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三毛の中南米紀行 -8-

銀湖の浜――現世  エクアドル紀行 二

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 電話をかけ終わると、むしろほっとした。友人のマーグは不在で、電話口の彼の父親に伝言を頼んだ。会うかどうかは別にして、とにかく連絡だけは入れた。
 旅の疲れがたまってきている。これといってきつい仕事はしていないが、毎日かなりの時間を歩いているせいで足には常にマメができ、いま目の前にベッドがあれば枕に頭を預けた瞬間に眠りにおちるだろう。だが本当に休んだら目が覚めてから自分の怠惰を責めることになる。時間があるのにどうして町に出なかったのかと。
 受話器を置いたのはちょうど酷暑の午後だ。朦朧として目を閉じると、フロントスタッフが呼びに来た。下でお客様が待っていると言う。急いで駆け下りると、家にいなかったマーグがロビーに立っていた。もう長いこと会っていなかったので、お互いを認めてからしばし躊躇い、それからようやく二人は駆け寄った。
「マーグ、ただいま!」、と私は叫んだ。
「ただいま、だって? いつエクアドルに着いたんだい?」
彼は私を引き寄せ、頬に軽くキスをした。
「前に話したこと、忘れた?」
「君が前世はインディアンだったと言い張ったこと?」
彼は再び親愛の情を込めて私をハグし、愉快そうに笑った。
「しかもペルーのインディアンではなく、この国のインディアンよ。似ているでしょ?」。私もニコニコと彼を見た。
 マーグは両手をズボンのポケットに入れ、何も言わずに静かに私を何秒か眺めてから、ソファーに誘って座らせた。
「元気?」、と彼は私の頬を軽く叩き、何とも言えない表情で見つめていた。
「生きてる」、目をそらして彼を見ないようにし、ため息をついた。
マーグとは昔からの友人で、私が結婚した時にはお祝いのカードを、家庭を失った時には長文の手紙を送ってきてくれた。その後、彼はフランスを経由してレバノンに行き、それから祖国に戻って、お互いに連絡を取らなくなった。私たち二人はしばらく沈黙した。
「エクアドルでの計画は?」
「アンデス高原で半月か二十日くらいインディアンと一緒に暮らす予定。途中で六つの町や村に立ち寄って、そのあと首都のキトからバスで山を降りるの。低地にある二つの街を経由してまたここへ戻り、ペルー行きの便に乗る。千数百キロは移動することになる」。
私たちはエクアドル最大の港町グアヤキルのホテルにいた。
「出発前に家に遊びにおいでよ。明日はクリスマスだし」。
「私みたいな人間にはクリスマスなんて関係ない。ありがたいけど遠慮しとくわ!」。
「高原に行くのはいつ?」。
「二十五日。一つ目の目的地まで車で七時間かかる」。
「最初の目的地は?」。
「リオバンバ!」
私はさらにその町の付近にあるいくつかの小さい村の名を言った。
「僕と同じくらい地理に詳しいね。前世で来たことがあるからだな」、とマーグは笑いながら言った。
「湖を探しに行きたいの」
「湖があるのはオタバロだよ。間違えてない?」
 間違いないことは分かっている。その湖は詳細な地図でないと載っていないのだが、確実に存在している。「Echo*1、二十七日まで待てない? 僕は車でキトに帰って仕事に戻る。ついでだから君と助手の彼を送っていくよ。そうすれば長距離バスに乗らなくてすむ」。
