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三毛の中南米紀行 -8-

銀湖の浜――現世  エクアドル紀行 二

http://www.kanunu8.com/book3/7180/158737.html

 電話をかけ終わると、むしろほっとした。友人のマーグは不在で、電話口の彼の父親に伝言を頼んだ。会うかどうかは別にして、とにかく連絡だけは入れた。
 旅の疲れがたまってきている。これといってきつい仕事はしていないが、毎日かなりの時間を歩いているせいで足には常にマメができ、いま目の前にベッドがあれば枕に頭を預けた瞬間に眠りにおちるだろう。だが本当に休んだら目が覚めてから自分の怠惰を責めることになる。時間があるのにどうして町に出なかったのかと。
 受話器を置いたのはちょうど酷暑の午後だ。朦朧として目を閉じると、フロントスタッフが呼びに来た。下でお客様が待っていると言う。急いで駆け下りると、家にいなかったマーグがロビーに立っていた。もう長いこと会っていなかったので、お互いを認めてからしばし躊躇い、それからようやく二人は駆け寄った。
「マーグ、ただいま!」、と私は叫んだ。
「ただいま、だって? いつエクアドルに着いたんだい?」
彼は私を引き寄せ、頬に軽くキスをした。
「前に話したこと、忘れた?」
「君が前世はインディアンだったと言い張ったこと?」
彼は再び親愛の情を込めて私をハグし、愉快そうに笑った。
「しかもペルーのインディアンではなく、この国のインディアンよ。似ているでしょ?」。私もニコニコと彼を見た。
 マーグは両手をズボンのポケットに入れ、何も言わずに静かに私を何秒か眺めてから、ソファーに誘って座らせた。
「元気?」、と彼は私の頬を軽く叩き、何とも言えない表情で見つめていた。
「生きてる」、目をそらして彼を見ないようにし、ため息をついた。
マーグとは昔からの友人で、私が結婚した時にはお祝いのカードを、家庭を失った時には長文の手紙を送ってきてくれた。その後、彼はフランスを経由してレバノンに行き、それから祖国に戻って、お互いに連絡を取らなくなった。私たち二人はしばらく沈黙した。
「エクアドルでの計画は?」
「アンデス高原で半月か二十日くらいインディアンと一緒に暮らす予定。途中で六つの町や村に立ち寄って、そのあと首都のキトからバスで山を降りるの。低地にある二つの街を経由してまたここへ戻り、ペルー行きの便に乗る。千数百キロは移動することになる」。
私たちはエクアドル最大の港町グアヤキルのホテルにいた。
「出発前に家に遊びにおいでよ。明日はクリスマスだし」。
「私みたいな人間にはクリスマスなんて関係ない。ありがたいけど遠慮しとくわ!」。
「高原に行くのはいつ?」。
「二十五日。一つ目の目的地まで車で七時間かかる」。
「最初の目的地は?」。
「リオバンバ!」
私はさらにその町の付近にあるいくつかの小さい村の名を言った。
「僕と同じくらい地理に詳しいね。前世で来たことがあるからだな」、とマーグは笑いながら言った。
「湖を探しに行きたいの」
「湖があるのはオタバロだよ。間違えてない?」
 間違いないことは分かっている。その湖は詳細な地図でないと載っていないのだが、確実に存在している。「Echo*1、二十七日まで待てない? 僕は車でキトに帰って仕事に戻る。ついでだから君と助手の彼を送っていくよ。そうすれば長距離バスに乗らなくてすむ」。
 人を最も困らせるのは友達の親切すぎる行為である。他人の思いやりを受けるのは落ち着かない。私は緊張しやすい性格で、実は単独行動のほうが気楽なのだ。マーグの申し出は固辞した。彼が何を言っても私の気持ちは変わらない。二十七日以降にキトで再び連絡することを約束して別れた。ミシャは初対面のマーグに対して、私より興味を持っている。マーグは社会学者で興味深い話が聞けそうだからだ。ミシャはマーグの車で一緒に行きたがっているようだが、この二人は言葉が通じないから長い旅の間ずっと彼らの通訳をしなければならない。そんなことになれば自ら面倒を背負い込むことになる。また、私が行きたいインディアン村はいまだに極めて閉ざされた地区にあって、三人が観光客のようにカメラを持って行ったら、逆に何も取材できなくなる可能性が高い。
 エクアドルの二十八万平方キロメートルの土地はおもに三つの地域に分けられる。東部アマゾンは今でも未開発地域で、ヒバロ族*2と呼ばれる原住民が今もなお吹き矢を使って狩りをしているという噂がある。彼らは外に姿を現すことはないし、外部の人間は彼らのエリアに立ち入ることができない。エクアドル政府はジャングルの中にある集落を法律で取り締まることがいまだにかなわず、結局は相互不干渉のまま放置している。中部エクアドルはまさにアンデス山脈が形成する高原地帯にあり、二筋の山脈がコロンビアまで伸びている。中央部に位置する幅約六十五キロメートルの大平野では純血を守っているインディアン村落がまだ多く残っており、彼らは総人口六百万人のうち四十パーセントを占める。高原にあるいくつかの小さい町を除き、六十万の人口を擁する首都のキトは、海抜二千八百十キロメートルの北部山間地にあり、世界で二番目に高い場所にある首都だ。南の海岸地域は書物では一般的に低地高原と称され、一年を通じて気温が高く農産物が豊富である。グアランダという中規模都市にはチャイナシティという別名もある。ここには広東省からきた華僑が多く、三世代で定住している。ここの「バナナ農園王」は年老いた中国人だ。
 エクアドルには他にもいくつか小さな島があり、ガラパゴス諸島と呼ばれるそれらの島は太平洋沖に浮かんでいる。どうしても行きたい場所はもちろんアンデス山脈だ。高原の民族には実はそれぞれの言語と民族名があるのだが、コロンブスが中国を目指す航海の途中でキューバに寄港した時、インドに到着したと勘違いしたため、当時アメリカに住んでいた先住民族が間違ってインディアンと呼ばれることになったのだ。これが今のアメリカインディアンの名前の由来である。
 バスは正午に酷暑の港を出発したが、山に入ると天気が変わった。土砂降りでバスの中の空気が淀み、私は窓によりかかり知らず知らずのうちに寝てしまった。骨に突き刺さる冷たい風に目を醒ますと、広々と果てしないアンデスの大草原が窓外に広がり、雨に洗われた明るい夕暮れが私を包んだ。目の前にある景色は、夢で何百回も訪れた場所に違いない。見慣れた風景に懐かしい故郷に帰ってきたような錯覚を覚える。あの場所はここだったのか。バスがカーブすると、雪に覆われたチンボラゾ山が、巨大な獣のように真っ正面からこちらに向かって飛びかかってきた。高原にこれほど大きな山がまた突然現れるとは! 私はその威容に圧倒された。驚きのあまり私の魂は体から抜け出してユーカリのこずえを抜け、田野を越え、草原を渡って飛んでゆき、氷と雪におおわれた山頂にとどまってどうしても帰ってくることができない。一瞬、自分が交通事故で死んでしまって魂が体から抜け出したかと思ったが、バスの乗客たちは依然としてきちんと座っている。
「ああ、やっと帰ってきた!」。私はひそかに嘆息した。この既視感については誰にもとやかく言わせない。エクアドルの高地は、私にとっては見慣れた光景なのだ。
「平児(ピンアル)*3! 平児!」、とミシャが何度も私の名を呼んだが、返事ができなかった。私は気持ちを落ち着かせ、自分の胸を圧迫するように迫って来る六千メートル級の雪山をじっと見つめた。その冷たさと懐かしさを感じて全身が宙に浮き上がり飛んで行きそうになる。この時、人生の様々な経験、悲しみや喜びに彩られた歳月、そして、生きている友人、死んでいった親しい人たちが一度に映画のコマ落としのように目の前を流れた。だが思い起こしてみれば、その時はなぜか何の感情も湧き起こらず、まるで他人事のように感じられた。おそらく、死というものは雪のごとく穢れなく明るく、清々しく淡々としたものなのだろう。
「わあ、爪も唇も紫色になっているよ!」、とミシャが叫んだ。
「海抜はどのくらい?」、私はゆっくりとミシャに尋ねた。
「ガイドブックによるとこの地域は三千二百メートルで、リオバンバまで降りれば二千六百五十になる」。
 眼を落すと両手がむくみはじめており、呼吸も苦しくなった。魂が身体から抜け出したと思ったのは、体の不調で起こった幻覚にすぎなかったのか。
 バスが停留所に停まり、運転手は「十分間の休憩をとります」と言ったが、私はこの高度で動けずバスを降りることができなかった。駅の薄暗い街灯の下には年老いたインディアンの夫婦が座っていた。妻は濃い色の長いスカートを身につけ、柄物の厚手のブランケットを何枚も肩にかけて、太い三つ編みを結った頭にはお約束通り古い中折帽をかぶっている。二人はしゃがみこみ、手でパンをちぎりながら食べている。この純血民族をじっと眺めているうちに、彼らに対するある種の共感が沸き上がり、たまらない喜びを感じた。なんと美しい人たちなのだろう!
「おばあさん! 私は遠くに旅をしてようやく帰ってきた。あなたがまだここにこうしていたなんて!」、私は声には出さず、バスのそばに座っているインディアンの女性に心の中で話しかけた。自分の前世はインディアンだったに違いないという思いが潮のように胸に満ちてくる。この小さな町は、どの通りにもインディアンが行き交い、平地の人を見ることはない。
