金を受け取ろうとしなかった。 

 銭おじさんの梨山にある農場は朱(チュ)天文(ティエンウェン)天心(ティエンシン)*1がよく行っていた。その後銭おじさんは一家で国外出て、ボリビア行ったとのことだった。 

 曽さんの気なしに中華料理屋の北小麦粉料理が好きだいう話をしたので、朱(チュ)西寧(シーニン)さんの友だちのことだろう、会ったら必ず聞いてみようと思った。やはり思った通りだった 

 曽さんはとても話の合う理想的な青年だ。曽夫人の性格は私に似ており、彼ら誠心誠意付き合ってくれたことを、私はただ有難いと感じていた 

 出発の時間が迫り、車の中でさんとどのように台湾を宣伝していくか熱心話し合った黄貴美先生も乗して空港に向かったこうなってしまっては、見送りを断るわけにいかなくなり、ひたすら感謝するのみだった。 

 私はまた先輩や先生に世話になり、人々を巻き込んで借りを作ったことを悔やんだ。この気持ちは、手を振っただけで忘れられものではなく、永遠に心の中に根を下ろすことになった。機会があれば、他の同胞にお返しをしよう! 

 

 

訳注 

*1 朱天文、天心 

朱天文は脚本家。天心はその妹で台湾の女性作家。 

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