 人を最も困らせるのは友達の親切すぎる行為である。他人の思いやりを受けるのは落ち着かない。私は緊張しやすい性格で、実は単独行動のほうが気楽なのだ。マーグの申し出は固辞した。彼が何を言っても私の気持ちは変わらない。二十七日以降にキトで再び連絡することを約束して別れた。ミシャは初対面のマーグに対して、私より興味を持っている。マーグは社会学者で興味深い話が聞けそうだからだ。ミシャはマーグの車で一緒に行きたがっているようだが、この二人は言葉が通じないから長い旅の間ずっと彼らの通訳をしなければならない。そんなことになれば自ら面倒を背負い込むことになる。また、私が行きたいインディアン村はいまだに極めて閉ざされた地区にあって、三人が観光客のようにカメラを持って行ったら、逆に何も取材できなくなる可能性が高い。
 エクアドルの二十八万平方キロメートルの土地はおもに三つの地域に分けられる。東部アマゾンは今でも未開発地域で、ヒバロ族*2と呼ばれる原住民が今もなお吹き矢を使って狩りをしているという噂がある。彼らは外に姿を現すことはないし、外部の人間は彼らのエリアに立ち入ることができない。エクアドル政府はジャングルの中にある集落を法律で取り締まることがいまだにかなわず、結局は相互不干渉のまま放置している。中部エクアドルはまさにアンデス山脈が形成する高原地帯にあり、二筋の山脈がコロンビアまで伸びている。中央部に位置する幅約六十五キロメートルの大平野では純血を守っているインディアン村落がまだ多く残っており、彼らは総人口六百万人のうち四十パーセントを占める。高原にあるいくつかの小さい町を除き、六十万の人口を擁する首都のキトは、海抜二千八百十キロメートルの北部山間地にあり、世界で二番目に高い場所にある首都だ。南の海岸地域は書物では一般的に低地高原と称され、一年を通じて気温が高く農産物が豊富である。グアランダという中規模都市にはチャイナシティという別名もある。ここには広東省からきた華僑が多く、三世代で定住している。ここの「バナナ農園王」は年老いた中国人だ。
 エクアドルには他にもいくつか小さな島があり、ガラパゴス諸島と呼ばれるそれらの島は太平洋沖に浮かんでいる。どうしても行きたい場所はもちろんアンデス山脈だ。高原の民族には実はそれぞれの言語と民族名があるのだが、コロンブスが中国を目指す航海の途中でキューバに寄港した時、インドに到着したと勘違いしたため、当時アメリカに住んでいた先住民族が間違ってインディアンと呼ばれることになったのだ。これが今のアメリカインディアンの名前の由来である。
 バスは正午に酷暑の港を出発したが、山に入ると天気が変わった。土砂降りでバスの中の空気が淀み、私は窓によりかかり知らず知らずのうちに寝てしまった。骨に突き刺さる冷たい風に目を醒ますと、広々と果てしないアンデスの大草原が窓外に広がり、雨に洗われた明るい夕暮れが私を包んだ。目の前にある景色は、夢で何百回も訪れた場所に違いない。見慣れた風景に懐かしい故郷に帰ってきたような錯覚を覚える。あの場所はここだったのか。バスがカーブすると、雪に覆われたチンボラゾ山が、巨大な獣のように真っ正面からこちらに向かって飛びかかってきた。高原にこれほど大きな山がまた突然現れるとは! 私はその威容に圧倒された。驚きのあまり私の魂は体から抜け出してユーカリのこずえを抜け、田野を越え、草原を渡って飛んでゆき、氷と雪におおわれた山頂にとどまってどうしても帰ってくることができない。一瞬、自分が交通事故で死んでしまって魂が体から抜け出したかと思ったが、バスの乗客たちは依然としてきちんと座っている。
「ああ、やっと帰ってきた!」。私はひそかに嘆息した。この既視感については誰にもとやかく言わせない。エクアドルの高地は、私にとっては見慣れた光景なのだ。
「平児(ピンアル)*3! 平児!」、とミシャが何度も私の名を呼んだが、返事ができなかった。私は気持ちを落ち着かせ、自分の胸を圧迫するように迫って来る六千メートル級の雪山をじっと見つめた。その冷たさと懐かしさを感じて全身が宙に浮き上がり飛んで行きそうになる。この時、人生の様々な経験、悲しみや喜びに彩られた歳月、そして、生きている友人、死んでいった親しい人たちが一度に映画のコマ落としのように目の前を流れた。だが思い起こしてみれば、その時はなぜか何の感情も湧き起こらず、まるで他人事のように感じられた。おそらく、死というものは雪のごとく穢れなく明るく、清々しく淡々としたものなのだろう。