 夕闇が更に濃くなった。道を行く人影がゆらゆらと揺れている。何もかもが夢か幻のようだ。自分はどこにいるのかもわからなくなる。
 リオバンバのバス停留所に降りると、すぐに一組のヨーロッパ人らしい男女が私たちを出迎えるように近づいてきた。私は心臓の具合がかなり悪くなっていたので、彼らに微笑みかけただけで立ち去ろうとした。何も話したくなかったのだ。彼らは私の行く手を遮り、同じ部屋に宿泊してほしいと頼んできた。部屋にはベッドが五つあるが、空きがあるので同宿する客を連れてきてくれとホテルから頼まれたと言う。降車した多くの人の中から選ばれたとは光栄だ。そのホテルは大部屋に並べたベッドを貸し出す形式のドミトリーで、こざっぱりとしで静かなところだった。彼らはスイスの旅行客で、二人でキトからバスに乗ってこの小さな町に来た。次の土曜日にインディアンのマーケットを見る予定らしい。ごく真っ当な人たちに見えたので、同宿の申し出を承諾した。
 部屋に入り、窓側のベッドを選んで小さい手荷物をベッドに置いてから共用洗面所に歯を磨きに行った。この数か国にまたがる旅で荷物は増える一方だ。だが大きい荷物はその国に到着して最初に泊まったホテルに預け、国内旅行には小さい鞄ひとつで出かける。歯磨きチューブの蓋を開けると中身が勢いよく飛び出してきた。急に高地に登った時に気圧の影響で起こる非常に珍しく面白い現象である。
 初めて経験する高原地帯は、三千メートル足らずにすぎないのに私はすでに歩く気力も食欲もなくしている。他の人はまったく体調に変化がないのに,私は心臓に細い針が刺さるような痛みの発作を起こして、町をぶらつく気にもならず早々とベッドに入った。
相部屋の客が目を醒ますのではないかと心配で寝がえりも打てず、夜明けの四時過ぎまで眠れずに横たわっていた。窓の外の通りには市場を目当てにあちこちから来たインディアンたちがガヤガヤと騒ぎながらこの町に集まって来た。
 リオバンバの土曜市はこれ以上ないほどのサプライズ・プレゼントだった。エクアドルに来た旅行客はふつう北部の有名なオタバロ市場に行く。そこに並んでいる品物はどれもインディアンが白人観光客向けに売っている観光土産ばかりで日用品は見当たらない。だがここの市場には純血のインディアンが一万人近くも集まり、工芸品以外に野菜、アルパカの毛、家畜、生地、加工食品、衣類、野菜の種、薬草などが所狭しと露店に並べられる。色鮮やかな服を着た人たちが町全体にあふれ、普段はひっそりしたこの場所が一気に活気づく。インディアンどうしのやり取りは何より賑やかで活発だ。
 九つに区切られた大きな広場に、種類ごとに分けられた商品が山積みになっている。服地の店ではミシンが地面に置かれ、その場で洋服を仕立ててくれる。綿羊を売り切った女性が服地の店にやってきて生地を買い、その場でロングスカートを縫わせていた。そのまま穿いて帰ろうという寸法だ。軽食類を売る屋台が延々と並び、「クイ(モルモット)の丸焼き」*4がインディアンの祝日の名物になっている。売り手が一塊の肉を手で裂いて渡すと買い手は炊いた白飯を一つかみ取って肉に添え、その場にしゃがみこんで食べる。
 この市場が永遠に世界の片隅に隠れて観光客に知られず、彼らが自分たちの生活を守り続けることを私は心から願った。
 インディアンの服装と着こなしは、スペインに統治された三~四百年の間に変化してきた。市場の男性たちは落ち着いていて優しく人見知りだ。女性はまるでこの世に初めて現れた女のように、色とりどりのビーズを身につけ鮮やかな色の服を着ている。明るく賑やかに笑っているが、なかなか計算高く、ニコニコと愛想よく客引きをする。ロングスカート、ショール、ベルト、それからインカ時代には聖職者や貴族だけが身につけることができた耳飾りは、この土地のインディアン女にとって必須のファッションになった。ヨーロッパの中折帽はもともとスペイン人が上陸した時のスタイルだが、今ではインディアンの民族衣装になり、男女を問わず必ずかぶっている。オタバロ付近にはまた別の種族もいて、女性は帽子ではなくスカーフをかぶり、幅広のレースをつけ凝った刺繍を施した白いブラウスを着ている。ひとまとめにインディアンと呼ばれるが、実際にはそれぞれの服装には大きな違いがある。帽子のひさしの幅も村落によって異なるので注意深く見ればすぐに区別がつく。
 私の目にはインディアンが世界で最も美しい人種に見える。彼らの服装はデザインしないことで逆に独自のスタイルを作りあげている。また蒙古系の人種に近い顔立ちにも私は強く惹かれる。高原地带に住む人は大体において背が低い。これは自然の成り行きで、このような体形のほうが、血液が速く循環し呼吸も楽なのだそうだ。少なくとも本ではそう説明している。
 市場を丸一日歩き回ったが、とくに何も買わなかった。この種の美しさというのは、その場の雰囲気が人を酔わせるのであって、個々の品物に魅力があるわけではない。物売りをするインディアンこそが見るに耐える鑑賞物である。屋台のそばで地べたに座ってクイの丸焼きを食べながら、現地の人が話すケチュア語にひそかに耳を傾け、支払いの時に他人の発音を真似て値段はいくらかと尋ねたので、太った女性店主は大笑いして喜んでくれた。私に言葉を学ぶ気持ちがあることがわかると、店主はクイを焼く手を休めずに大きな声で繰り返し教えてくれた。私をたいそう気に入ったようである。単語をいくつか教えてもらって別の屋台で早速使ってみると意外にもすぐに通じた。彼らはほほえみを絶やさず、友好的な眼差しでちらちらと私を見た。
 夕暮れが来る前に人の群れが散っていき、美しい都市は突然死んだように静かになった。私は町はずれの丘の上にある公園に登って大きな教会の前に座った。薄紅色の雲が平原と遠くの山際で薄墨色に変わっていく。清涼なミントのように薄い空気を吸いながら、昼間のインディアン市場を思い起こす。賑わいがすっかり落ち着いた場所に特有の静けさが胸を満たしていった。ここに座って夕暮れを眺めること以上に私を喜ばせることはない。
 翌日早朝、私が厚手のコートを抱え歯ブラシを手にホテルを出ると、ワゴン車とその運転手のワシントン、彼の妻と息子、娘がすでに外で待っていた。車は前日の夜にホテルに頼んで予約しておいたものだ。運転手つきでないと借りられないとのことだった。ワシントンと名乗る男性は普段はブルドーザーのエンジニアで、日曜日だけ自分の車を貸し出して運転手になる。彼の名は実にイギリス的だ。
 私の目的地であるインディアンの村は、ぬかるんだ山道を車で何時間も走った場所にある。ワシントンが、彼の家族もそこまで奥地に入ったことがないので一緒に連れて行きたいと言うので私は承諾した。ミシャだけに言っておいたのだが、もし私がずっとその存在を確信している湖が本当にあったら、私は何日かそこに滞在し、帰りは自分でどうにかして町に帰ってくるつもりだった。
 今回の旅では、ミシャはヨーロッパがかつての植民地に残した輝かしい建築物と数えきれない博物館にしか興味を持たず、驚嘆し感心することしきりだった。彼は文化や歴史が浅い国で育ったので文化遺産をあまり見たことがなかったのだろう。私は教会と博物館を見るだけでは飽きたらず、建築史を学んだ。当時の何回かの試験は今でもはっきり憶えているし、いまだに残念な思い出もあるので、今回は教会と博物館だけを巡る旅にするつもりはなかった。私の目的はまだ観光客に汚染されていないエクアドルの土地で純血を守っているインディアンに少しでも近づくこと。彼らと数日間ともに生活するだけで満足だ。そこで、ミシャは市内の大きな教会を見学し、私は高原の山間地帯に入って別行動をとることに決めた。レンタルしたワゴン車には奥地の村落まで行ってもらうが、往路はミシャも同行し帰りは彼一人が同じ車で市内へ戻る。
 車は山中へと進んで行った。ワシントンはインディアンの村落を探し出して私たちに見せるために全力を尽くした。村のインディアンたちは外部の人がやって来たのを見ると、わっと声をあげて散り散りに逃げてしまい、私は彼らに近づくことすらできず、かなり落胆した。
 そろそろ帰途につかなければならない時間が近づいたとき、まだ走ったことがないぬかるみの道が目の前に現れた。不思議に何かの予感が働き、その道に入ってほしいと頼むと、ワシントンは言った。
「この先には行ったことがない。噂では谷間の平地に湖があるそうだが――」。
湖と聞いて、私はとうに知っていたはずなのに驚きのあまり言葉を失った。それから四十分近く山奥へ進んで行くと、広々とした草原と湖水が明るい青空の下に神秘的な姿を現わした。まるでこの世のものとは思えない光景なのに郷愁を覚えるのは何故だろう。
「お願い、ミシャ、もう写真は撮らないで!」。
私は車を降りて彼らの前に出た。湖畔までは車が通れる道はない。遠くにかまどの煙をあげる家が静かに散らばっている。よそ者の訪問にはまだ気付いていないようだ。ワシントンの妻はこの時やっと私がここに留まろうとしていることを知って、大慌てで私を思いとどまらせようとした。
「一人で村に行って泊めてくれる家を探すわ。見つかったらここに知らせに来る。それなら安心でしょ!」。
それから四十分ほど後に私は大急ぎで草原を走って車に戻った。自分のコートと歯ブラシ、それからティッシュを一箱取って、彼らに町に帰るように促した。
