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三毛の中南米紀行 -13-

高原の百 ボリビア紀 

 

飛行機が世界で最も高い空港「エル・アルト」に着陸しようとした時、後部座席にいたヨーロッパの旅客が緊張のあまり客室乗務員に酸素マスクを求めた。憔悴しきったその中年男性に全員が注目していたとき、前列の日本人客も不調を訴え、長いため息をついてぐったりしてしまった。二人の客室乗務員が酸素ボンベとマスクを彼らに装着するとほかの乗客たちもだんだん不安になってきた。

 私は青い顔で前の椅子にもたれかかっていた。話もできず両手は冷え切っている。隣にはラパスに来たことのある年配の日本人男性がいて、ずっと私の手を握り、薄い冊子で風を送りながら優しく言った。

 「怖がることはない。安心していなさい」。

 実は怖いわけではなく、飛行機が下降する際に酔ってしまい、気持ちが悪くなっただけだ。

 「着いたらゆっくり歩くように。熱いシャワーや食べ過ぎもよくない。酒も飲まない方がいい。次の日には良くなるから」

 「別にそういうわけでは……」

 老人は私の言葉をさえぎって付け加えた。

 「話さなくていい。酸素を使ってしまうからね」

 私は彼に笑いかけ、本当に一言も話さないようにした。

 飛行機を降りる時には手荷物を全てミシャに持たせた。自分の心臓があまり良くないことは分かっているので、無理はしない。海抜四千百メートルの平原は私が訪れた土地の中で最も高い。ここでは空港の滑走路も普通より長い。空気抵抗が違うからだ。私はできるだけゆっくりと動いた。私があまりにのろのろと歩いたので、空港の警官が笑出したほどだ。 ボリビアは南米のチベットと言うべき場所である。当時のことを思い出すたびに神秘的な思いにとらわれる。空港を見るだけでも、蒼茫たる草原に非凡で静かな美しさが宿っている。税関は入国者でごった返していた。元気そうに立って並んでいる人もいるが、私のように初めて来た人は大体において無理に動かず座って待っている。

 旅行客にとっては、空港が豪華かどうかは実はあまり重要ではない。入国審査がてきぱきと行われるか、係官が親切かどうか。これこそがその国の第一印象を決める。ボリビアの空港は特に豪華ではないが、十分な歓迎とサービスを提供していることが各所に見られ、旅行客は親切にもてなされていることを実感できる。旅客サービスセンターでもらったパンフレットに載っているホテルはどこも私たちにとっては手が届かない値段で、長いリストを端から端まで見ても一泊四十ドル以下のところはなく、高級ホテルは百ドルもする。

 市街地に行くバスはないがタクシーは相乗りが可能だったので、一人一ドル五十セントと安く上がった。タクシーに乗ってはみたが今日の宿はまだ決まっていない。こういうことには慣れているので別に心配もせず、タクシーの運転手という最高のアドバイザーに相談にのってもらう。運転手が親切なだけではなく、一緒に乗っていた三人のボリビア人もとても良い人たちだった。彼らが勧めてくれたホテルの値段が唖然とするほど安かったので、少し申し訳なさそうに言ってみた。

「もう少し高くても大丈夫。できれば浴室がついている部屋がいいんですけど」

 タクシーはホテルを探すためにあちこちを回った。最後に旧市街の魔女市場を斜めに入った街角に停まった。見た瞬間に街の雰囲気に魅了され、ホテルも気に入ったので泊まることにした。タクシー代を払う時、運転手に迷惑をかけたので申し訳ない気持ちでチップを三割ほど多く渡した。大した金額ではないが、運転手が感激するさまを見て、この国の人は素朴で正直だと改めて感じた。

 荷物を置いて、まずは街の店にコカの葉を買いに行った。まもなく発症するであろう高山病から逃れることは出来ないからだ。買い求めたコカの葉は、ペルーのクスコにいる間には使いきれず、最後には大きな包みが一つまるまる残ることになった。しかし、荷物に入れておくと税関を通る時に麻薬とみなされるのでクスコに置いてきたのだ。実はコカの葉は麻薬ではない。一トンの葉があっても、たった数グラムのコカインも作れないからだ。高原の住民は少量の葉を湯に入れてお茶のようにして飲む。そうすると息が楽になるのだ。ホテルのレストランに頼み、ポットに一杯分のお湯を沸かしてもらい、値段を聞いたら無料だと言われた。お湯をくれた人にチップを少しあげると、また何度も繰り返しお礼を言われた。この国は驚くほど民度が高く人々が親切だ。まるで感謝されるためにこの国に来たようで、何かにつけて恩返しをしなければという気分になった。インディアンの血を受け継ぐ人々が暮らす国では常に彼らの素朴さと正直さを感じることができる。エクアドルでは、まるで親戚のようにもてなされた。ペルーも和やかで親しみやすく、そしてボリビアは更に人情味があって純粋だ。

 この面積百万平方キロメートル余りの高原国家には、六百万人に満たない人口しかない。七〇%はインディアン、二五%はスペインと先住民の混血、残りの五%はヨーロッパから来た移民の白人だ。ボリビアは南米では港を持たない二カ国のうちの一つである。西はペルーとチリ、北東はブラジル、南はアルゼンチン、パラグアイと国境を接している。ボリビアの領土は一八七九年まで太平洋沿岸まであったのだが、硝石採掘場の奪い合いによる五年間の戦争で沿海部分をチリに奪われ、現在も返還されないままになっている。チリはボリビアが港を使うことに同意したが、自国の領土と他国では意義も利便性も全く異なる。

 ラパスは世界一高い場所にある首都として認められているが、実はボリビアの本当の首都はもう一つある。スクレだ。しかし、外交機能も行政機能もラパスに集中しており、スクレには最高裁判所しかないので、一般にはラパスが首都として認識されている。初めてラパスに来たが、少し息苦しいとはいえ、その他には特に体の変調はなかった。そして、エクアドルとペルー高原での経験で、コカ茶の作り方や飲み方が分かっていたので、数時間ほど静かに休養するだけで元気になった。

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