「何日かしたら迎えに来るよ」。
ミシャはかなり心配そうな様子で立ち去りがたそうに車に乗ったが、私を止めようとはしなかった。とうてい説得できないと知っているからだ。本当は不安でたまらなかったらしいが。
 車は行ってしまった。草原に残されたのは、見るからにちっぽけな私だけだ。夕暮れ空の下、私は静かに立っていた。
 台湾にいた時、座談会終了後に疲労と虚しさのあまりこっそりと泣いたことがあった。だが今は一人で広野に立っているというのにあの時のような深い寂寥感は全くない。私はゆっくりと村に歩み入り、大きな湖を振り返って見た。ずいぶん遠回りをしたが、夢見ていたことがとうとう現実になった。ときどき自分の予感が不思議で恐ろしく思える。
 彼女の名前はジル、インディアンのケチュア語ではジィェルと発音する。私は最初に見つけたのは彼女の畑にいる家畜だった。一つがいの雄牛と雌牛、一頭のロバと綿羊の群れ。私がそこに立つと、牛と綿羊が一斉に鳴き出した。ジルが家から出てきた時、注目したのは私ではなく、私の首にかかっている銀のメダルだった。ジルの目はインディアンとビクーニャが彫ってあるメダルに釘付けになった。骨董屋で買ったちょっとした雑貨だ。彼女は近づいてきて、私にどこから来たのかも聞かず、「あなた、メダル、何と交換?、それ、欲しい」と言った。彼女のスペイン語は単語をつなげただけの片言だ。私は、何日か家に泊めて食事をさせてほしい、家のことは何でも手伝う、ここを去る時にメダルをあげるし、さらに千スクレ(エクアドルの旧通貨単位)払うと言い、彼女はすぐに承諾した。私はこうして偶然の成り行きでそこに泊まることになった。いとも簡単に何の困難もなく問題は解決した。
 ジルには夫と息子がいる。家は大きなレンガ造りで窓のない部屋が二つあった。その日の夜、彼女は敷物を一枚持ってきて乾燥させたトウモロコシの茎をつみあげた上に敷き、ランプを一つ置いてくれた。私は水を一杯もらって飲み、すぐに眠りについた。短い木の板でできた仕切りの向こう側には黒く痩せたブタが行儀よく静かに寝ている。家族三人の寝室はもう一つの部屋だ。私は何も尋ねられないことを奇妙に思った。一家はとても親切で、かけぶとんの代わりになるものをあれこれ探し出して貸してくれた。彼らと一緒にいても私は何の恐れも感じず、素朴な安心感だけがあった。
 翌日の明け方、私はジルが家畜を追う声で目を覚まし、彼女について湖まで歩いた。とても遠い道のりで、湖畔の道はぬかるんでいた。ジルは裸足で、わたしはコートの内ポケットに入れていたビニール袋で靴をカバーし、湖のほとりまで行って水汲みを手伝った。
 ここは村落とはいえ、家はまばらに散らばっている。それぞれの家に畑があるためだ。一九七三年、この地を治める役所の土地改革によってインディアンは代々居住してきた土地を所有できることになり、大農場できつい労働をする必要がなくなった。
 私は村にいる間はできるかぎり家事を手伝った。牛や綿羊を湖畔に連れて行って草を食べさせたり、ジルの息子の糸紡ぎを手伝って切れた糸をつないだり、村の近くで薪拾いをしたり、午後には日差しの下でガラス玉に穴を空けたりする。ジルは大きな袋にオートミールを入れていて、牛乳とオートミールで薄い粥を作り、フライパンでトルティーヤ*3を焼く。食事は一日一回だが、鍋に入っている薄い粥は火が消えるまでずっと温めてあり、好きな時に何度食べてもよい。ジルはアルミ製のコップを使っていた。
 私は他の家にもぶらぶらと訪ねに行ったが、誰も私から逃げず、私を特別視しない。奇妙なことに、どこの一族だと聞かれたことまであった。私は平地の人間しか履かないジーパンを履いているというのに。
 夕暮れになり、畑仕事を終えたジルの夫が帰ってくると、私は彼ら三人と一緒にドアの外に座って湖と雪山を眺めた。彼らはほとんど話をせず、歌うこともない。湖は「ハワコチャ」、つまり心湖と呼ばれている。トウモロコシは収穫期が終わったところで、私の寝室の一角に積んであったが、その中には真っ黒な品種のトウモロコシがある。黒豚と同様に初めて見るものだった。黒トウモロコシは粉に挽かず、ジルがスープにした。スープは紫色になって、砂糖を少し加えるととてもおいしい。畑には玉葱、ジャガイモ、トウモロコシの苗が植えてある。湖の魚は誰も捕って食べようとしない。なぜ魚を食べないのかと尋ねると、ジルは理由は知らないが今まで捕まえたことがないとしか答えられなかった
 この湖が私の故郷だ。月明かりの下に広がる静かな水が銀色の光を放つこのなつかしい湖を、私は密かに銀湖と呼ぶことにした。村人たちは早々と眠りについたが、私はしばしば湖畔を一周してから帰った。夜の高原は凍り付くような寒さだ。私は心の中にある余計なものを全て捨て去って無になっていく。永遠に現世に戻らず、この旅を銀湖のほとりで終えて、三毛と呼ばれる人間も消えてしまえばいい!
 人に名を聞かれるたびに私は「哈娃(ハワ)」と答えた。村の老女はみなビーズが好きで、私が遊びに行くととっておきの宝物を出してきて、私の手に置いてゆっくり鑑賞させてくれた。私たちは余計な話はしない。こうして歳月は静かに淡々と過ぎ去り、太陽はずっと変わらずに昇る。ここでは小アジア遊牧民の女性が着けているような色模様の入った石とコンチョ*5のアクセサリーも見かけた。模様のある石は古代に人工的に合成された人造石だが、材料が何なのか今でも不明である。また、それらがどうやって南米インディアンに伝わったのかを推測するのも難しい。この石は北アフリカの市場では今では大変高価で滅多に手に入れることができないものだが、女性たちはこの石の価値を知らず、ジルにあげることを約束してしまった銀のメダルと交換してほしい、でなければ私のコートと交換してくれと頼んでくる。善良な人々を騙すのに忍びなくてどの宝石とも交換しなかったが、言葉の端々にこの宝石は大変高いものなのだ教えた。「グリンゴ」が村に入ってこの宝石をほしいといったら、少なくとも四〇万スクレ以上の値をつけるか四百頭の綿羊と交換しなければならない(「グリンゴ」というのは白人の総称である)。
 村人は貧しく無知で、インカ帝国の物語を聞いても無関心でぼんやりとしている。私のことをインカ人だと思い込んでいるようだ。彼らが認識できる最も遠い場所は三百キロ離れたサラサカ止まりである。私が、サラサカでは男も女も古めかしい黒服を着ている、なぜなら四百年前の戦争からこの方ずっと喪服のままだからだ、と話すと彼らは笑って少しも信じようとしなかった。
 ジルはジャガイモを豚の餌にしている。私はもったいないと思ってスパニッシュオムレツを作って食べさせてみた。ジルはおいしいことはおいしいが自分で作るのは面倒だと言って作り方を習おうとはしなかった。銀湖の日々は昔から全く変わらない。ジルはここで生まれ、ここで過ごし、過去の記憶は風と一緒に流してしまう。牛と綿羊が群れをなす草原と高い空を見ていると、自分がいったん命をなくし天に昇ってからまたこの地上に落ちてきたように思てくるのだった。
「おさげをほどきな、結い直してやろう」。
村には大きな鏡を持っている男がいて、私は彼に髪を結ってもらっている。赤い布の長いリボンでロバのしっぽのように後ろに垂らして結ぶ。私は長い髪をほどいてうつむき、穏やかで口数の少ない友人の手に髪を委ねた。この村に来てすでに七日だ。その時、カシャっという小さな音が静かな部屋に響き、私はすぐに顔をあげた。ミシャが長い脚で部屋の入口をまたぎながら、「やあ、インディアンの男に髪を結ってもらっているのか」と英語で言った。彼の手にはカメラがあり、断りもせずにまた写真を撮ろうとした。私の友人は何も言わずにじっと立ちつくし、ひどくきまり悪い様子だ。
「礼儀をわきまえて! ご主人の許可をもらって入ってきたの?」、私は大声で叫び、急いで友人に向かってスペイン語で非礼を詫びた。ミシャは出ていこうともせず、悠々と家の中を見回し、あげくのはてに機織り機に触ろうとした。
「行くわよ!」、と私は彼の背中を押した。
 私は村のひとりひとりを訪ねて別れの挨拶をした。突然の別れに誰もが驚いていた。ジルを探しに行くと彼女は両手いっぱいに薪を抱えて家の傍らに立っていた。
「メダルをあげる、それにお金も!」、私は手を回してチェーンを外した。
「いらない!ハワ、いらない!」、とジルが懸命に押し返した。彼女は薪を放り出して急いで家の中に走っていき、オートミール粥を持って出てきて、私にどうしても飲めと言った。
「あなた、グリンゴ、一緒、行く?」、彼女はそう言ってミシャを指した。
 ミシャは私とジルが並んだ写真を撮りたいと言い出し、ジルは私の言うとおりにカメラから逃げずに座った。私が村を去るという知らせは瞬く間にひろまり、ジルの夫と子どもたちも慌てて帰ってきた。私はコートを抱え、振り返って彼らを見た。ジルは銀のメダルを決して受け取ろうとせず、何も言わずにどこかに逃げて行ってしまった。私はジルの夫の手に無理やり紙幣を握らせ、遠くの湖の入り口に停まっているワゴン車に向かって走った。
 私の愛する一族の人々と銀湖、緑の草原が空の果てまで続く楽園、一生に一度しか来ることができない場所。これからずっと来世を待つことしかできない。現世で再び帰ってくることはないのだ。
 ここはエクアドル。一九八二年初頭に書き終えた二つの物語である。

訳注

*1 Echo:エチョ。三毛はスペイン語圏ではこの呼び名を使っていた。
*2ヒバロ族:ペルーとエクアドルにまたがって住んでいる先住民集団。自称はシュアラShuara。言語はヒバロ語族に属する。
*3平児:三毛の本名懋平の愛称。
*4クイの丸焼き:原文は「幾内亜烤乳猪」(ギニアロースト子豚)、「ギニア豚(guinea pig)」とは南米に分布するテンジクネズミ(モルモットの一種)を指す、「クイ(cuy)」は現地語。
*5コンチョ:金属の「飾りボタン」のこと。 ジュエリーの装飾ボタン。

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三毛の中南米紀行 -9-

ソローチェ雨の高原(一)  ペルー紀行一
http://www.kanunu8.com/book3/7180/158738.html

ほの暗い光の中から笛の音が聞こえる。灰色がかった紫色のシャツの下にタッセルつきの綻びた長ズボン、茶色い髪は絡みついて一本一本の細い束になっている。その痩せた男は額にインディアンの手編み紐を巻き、首にはネックレス、左耳にはピアスをつけていた。ペルーでよく見かける木製の笛は心得がなければ「ウーウー」という音が鳴るだけで曲にならない。
 部屋には窓がなく、中庭に面して木製の大きなドアが開いているだけだ。部屋には二段ベッドが二つあるが、上も下も乱雑で不潔な古着屋のようで、床にはしなびた果物の皮やタバコの吸い殻や紙屑がそこら中に散乱している。外は大雨だったので腰を屈めてティッシュで靴底を拭いてから部屋に入り、笛を吹いている人に挨拶をしたのだが、その人はまるで私が目に入らないかのように立ち上がってドアのところまで大股で歩いてバンと音を立ててドアを蹴って閉めた。

「すみません、上のベッドにある荷物はあなたのかしら」。
スペイン語で聞いたが反応がないので英語で聞いてみたがやはり返事がなかった。
ただその笛だけを、たとえ割れても絶対に手放さないかのようにしっかりと握っている。
 私とミシャは首都のリマから飛行機に乗って高原の都市クスコに来た。ここはかつてのインカ帝国の都である。地上に降り立ったとき、空は晴れ渡っていた。海抜三千五百メートルの古都は、草原が取り囲む山の上にあり、堂々たる風格を備えている。インカ時代の石造りの基礎にスペイン植民地時代の大建築が建てられ、異なる文化の交錯がはからずも独特な美しさを生み出している。
 身の回り品だけを入れた手荷物を持ってホテルを一軒ずつ回ってみた。雨季のため、交通機関は陸路・空路ともに不通になりがちで、滞在客が足止めをくらっていて、中級クラスのホテルに空き部屋を見つけるのも容易ではない。十数軒まわったがどこも満室だ。情け容赦のない雨はますます荒れ狂うように降り続いている。私の体質では高原地帯で心臓の不調をおして長時間歩き回ることはできない。ホテルの看板はあるものの、見るからに雰囲気が良くない宿に思い切って入ってみた。こんな小さなホテルでさえ、すでに二段ベッドの上の段が二つしか残っていなかった。
「上の段は私が借りたの。荷物を下ろしてくれません?」
笛を吹いている人にもう一度言ってみたが何も答えない。私はベッドに置かれた雑多な物を注意深く拾い集めてまとめ、その人のところに持っていき、丁寧に置いた。自分の荷物はバッグから出さず、下のスペースをほんの少しでも占領しないようにした。靴を脱ぎ、左右の靴紐を結んでベッドの足元の柱にひっかけ、枕の横の柱にはバッグの持ち手をかけた。部屋の空気は淀んでおり、薄暗い裸電球が天井板の割れ目から吊され、壁には公衆便所でしか見ないような言葉が落書きされていた。もう一方の二段ベッドも同じような状況だ。無造作に積み重ねられた汚れた服は男物か女物かもわからなかった。ミシャがチェックインを終えて入って来た。私がベッドの上段に座っているのを見て、自分のベッドに置いてあるものを片付けようとした。
「少し待った方がいいわ、そこを借りたお客が来て、何かなくなったとか言われたら面倒だから」。
私はミシャに中国語で話したので笛を吹いている人はたぶん理解できないはずだ。やがて、ポップコーンのような髪型をした見るからに不潔な女が、泥だらけの靴を拭こうともせずにズカズカと入ってきた。床には汚れた足跡がついた。もう一つのベッドの下段はどうやら彼女が借りたようだ。

「ちぇっ、また客が入ったのかよ!」と独り毒づき、挨拶もしない。彼女は英語を話したので、ミシャはびっくりしたように彼女を見て、そしていかにも嬉しそうに「君、アメリカ人?」と声をかけた。ミシャ、あなたは何てバカなの! 怒りのあまり目がまわりそうになった。こんな下品な不良娘に会って喜んでいるなんて。しかも私たちを見て文句を言ったばかりなのに。
 「ソローチェ」がもうすぐ現れる。早く寝なければ。少しでも睡眠をとって、この高度に徐々に適応しなければ。
 目を醒ました時も、部屋は薄暗く、何時になったかもわからなかった。隣のベッドにいるのはミシャではなく見知らぬ男女だった。下のベッドから笛の音はなく、部屋のそこここには汚れたなりをした四人が座ったりしゃがんだりしていたが、性別もはっきりと見て取れなかった。まず、自分の腰に巻きつけている貴重品入れがあるかどうか確認した。そこには新聞社から預かった経費やパスポートなど大切な物が入っているのだ。全て無事だ。しかしその動作以外には、自分が全く動けないことに気づいて愕然とした。頭が割れそうに痛い。心臓は早鐘のように鼓動を刻んでいる。こめかみの血管は今にも炸裂しそうに踊っている。呼吸が荒くなり、喉はカラカラで激しい痛みに襲われた。高山病だ。ケチュア語で「ソローチェ」と呼ばれる悪魔がやってきたのだ。高原に来れば誰もが必ず高山病になるとは限らない。だが、私のような敏感な人間は絶対に逃がれられない。
 笛の音は止んだが、その代わりに大音量の音楽が流れてきた。ドラムの音が、激痛の走る頭をさらに狂わせそうだった。数人がマリファナを吸っており、ただでさえ呼吸が苦しいんのに、さらにその匂いのせいで喉が死にそうに痛む。一杯の水を飲みたい。洗面台で汲んだ水道水でもいい。しかし弱っていて自分では動けない。私は呻くように言った

 「音量を小さくしてもらえない?」。
下にいる人たちは私を無視し、上にいる男女は無表情でマリファナをやり取りしている。私はベッドの端に這い寄って腕を伸ばし、下にいる人の髪を触った。彼が顔を上げてこちらを見たので、私はまた言った。
「音を小さくして! お願い!」。

「俺たちは中国の新年を祝ってやってるんだ、何で音を小さくしなきゃいけないんだよ」。
彼は肩をすぼめて、ニヤニヤ笑った。死ぬほど水を飲みたかったが、ミシャは姿を現さない。セーターと長ズボンのまま寝ていたので、痛みをこらえて上のベッドから降りることにした。降りるとき、誰かの肩に触れると、その男は機に乗じて私を抱きとめ「おやおや!」、とおどけた。私は床まで滑り降り、ゆっくりと靴を穿いた。目まいのせいで靴紐も結べない。この程度の高山病は大したことはないはずだ。エクアドルの首都キトでも罹ったことがある。二日もあれば治るのだが、ここはキトより七百メートル以上高いため、前よりも症状が重いだけだ。壁伝いにドアまでゆっくり歩き、廊下に出て、トイレを見つけ、頭を下げて洗面所の水道水を飲んだ。浴室は吐き気を催すほど不潔で、一目見たら何ヶ月も忘れられないほどだ。
 ベッドを並べただけの大部屋に泊まったことがないわけではないが、この不良のアジトは私がいるべき場所ではない。なんとか街へ出てドラッグストアを見つけ、カウンターに這いつくばるようにしてコカの葉を求めた。もう夕方になっていたが大雨はまだ降り続いている。おかみさんは私の苦しむ様子を見て椅子に座らせ、奥に向かって叫んだ。
「お父さん、早くお湯を持ってきて。この人にコカを飲ませてあげないと!」。
「ここに来たばかりでしょう! ゆっくり歩いて、あまり動かない方がいい。コカ茶を飲んだら良くなるから」。
彼女は私の髪の毛を優しく撫でた。その逞しいざらざらした両手はイエス様が授けたに違いない。店の中に半日ぐらいいて、一般的なガイドブックでは販売禁止とされているコカ茶を飲んだが、症状は良くならなかった。
 クスコは小さい街ではない。人口十四万人に加え、季節に関わらず観光客が来るのでホテルの空き部屋は必ずあるはずだが、私はすでに気力も体力も尽きて、一軒ずつ探すことができなかった。アルマス広場の近くに、一軒だけ街で最も豪華な四つ星ホテルがある。自分でもどうやってそこに辿り着いたかは分からない。値段も聞かず、ミシャにも連絡しなかった。ホテルの人が親切に私の身体を支えて二階まで連れて行ってくれた。その人に礼を言い、医者を呼ぶという好意を断ってベッドに倒れ込んだ。寝ている間に、女性が来てすっかり濡れてしまった髪をタオルで乾かしてくれたようだ。翌朝、目が醒めると身体の不調は消えていた。階下に降り、朝食をたっぷり食べてからフロントで宿泊費の交渉を開始した。
「もう歩けるようになったのですね」、とフロントの奥にいた年配の男性が穏やかに聞いた。私は微笑み、クスコには少なくとも半月は滞在すると言うと、正規の値段を二割引きしてくれた。一泊四十ドルだ。最初の所はベッド一段で一泊三ドル五十セントだった。

 広場を通る抜けて昨夜のホテルに戻った。ミシャがまだぐっすり寝ているのを見るとどうも納得がいかない気持ちになった。いくら考えても理解できない。しばらくぼうっと眺めていると、ミシャがやっと目を醒ました。
「あれ、もう起きたの?」、とミシャが言った。私が一晩失踪したことを、この幸せ者は何も知らなかったのだ。
「昨夜ここに戻ってきたらいなくなっていたから、お土産でも買いに行ったのかと思って先に寝たんだ」と彼は言った。
部屋にいた不良どもはすでにいなくなっていたが、彼らの荷物がまた私のベッドに置いてあった。どうせここには戻らないのだからと思い、全て床に投げ捨ててやった。こんなにひどい環境なのに、ミシャは大金を身につけている私を不良どもの中に寝かせて全く守ってくれなかった。これは彼の職務怠慢だ。もちろん自分も悪い。あまりに不注意だった。自分がすでに別の宿に移ったことはミシャには言わなかった。昨日、ひどい高山病に罹って水が欲しい時に面倒を見てくれなかったこのアシスタントには罰を与えなければならない。
 ミシャの朝食につきあってから、二人で広場に行きベンチに座った。市内にも周囲の山間部にも見ておきたい場所がいくつもある。たとえば私たちが座っている場所もその一つだ。一八一四年、祖国復興を企てて蜂起した最後のインカ帝国王族トゥパク・アマルー二世と彼の家族、そして反乱に加わった同族の人々がまさにこの広場でスペイン人に公開処刑された。ここは凄惨な虐殺が行われた場所なのだ。 十二年後、ペルーはスペインの支配から離脱し、独立を宣言した。その二十三年後、ペルーは中国の労働者を輸入し、一八七四年まで彼らを非人道的に酷使した。かつて熱心に学んだ歴史をミシャに語り、寒空の下で弱い太陽の光を浴びながら、ここから列車で「マチュピチュ」―
失われたインカの都へ行くことを計画した。この旅で最も期待していた場所が近くにある。

 広場には多くの観光客が訪れ、三々五々連れだって大声で話しながら歩いている。まるで騒がしくしなければ気が済まないようだ。隣のベンチには、金髪を肩まで伸ばし、エンジ色の上着と青い長ズボンをはいた若い女性が座っている。隣には小さい荷物が置いてある。彼女だけはとても静かだ。雨がまたポツポツと降りはじめた。私はミシャに、もうレインコートか傘を買わなければ雨季を乗り切ることができないと言った。私たちはゆっくり歩いて広場を囲む壁に開いたアーチ型の門の下に移動し雨宿りをした。一人でベンチに座っていた彼女は雨を避けようともせず、とうとうベンチに寝そべって両手でこめかみのつぼを強く押している。ひどく具合が悪そうで、辛そうにしている。私は彼女の所へ走った。
「早くホテルに帰って休みなさい、足を高くして寝るのよ。ホテルの人に濃いコカ茶を作ってもらって飲んだ方がいい。そうすれば良くなるから」。
彼女はスペイン語が分からず、気分が悪すぎて私を見ることもできないが、何度も英語でお礼を言った。顔も真っ赤になっている。私は英語に言い換えた。
「濡れているじゃない」。

「ホテルはどこもいっぱいで。飛行機から降りたばかりなの」、と彼女は力なく言った。
私はこの素朴な女の子を直感的に好きになった。

「近くのホテルに部屋をとっているの、しばらく一緒に泊まらない? 割り勘で一泊二十ドル。高すぎるかしら?」、と小声で言った。大声が頭痛にひびくことを心配したからだ。ソローチェの痛みは罹ったことがない人には分からない。頭を斧で叩き割られるような痛みと言えばわかるかもしれないが。その子は苦痛に耐えながら言った。
「高くない、けど、迷惑をかけるのは申し訳ない、私――」

「さあ、私の同僚があなたを支えるから、ゆっくり歩いて。ホテルには暖房があるからすぐに良くなる」
私は彼女の荷物を持ちあげた。ミシャは私が四つ星ホテルの部屋をとっていることを知り、呆気にとられたようだった。この旅で、彼と物質的な豊かさを公平に分け合わなかったのはこれが初めてだが、私に良心の呵責はなく、穏やかな気持ちであった。ホテルの部屋に入り、彼女はベッドに横たわって目を閉じた。私は彼女の白いスニーカーを脱がせて足の下に入れて高くし、毛布をかけてから、階下にある薬局に急ぎ、ぺルーの製薬会社が出している高山病の専門治療薬「アセタゾラミド」を買ってきて飲ませた。私は心臓が悪いため、この薬を飲むことは絶対にできない。昨日の宿に戻ろうとした時、彼女が苦しそうに言った。
「お医者様を呼んで。お願い……」。
もうこれ以上、苦痛に耐えられない様子だ。ミシャは下のフロントへ走り、医者を頼んだ。
「ここにお金とパスポートが。このまま預けておきますから」

彼女は私の手をとって腰の辺りに導いた。私と同じ形の貴重品袋が、私と同じ場所に隠してあるのを見て可笑しくなり、思わずにっこりした。決して頭の悪い子ではないのに、彼女はいちばん大事な物を名も知らない赤の他人である私に託した。これは私への絶対的な信頼の証であり、私も彼女のことを信じようと決心した。彼女が病気で苦しんでいる間は一歩も離れないでいよう。医者がやってきて注射をし、私が買った薬と同じ物を処方した。アニーはぐっすり寝た。私は窓際に立ってコカの葉を続けて何枚も噛んだ。インディアンはこの葉を石灰と一緒に噛むが、私には無理だ。昼すぎには、ソローチェがまた私のところへ戻ってきた。私は別のベッドに横たわった。ミシャはもとの小さいホテルへ私の荷物を取りに戻った。今回は彼も外出せず、水を欲しがる二人の病人をずっと看病していた。
 翌朝、目を醒ますと、となりのベッドにいる彼女が大きな目を見開いて私のほうを見ていた。無表情に、ただ私を眺めている。
「まだ痛い?、アニー」。
「なんで私の名前を知っているの?」。

「ここのチェックインは代わりに済ませてある。お医者さんの費用は二十五ドル、支払い済みよ。これは返しておくわ」。
私の枕の下に隠していたパスポートと小切手と現金を彼女に渡し、彼女に微笑みかけてから顔を洗いに行こうとした。
「あなたは、インディアン?」。
彼女はベッドに寝たまま尋ねた。私は噴き出した。この旅でもう何回も同じことを聞かれた。褒め言葉と受け取っておこう。八年余りスチュワーデスをやっていたというアニーなら様々な知識を持っているはずだが、私がどこの人間かは当てられなかった。
「人間には前世と来世があるのを信じる? 私はあなたのことを知っていた。現世ではないけれど」。
アニーが低い声でゆっくりと言った。私は呆然とした。出会ったばかりでこんな話をする人はめったにいない。しかし、彼女はどうして私が言いたかったことを知っているのだろう。こんな普通は誰も興味を持たない話を持ち出したら馬鹿にされるに決まっているのに。私は彼女に微笑みかけた。このオランダの女の子とは初対面だが、縁の深さを感じる。服装や話し方、病気に罹った時の苦しみようや貴重品の隠し場所など、何もかもが似ている。アニーはだいぶ具合が良くなってきたたようだ。だからといって自分の都合だけで彼女を外出に誘うことは憚られた。一人旅にとって、観光以外に最も必要なのは静かさである。彼女をもうしばらく寝かせることにして、私は静かに部屋を出て階下の食堂に行った。
 朝食のときに二度ほど会ったリマから出張で来た青年を見かけ、同じテーブルでお茶を飲みながらおしゃべりをする途中で、唐突に彼に聞いてみた。
「あなたの部屋、他の人とシェアできる?」。
彼は私を見て親し気に言った。
「あなたの紹介ならかまわないよ。ただ僕は英語がわからないけど」。
ミシャのお仕置きは終わり。彼をここに呼んでやろう。この快活で明朗な友人はペルー人のエドワードである。
 雨は相変わらず毎日午後になると荒れ狂うように降り出して一向に止む様子がない。マチュピチュ観光はペルーに来た旅人の最大の憧れだが、唯一の鉄道が不通になっている
私は毎朝まだ空が明るいうちに駅まで行った。駅員はいつも一日待てば列車が動くと言うので期待しながら小雨の中を戻るが、翌日も列車は動かなかった。駅はちょうどインディアン市場の向かい側にあり、列車の運行状況を確認した後は、決まって市場をぶらついて帰った。その日は青物市場で美しく咲いている花を売っているのを見つけ、思わず両手一杯に抱えるほど買って帰った。ホテルの部屋に入るとき、寝ているアニーを起こしてしまわないようにドアのハンドルをそっと回した。ドアを開くと、彼女がベッドから出てベランダに続く掃き出し窓を開き窓枠に寄りかかっているのが見えた。私は胸を衝かれ、彼女に声をかけられないまま、また廊下に出て静かにドアを閉め、大きな花束と不安を抱えてドアの外に座った。彼女にはどこか翳りがある。何日か一緒に過ごして、そう感じていた。さっき一人で涙ぐんでいたのは、私に涙を見せまいと我慢していたのだろう。泣ける場所もないなんて、あまりに辛すぎる。私も同じ経験をしたではないか。二時間近く待ってから、ようやくドアをノックした。
「花を買ったの、私たちのために!」、と微笑みながら言った。
彼女は「まあ」と答えて静かに花を受け取り、花束に顔をうずめてから私に微笑み返した。二人で花瓶に花を生けると部屋には温かい雰囲気があふれ、仮の宿のようには見えなくなった。
 この数日、エドワードは雨のせいで足止めをくらい、ボリビア国境まで業務視察に行けなくなっていた。長距離バスは止まっているし、短距離バスは地方へは行かない。四人で相談して小さいレンタカーを借り、順番に運転しながら、あちこちを見て回ることにした。日曜日に訪れたピサクはクスコから往復九十キロほどの街で、そこでは週に一回、豊かな品物を商う華やかなインディアン市場が開かれるという。さらにインディアンのミサも見所である。私達四人は車でそこまで行き、誰が提案するともなく、それぞれ別行動をとることになった。話し疲れることもなく、一人で考える時間を持つことは私の旅にとってはとても重要なことだ。
 他の皆は何をしているか知らないが、私はレンガ造りの教会に入った。とても特別な感じのする建物だった。インディアンは自分で描いた絵や花、詩歌や祈りの言葉で神に誠と愛を捧げる。古くてぼろぼろな教会、貧しい老若男女
、ほの暗いろうそくの光に照らされた敬虔で誠実な一人一人の顔。愛さざるを得ない人々だ。人混みをかき分け、彼らと一緒に跪いた。ケチュア語は分からないが、アーメンと唱えた時の心はみな同じだ。ミサが終わっても隅のほうにある椅子の近くに誰かがまだ跪いていた。祭壇を見上げた横顔には止めどない涙が頬を伝っている。アニーだ。一体いつここに入って来たのだろう。私は声をかけずにそっと外に出て石段に座った。賑やかな市場と人の群がさらに心を暗くさせた。

 雨は、意外にも降らなかった。遠くの山上に白い狼煙が上がっている。人に聞くと、川の水が氾濫しそうになったときに雨が止むように祈るインディアンの宗教儀式なのだと教えてくれた。またアニーを見かけた時、彼女はサングラスをかけてアンティークの露店で古いブローチを見ていたので、私は値段交渉を手伝いに行った。彼女が代金を払って品物を手にするのを待って、私は自分の手の平をひろげて彼女に見せた―そこには全く同じ色、同じ形のブローチがあった。そして、一時間後に車で待ち合わせる約束をして、また彼女と別れた。沢山の涙を流した後は、一人の時間があったほうがいい。

 山の中に行くと馬に乗れる所があった。牧場の中ではなく、山の中を走ることができる。乗馬が終わると約束の時間がそろそろ近づいていたので、急いでアニーを探しに行った。彼女も馬に乗せてあげたかったのだ。悲しんでいる時、いちばんの慰めになるのは運動だ。しばしの間は心を解放させられる。ほんの数分でもいい。この世の中の快楽や幸福はほんのいくつかしかない。しかし千滴の涙には千種類の違う痛みがある。固い結び目となってしまった涙の原因は時間がほどいてくれるのを待つしかない。私は他人の物語を聞こうとはしない。彼女が自分から話そうとしないかぎり。
「こっちで馬に乗れるよ、ものすごく楽しいから来て!」
私はアニーを露店から引きずり出して再び乗馬場に戻り、馬にまたがって互いに目で合図した。何も言わなくとも心は通じていた。失った者だけが、探しに行かなければならない。私たちは何を探し当てただろう。この数日間は時おり降る激しい雨のために誰も遠出はできず、古い街の中を歩き回るしかなかった。列車が運行を再開すればマチュピチュを見物してここから離れることができる。
 アニーと私はこの高原では午後になると必ず頭痛がした。病んでいる時は気力も弱りがちだ。二人とも静かに横になり、何時間も言葉を交わさなかった。同じホテルに泊まっている四人は食事時に集まる以外、街に出る時はめいめいレインコートを羽織って別々に出かけた。気が合う仲間が、特に一緒に行動しようとしないのは実に好ましいことだ。街でたまたま目に留めて買い求めた雑多な小物類―
ガラス玉、端切れの布で作ったインディアン人形、木製のボタン、ひと揃いの小さな石の置物などは、ホテルの部屋に戻った途端に魅力を失う。こんなものでは本当の喜びは得られない。アニーも偶然ほぼ同じような小物を買ってくるが、帰って来ると放り出して、再び取り出して愛でることもない。
 私は彼女とアメリカという国について話しあったことがある。私は住めそうな州が一つだけあると言った。
「メイン州、ですか?」、彼女は笑いながら聞いた。
「なぜわかるの?」、私は彼女をちらっと見た。
「寒くて、静かで、荒涼としている。あそこはあなたと私の住む場所だわ」。

アニー、私達は本当にここで初めて会ったのかしら? どうしてお互いにこんなに分かりあえるのでしょう!
ある日の朝、私は街に野菜の卸売市場を見に行った。ホテルに戻ると食事中のエドワードが私に声をかけてきた。アニーは早朝の飛行機で発ったという。私は急いで部屋まで走った。机の上に置き手紙があり、その横に花が飾ってあった。

Echo
あなたとは魂やもう一つの世界について、よく話しましたね。お互いの個人的な経歴や境遇については何も話さなかったから、この十日間の付き合い以外には、お互いのことは何も知らず、全くの白紙のまま。私たちは二人とも大きな傷を負った人間だけど、あなたはすでにそれを生活の一部として、傷を抱えながらも生きている。だけど、私はまだ自分の傷に慣れることができないの。その傷はまだ新しすぎて。私の悲しみをあなただけが見破って、あなたの悲しみは誰にも知られていないと思っていたかもしれませんね。でもそれは違います。広場にいた時、ソローチェのお陰であなたと出会うことができました。あなたの思いやりが、あらかじめ運命づけられていた私たちの縁をつないでくれたのです。相手への配慮が過ぎ、他人に簡単に自分をさらけ出すことができない私たちは、自分のストーリーをどちらからも話題にすることができませんでした。あなたの苗字も聞き忘れましたが、魂の永遠を信じる者として、かつて輪廻転生を繰り返す中で出会った人だと信じています。生まれ変わってまたいつか会えるかどうかわからないけれど。私は帰ります。住所は残さないことにしました。黒い目をした私の親友、生まれ変わってまたその目に出会ったとき、きっとあなたの目だとわかるでしょう。あなたは永遠にあなたです。お互いの幸せを祈って! 
アニー

アニーが書いた流れるような英語の手紙を読み終わり、私はまだ水滴の残る花にそっと触った。静まりかえった室内は、彼女がいなくなって前よりもずっと広く感じた。この手紙はアニーの深い教養が書かせたものである。実際私たちのような性格では、一言も残さないほうが自然だ。アニーにこの気持ちがわからないはずはない。
 窓の外の雨は、昼過ぎにはまた約束したかのように降り始めた。遠くにある緑の山は、霧雨にその姿を隠してはいても永遠にそこに存在し、この古い街をで生まれては消えてゆく人の世の哀しみと喜びを冷たい眼で眺めていた。

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三毛の中南米紀行 -10-

夜の観劇──雨の降る高原 二  ペルー紀行

http://www.kanunu8.com/book3/7180/158739.html

 正午、垂れこめた雲のすき間から差し込む陽光が蒸し暑く広場を照らしていた。私たちはまだクスコでマチュピチュに行く列車を待っている。あの場所を見ずにペルーを離れることはできない。ひたすら待ち続ける日々が心を圧迫し、永遠に降り続ける雨のようにゆっくりと体の中に溜まってじわじわと重さを増していった。私たちの旅はこの古都でしばらく歩みを止めた。
 この広場は全ての活動の中心である。広々として気持ちの良い広場は毎日同じ場所に座って眺めているだけでも飽きない。その日、私は大教会の一番高い石段に座り、頬杖をついて人の行き来を静かに見ていた。となりにはいつも私を見つけると走ってくる一匹の白い小犬がいた。広場には担ぎ売りの商人が多い。大半がインディアンの女性と子どもで、男性はあまり見かけない。
 「インディアン」――中国語には他に適切な呼称がないのだが、彼らに面と向かって言うことはできない。とてつもない侮辱だとみなされてしまうかもしれないからだ。
 彼との出会いは平凡だった。埃だらけの古い背広とタートルネックのベージュのセーターを着て、短く刈った古風な髪形で、手には頑丈そうなトランクを持っている。そんな格好をしていながら彼は中年のインディアンだった。広場では多くの観光客が各々小さなグループを作って日光浴を楽しんでいる。商品を何も持っていない彼が観光客に一人ひとり声を掛けていたので、私の注意を引くことになったのだ。人々は彼の話を聞き終わらないうちに頭を横に振る。それでも彼がお礼を言って立ち去るのを見て、私は彼から目を離せなくなった。
 クスコの人は人に対しても物事に対しても曰く言い難い謙虚さと穏やかさを持っている。この点についてはエクアドルも同様である。彼らがみなアンデス山脈の子孫だからだろう。だがまさにこうした温和で従順な性格のために、かつてインカ帝国は領土を現在のアルゼンチン、チリの北部、ボリビア、ペルー、エクアドルの全土、コロンビアの南方まで拡大することができた。インカ帝国は容赦ないやり方で高原のいくつもの民族を、十五世紀初頭にスペインの征服者がたった百八十人の兵士でインカ帝国を破るまで四百年近く統治した。となると、インカ帝国も割合に大人しかったのかもしれない。
 広場では、あのトランクを持った男が相変わらず誰からも相手にされずにいた。断られ続けながら、しかし弱気になることなく、ゆっくりとした足取りでまた別の観光客のところへ向かって歩いていく。物乞いのようには見えない。彼が拒絶され失望するたびに私の鼓動が早まった。もう数十回も話しかけているのに、彼に頷く人が一人もいないことが残念でたまらなかった。
 雨は、いつもと同じような正午に、豆まきのように降り注ぎ始めた。広場の人はざわざわと散っていき、トランクの男だけが遠くに取り残されてぼんやりと空き地に立っていた。私が座っていた石段は後ろに教会の大きな木の門があり、小雨を避けるには丁度良い場所である。さらに雨が強くなればオレンジ色の大きな防水シートで覆って、門扉のノッカーに斜めに傘をさし掛ける。こうしておけば、座っている場所はたとえ雨でも濡れずに済む。もしかしたら雨の中のオレンジ色が鮮やかすぎたのかもしれない。遠くにいたトランクの男がなんと私に向かって歩いて来た。徐々に近づいてくる足取りを見つめているうちに、巨大な圧力が私にのしかかってくるように感じた。この人は一体何をしたいのだろう。まだ話ができる距離まで来ていないのに、細かい雨に濡れた茶褐色の疲れ果てた顔が、既に数十回も無理やりに作ってきた卑屈な笑みを浮かべた。私はその表情を見ただけで憐憫を感じた。
「こんにちは!」、彼は雨を拭うこともせず、私にお辞儀をした。
「座ってください、ここはまだ乾いていますから」、と私は体を動かして近くの石段を手で叩いて示した。彼は座ろうとせず、驚いたように私を見た。相手によって態度を変える白い子犬が彼に向かってけたたましく吠え始めた。彼にとって私がこの広場ですでに最後の希望である以上、自分に出来る範囲で救いの手を差し伸べなければならない。
「お尋ねしますが、あなたは音楽と踊りはお好きですか?」。
私は頷き、持っていた傘を彼のほうにさしかけた。
「私は民族音楽舞踊団の者です。素晴らしい公演を見にいらっしゃいませんか?」。
たったこれだけの言葉を、彼はたどたどしく恥ずかしそうに口にした。
「あなたも踊るのですか?」、と私は聞いた。
「私は『ガイネ』(インディアンフルート)を吹いています」、と彼はとても嬉しそうに言葉が追い付かない様子で私に答えた。ガイネはインディアンに特有の七穴の木笛で、とても美しい音がする。
「ミュージシャンなのね!」、と私は笑いかけた。もう少し話をしたかったが、この気の毒な人がますます大降りになっていく雨に打たれながら立っているので、話すのはやめて「一枚いくらですか」と急いで聞いた。
「高くはありません。米ドルでは三ドルほど、二時間休憩なしでやりますし、写真も撮れます」。
彼は緊張した様子になった。値段を口に出してから、私にとって高いかどうか計りかねているようだ。
「三枚ください」。私は立ちあがってポケットに手を入れたが、手持ちの小銭は合計で千ソル、つまり二ドルにも足りなかった。腰の後ろに隠した貴重品袋を人前で見せたくなかったので、今は持ち合わせがないと言った。
「では、夜いらっしゃった時に払ってくれればけっこうです」。
彼は気にする様子もなくそう言って、すでに手渡した千ソルまで返してきたので、私はその手を押しとどめた。
「これだけ先払いしておきます、不足分はあとで払いますからね。それでいいかしら」。
見るからに商売っ気のない、人を信用しすぎる音楽家は、せっかくチケットが三枚も売れたのに、どうして先にお金を取ることも分からないのだろう。
「少し見つけにくい場所なので、地図を描いて差し上げましょう」。
彼はトランクを開いて紙を探し、雨の中にしゃがんで描こうとした。
「チケットに住所があるから大丈夫。濡れてしまうから、早く行ってください。ありがとう!」。
互いにもう一度お礼を言い合い、立ち去ろうとする彼に私は叫んだ。
「お金をお借りしていることを忘れないで下さいね!」
ホテルに帰ってミシャとエドワードを探したが、二人ともいなかったので、私は階下にテレビニュースを見に行った。一心に見ていると、誰かが雨傘の柄で頭を軽く叩いた。
「ペルー人になったらいい。この国の大臣の話を真に受けるのは馬鹿だけだよ!」。
エドワードがこう言うので、笑ってしまった。
「今夜は民族舞踊ショーに招待するわ!」、私は手に持ったチケットをひらひらさせた。
「僕を誘っているの? ペルー人として生きてきたのに観光客だましのショーを見に行けだって? それに夜はひどい雨でひどく寒いのに、外に出たがる人なんかいないよ」。
「一枚たった三ドルよ!」。
三ドルぽっちでは実際のところ何もできない。クスコではお金のかかる場所が非常に多く、高額紙幣は崩した途端になくなってしまう。
「道路工事が終わらないことには、退屈で身をもてあましてしまう。まさか観光客のするようなことまでするなんて。しかも民族舞踊とはね、はあ……」。そしてエドワードはこうも続けた。「マチュピチュに行けるまで僕は帰らないよ」。
私たちはどうしても「失われた都市」に行きたくて雨が止むのをずっと待っている。朝食は部屋代に含まれていないので、当然のことながらホテルで食べる気にはなれない。外に出れば安く食べられるところがとても多い。
「チケットは買った。結局、行くの?、行かないの?」、と私がもう一度聞くと、エドワードはニヤニヤして「デートかい?」と聞き返してきた。口では「バカじゃないの!」と答えながら、首を縦にふって頷いた。
「オーケー、また夜に会おう。ちょっとはおめかししてくれよ!」。彼はそう言って出て行った。
 フロントに六時に起こしてくれるよう頼み、目覚まし時計をセットし、ミシャにも頼んだが、昼寝はできなかった。高山病のような症状は、普通の人は一度かかれば慣れるが、私は毎日午後になると決まって具合が悪くなり、やむを得ず横になっているしかなかった。
「何を緊張しているの、少しくらい遅れても演目が一つ見られないだけじゃないか」、とミシャが言った。
「早めに行って不足分のお金を払いたいのよ。開場してしまったら混雑するでしょ、お金を返す相手を見つけられなかったら帰ってきてから眠れそうにない」。
「そいつはどこにも逃げたりしないよ。君は頭痛のせいでバカになっているんだよ!」
「あの人は笛を吹いたらきっと忘れてしまう!」。私は自分の考えを曲げなかった。言い合っているうちに、夕暮れになった。だが、私の頭痛は少しも良くなってくれようとしない。風雨はますます激しく、高原の気温は夜間にはぐっと下がる。エドワードはサッカーのテレビ中継があるからと言ってどうしても外出しようとせずに逃げてしまった。
「あなたは私と行くのよ! これは仕事。写真を撮らなくちゃ!」。
ミシャも行かないと言い出すと困るので私は彼を脅した。その市場のある地域は昼間でも強盗に遭う場所だ。夜一人で行くのは良くない。舞踏団の公演会場は大体その付近だと分かっていた。一枚余ったチケットを通行人にただであげようとしたが、みな要らないと言う。まるで私が迷惑をかけているようだ。夕食もとらず、大雨に濡れ、風に吹かれ、寒さに歯をくいしばりながら、ほぼ膝ぐらいまである泥水の中をミシャと二人で歩き、ズボンも靴下もずぶ濡れになった。実は私もこんな観光客相手のショーなど見たくなかったのだ。だが、お金を借りてしまった以上、彼との約束を破ることは正直できなかった。
 住所のプレートがある場所についた。鉄の門の内側はひっそりとして何の音も聞こえない。門を押して開くと長い通路があり、一つひとつのドアから住人が顔を出して私たちを見た。
「ダンスを見に来たの? もっと先だよ」、と誰かが大きな声で言った。一軒一軒の家を通り過ぎるたびに、部屋の中の人が料理の手を休め、目を丸くして窓の外の私たちが通り過ぎるのを見る。まさかショーを見に来る人がそれほど珍しいわけでもあるまいに、まじまじと見つめる価値があるだろうか。ここではショーを毎晩やっているではないか。
 曲がりくねった通路を歩いて行き止まりまで来て、私はすりガラスのドアをそっと開いた。なんと、巨大な劇場ホールが暗くて冷たい廊下の終点に隠されていたのだ。誰も照明をつけてくれない。二百席ほどもある真新しい座席がほの暗い会場でブルーグレーの冷たい光を放っていた。ミシャの時計を見ると六時三十分ちょうど、チケットに記された開場時間なのに中はガラガラだった。私たちはどうしていいかわからず、立ち往生していた。廊下に戻って待っていると、昼に見たインディアンの男が慌ただしく入ってきた。私たちを見ると、慌てて謝り、走って会場の照明をつけに行った。
「他のお客さまはまだご夕食を召し上がっています。十五分ほどお待ちいただくか、向かいでコーヒーを召し上がってからまた来ていただけますか?」。彼は疲れきった顔をしていて、その古い背広はもうずぶ濡れだった。できるだけ楽しげで丁寧な口調で話してはいたが、深い悲しみは隠しきれていなかった。
「不足分の千ソルを先に払いますね」。
「あ、ありがとうございます、後でも構いませんのに!」、と彼は腰を曲げて、両手でお金を受け取った。
 三人は気まずい思いで向かい合い、何と言えば良いか誰も分からなかった。
「本当です、チケットは全てツアーの団体客に売ったんです。皆さん今お食事中で、すぐにいらっしゃるかと──」
「コーヒーを飲みに行ってからまた来ます。ゆっくりでいいですよ」。私はミシャを連れて外に出た。去り際に「三列目の通路側の席を取っておいてください。他の人が座ってしまわないように!」、と頼んだ。
大丈夫です、必ずお客さまに。ご安心ください」、と彼はまるで今にも泣き出しそうに言った。
私は足早に会場を出た。向かいに何か飲む場所なんてありはしない。電動のおもちゃが賑やかな音をたてているだけだ。私たちが通りに出たばかりなのに、あのトランクを持った男は土砂降りの雨の中で、街頭に立って急ぎ足で通り過ぎようとする人を引き止めてはチケットを売ろうとしているのが見えた。
「私たち騙されてると思わない?、団体客なんかいないんじゃないの?」、と私はミシャに聞いて二人で広場の方向に戻って行った。
「そんなはずないと思うけど。観光客はあんなにいるんだし」。
 広場の通路の下にある露店にいるのは全て土産物を買う外国人で、外はたらいをひっくり返したような雨なのに、屋台街は依然として活気に溢れていた。あの気の毒な人は、なんとまだ一所懸命にチケットを売っている。何回か鉢合わせしそうになったが、その都度彼に見つからないように隠れた。彼の方を見ることさえはばかられた。
 もう七時半だ。私たちは会場に戻らざるを得なかった。中は明るくなり、布の幕の後ろから誰かがこっそりと私たちを盗み見ている。おさげ髪がするっと出てきた。明るく美しい黒い目はまるで湖水のようだった。私は一列目に移って座り、ミシャは私の隣にいた。底なしの空虚が静かな大ホールで見えないプレッシャーとなって私の肩にずっしりとのしかかってきた。私たちを除き、ほかの二百近い席はすべて空いていた。トランクの男は急いで帰ってきて、頭を垂れて雨で散々に濡れた顔を手で拭いながら、逃げるように舞台に通じる門を開けて中へ消えて行った。
「ああ、無理しないで!、チケット代を返せばいいから!」。私は軽く頭を抱え、小さい声で叫んだ。丁度その時、幕がゆっくりと上りはじめた。ステージは意外にも滑らかな板張りの本格的な作りである。この古い街では本当に貴重な場所だ。四人の楽師が舞台後方の奥まった場所に座り、それぞれの楽器を抱えている。チケットを売っていた男もその中にいた。彼らの服装は、上はポンチョ、下は地元の人が履く白い長ズボン、それに民族調のサンダルを履いている。慌ただしく帰ってきたあの男だけは先ほどと同じ長ズボンのままだった。その中にいた若者がプログラムのアナウンスをしに前に出てきた。先に観客に歓迎の挨拶をし、次に楽師の紹介をした。そつのない舞台挨拶だった。私とミシャはできるかぎり彼に最大の拍手をし、四人の楽師は少し腰を浮かせて礼を返した。だが、この拍手の音が大ホールに反響したことで、寒々しく空虚でもの悲しい雰囲気がますます際立つ結果になった。
 最初の演目はダンスではなく合奏だった。曲目は祭日を祝う陽気なものだったが、ガラガラな観客席を前にした彼らは複雑な気持ちで演奏することになった。インディアンフルートに特に注意して聞くと、丸く深い音色で、決していい加減な演奏ではない。音楽を聴きながら、ツアー客がいきなり大勢で入って来ることを期待して緊張していたために、外の通路でちょっとでも物音がすれば、ガイドが人を連れてきたのかと思ったが、ステージ上の奏者たちの気が散るのが心配で何度も振り返らないようにした。結局、彼らは約束を果たすためだけに公演を行っている。つまり、たった九ドルしか売り上げがなくても信用を失うことはできないということだ。これほどまでに信用を重んじる公演は観客に対する尊重の表われであり、彼らの心情には心からの敬愛で報いるのがふさわしい。彼らに拍手しよう! 拍手できる両手があれば、今夜たとえ私一人で来たとしても、絶対にホール全体を熱くしなければならない。
 曲が終わると、私は「素敵な子供たち! BRAVO!」、――スペイン語でどんな公演にも使える言葉で彼らの公演を称賛した。ステージの奏者たちはまずぽかんとし、そのすぐあとに笑顔を見せた。私たちの熱烈な拍手で司会の進行が遮られ、彼はしばらく立ったまま私たちの拍手がやむのを待った。私は申し訳なさげに笑った。場内の緊張はもう消えたが、私は深い自責の念にかられていたし、釈然としない気持ちでもいた。私が今朝余計なことをしなければこの公演は取りやめになっていただろう。どちらが彼らにとってより耐え難い状況なのだろうか。今夜の公演を中止するほうか、それともたった二人の観客に向かって無理矢理に歌ったり踊ったりして、実際には決して愉快とはいえない夜の部の公演務め上げるほうだろうか。
 舞台の後ろの幕が開き、鮮やかで美しい衣装を着けた六組のインディアンの男女が登場し、微笑みを浮かべてケチュア語で歌いはじめた。観客席にいる、やはりおさげを結ってポンチョを着た私にちらちらと視線を送りつつ歌い踊った。ミシャの時計をこっそり見ると、すでに八時である。これから来る人はいるのだろうか。まだ間に合う、まだ二つ目の演目だ。数えてみると、ステージのダンサー、楽師に司会者で、合わせて十七人だ。九ドルで十七人が何を食べられるのだろう。こう考えると何も楽しめなくなった。座って笛を吹いている人のまだ湿っているズボンと靴を見つめて、暗い気持ちになった。
 公演は思いがけず本格的で素晴らしいものだった。群舞のあと、ダンサーは衣裳替えのために舞台の袖に引っ込んだ。あの笛の人が立ち上がって独奏を始めた。長く伸びて響く笛の音で、さっきまで賑やかだった会場が静かになり、もの悲しい笛の音とまっすぐに立った奏者の背筋から没落したインディアンの切ない心の声が聞こえた。彼らは誇り高い。彼らは物乞いでなく、アーティストだ。必要なのはお金だけでなく誠心誠意の共感なのだ。それなら何をためらうことがあろう。出来る限り心を尽くし喝采しよう!
「頭はまだ痛む?」、とミシャが聞いた。
「痛い!」、と私は短く答えてからステージに向かって叫んだ。BRAVO! BRAVO!」
 演者たちは街で適当に集められたわけではない。彼らに深く刻み込まれた「芸術家の気骨」がその一挙手一投足に表れ、単に観光客に見せるだけのものであっても隠すこともできずにあふれ出ている。すでに九時を回った。客席はふるえが止まらないほど寒かったが、開演直後の凍り付く空虚さはミシャと私の喝采の中でゆっくりと溶けていった。ミシャと私の拍手ではホール全体の空虚さを満たせなかったとはいえ、その夜はただ彼らへの報いとして、ありったけの情熱を打ち寄せる波のようにステージに送り続け、ステージと客席は一体になった。彼らが感じたエネルギーと共鳴は、もはやたった二人の寂しい観客のものではなかったはずだ。私も後ろが全て空席であるとは感じなくなっていた。歌い、踊る人々は自らのリズムに陶酔し、九ドルの苦しさをしばし忘れた。
「ミシャ、写真を撮って!」
 こうした踊りの写真は実際にはあまり美しくはないものだが、フラッシュが光ると少なくともそれらしい雰囲気にはなった。観光客のような楽しみ方をするのは私の趣味ではないのだが。ミシャが席を立って写真を撮りに行き、ステージの人たちは客席に残されたたった一人の私のために踊っている。ようやく溶けていったもの悲しさがまた少しずつ滲み出てきた。だが、私は一人ではなかった。いつの間にか、地元の奥さんが後ろの席に座って何を気にする風もなく編み物をしていた。
「もうすぐ終わるのに、今頃やっと来たの?」、と軽く聞いてみた。
「いえ、私はこの先に住んでいて、ちょっと休憩しに来ただけ」。
「この素晴らしい場所は誰のものなの?」
「ここ? あのインディアンフルートを吹いている人。田畑を全部売り払ってね。一生笛を吹いて人に聞かせたい、だって。笛だけ聞きに来る人はいないことを知っているから舞踊団を作ったのさ。奥さんや子どもが飢え死にしそうだっていうのに、どうしても諦めようとしない。どうかしてるよ!」
「大きいポスターを貼らなきゃ。各ホテルに手数料を払ってチケットを売ってもらって。でなければ、朝、雨が降っていないときに団員全員を連れて広場に行ってパレードをして、宣伝してその場でチケットを売る。絶対に大丈夫よ、これだけのレベルなんだし」
「芸術家だからね、そんなことは考えつかないよ。どっちにしてもこの歌舞団は近いうちにつぶれるだろうね。長くはもたないさ」
 そう言い終わると、ステージで演奏している最中にも関わらず、その奥さんは大きくため息をついて立ち上がり、頭を振ってふらふらとゆっくり出て行ってしまった。他人にも自分にも嘘をついている芸術家はチケットは全て団体客に売ったと言っていた。確かに少し気がおかしくなっているのかもしれない。
 最後の踊りは「略奪結婚」で、インディアンの娘が一人ずつ背負われてバックステージに入ると、自分たちがまず大声で笑い声をあげ、まるでお遊戯をする子どものような無邪気さで踊った。幕が下り、私はほっと一息ついた。長い夜がついに終わり、私たち全員がこの公演に全力を尽くしたと思った。
 静かに座りぼんやりしていると、ステージでがやがやと声がし、幕がまた上がった。ダンサー全員が客席に駆け下りて私の手を取り、楽器の演奏がまた始まった。私は笑いながらミシャを彼らに押しつけた。娘たちは口々に「彼じゃない、あなたが来て!」と叫んだ。私がステージに上ると、周りの男女が私を中央に押し出し、私を囲んで手を繋ぎ、最後の別れの歌を歌い始めた。この時、突然正面に広がる客席を見ることになった。二百の空席が無色透明の化け物になって音もたてずに飛びかかってきた。この情景を見て私はやっと分かった。ステージでの二時間の熱烈な公演のために彼らはどれだけの勇気とこだわりを見せてくれたことか。私は中央にいたくなかったので、一人と繋いだ手を離して円舞の中に溶け込み、歌や踊りの輪の中で一人のインディアンになった。皆と微笑みながら次々と握手をして別れた。私はステージを下り、ポンチョを着て帰り支度をした。
 あの笛を吹いていた人が一角に立って静かに私を見つめている。全身くまなく凝視され私は身動きがとれなくなった。彼はようやくバックステージへ消えた。司会が衣裳を替えてまたステージに戻ってきた。
「観客の皆さま、本日のプログラムは以上で終了ですが、私たちの団長がもう一曲ご披露したいと申しております。本日の朝、雨の広場で出会った女性に捧げます。これは、彼自身が歌詞に曲をつけた独奏曲で、タイトルはまだ決まっていないのですが──」
 私の心臓が大きく鼓動した──彼は私一人のために演奏しようとしている。照明が消え、バックダンサーたちが通用門から一人ひとりこっそりと出ていく。団員まで先に帰ってしまった。あの肩幅が広く、背の低いインディアンが、ゆっくりとステージにあがった。表情は落ち着いていた。手の中にはすでに何千万回も吹かれているあの古い笛があった。彼はざらざらした短くて太い指でそっと撫でた。照明は彼一人を照らしている。両手をゆっくり上げて目を閉じた。自らが笛になり、曲になり、世界の始まりになった。神秘的な音楽の魂が低くゆったりとした流れとなり、溢れ始めた。先ほどまでの民族舞踊と音楽はもはや存在せず、その場全体に満ち溢れた音色は驚くほど重厚で生命力があった。こんな平凡な笛が彼の感情と才能の全てを余すところなく表して、彼はこの演奏で才能を理解する人に出会えない思いのたけを訴えていた。彼はなんとその気持ちを広場にいた見知らぬ人に託したのだ。演奏するうちに悲しく落ちぶれたインディアンの全身からまばゆい光が放たれた。この時の彼は正真正銘のステージの君主であった。私はこの偉大な魂を凝視しながら、瞬きもできずに彼を見つめ、永遠に心に刻もうとしていた。不死鳥よ、あなたは何故ここに隠れていたのですか?
 魔笛はいつの間にか止んでいたが、ホール全体はいまだにその楽の音に包みこまれ、夢から醒めずにいた。拍手はない。拍手をするべきではなかった。雨の中で出会った縁で、相手が与えてくれたのは彼の生命の全てだった。私は何も返す方法がない。ステージの人がいなくなっても、私は身動きできなかった。灯りが消えても私は席を立てなかった。バックステージの通用門が静かに開き、あの古い背広とトランクがちらりと見えた。お互いに再び挨拶を交わすことはなく、彼は去った。寂しげな足音が長い廊下を段々と遠ざかっていった。

訳注
*1ソル: ヨーロッパ・中南米諸国の通貨。


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