「わあ、爪も唇も紫色になっているよ!」、とミシャが叫んだ。
「海抜はどのくらい?」、私はゆっくりとミシャに尋ねた。
「ガイドブックによるとこの地域は三千二百メートルで、リオバンバまで降りれば二千六百五十になる」。
 眼を落すと両手がむくみはじめており、呼吸も苦しくなった。魂が身体から抜け出したと思ったのは、体の不調で起こった幻覚にすぎなかったのか。
 バスが停留所に停まり、運転手は「十分間の休憩をとります」と言ったが、私はこの高度で動けずバスを降りることができなかった。駅の薄暗い街灯の下には年老いたインディアンの夫婦が座っていた。妻は濃い色の長いスカートを身につけ、柄物の厚手のブランケットを何枚も肩にかけて、太い三つ編みを結った頭にはお約束通り古い中折帽をかぶっている。二人はしゃがみこみ、手でパンをちぎりながら食べている。この純血民族をじっと眺めているうちに、彼らに対するある種の共感が沸き上がり、たまらない喜びを感じた。なんと美しい人たちなのだろう!
「おばあさん! 私は遠くに旅をしてようやく帰ってきた。あなたがまだここにこうしていたなんて!」、私は声には出さず、バスのそばに座っているインディアンの女性に心の中で話しかけた。自分の前世はインディアンだったに違いないという思いが潮のように胸に満ちてくる。この小さな町は、どの通りにもインディアンが行き交い、平地の人を見ることはない。
 夕闇が更に濃くなった。道を行く人影がゆらゆらと揺れている。何もかもが夢か幻のようだ。自分はどこにいるのかもわからなくなる。
 リオバンバのバス停留所に降りると、すぐに一組のヨーロッパ人らしい男女が私たちを出迎えるように近づいてきた。私は心臓の具合がかなり悪くなっていたので、彼らに微笑みかけただけで立ち去ろうとした。何も話したくなかったのだ。彼らは私の行く手を遮り、同じ部屋に宿泊してほしいと頼んできた。部屋にはベッドが五つあるが、空きがあるので同宿する客を連れてきてくれとホテルから頼まれたと言う。降車した多くの人の中から選ばれたとは光栄だ。そのホテルは大部屋に並べたベッドを貸し出す形式のドミトリーで、こざっぱりとしで静かなところだった。彼らはスイスの旅行客で、二人でキトからバスに乗ってこの小さな町に来た。次の土曜日にインディアンのマーケットを見る予定らしい。ごく真っ当な人たちに見えたので、同宿の申し出を承諾した。
 部屋に入り、窓側のベッドを選んで小さい手荷物をベッドに置いてから共用洗面所に歯を磨きに行った。この数か国にまたがる旅で荷物は増える一方だ。だが大きい荷物はその国に到着して最初に泊まったホテルに預け、国内旅行には小さい鞄ひとつで出かける。歯磨きチューブの蓋を開けると中身が勢いよく飛び出してきた。急に高地に登った時に気圧の影響で起こる非常に珍しく面白い現象である。
 初めて経験する高原地帯は、三千メートル足らずにすぎないのに私はすでに歩く気力も食欲もなくしている。他の人はまったく体調に変化がないのに,私は心臓に細い針が刺さるような痛みの発作を起こして、町をぶらつく気にもならず早々とベッドに入った。
相部屋の客が目を醒ますのではないかと心配で寝がえりも打てず、夜明けの四時過ぎまで眠れずに横たわっていた。窓の外の通りには市場を目当てにあちこちから来たインディアンたちがガヤガヤと騒ぎながらこの町に集まって来た。
 リオバンバの土曜市はこれ以上ないほどのサプライズ・プレゼントだった。エクアドルに来た旅行客はふつう北部の有名なオタバロ市場に行く。そこに並んでいる品物はどれもインディアンが白人観光客向けに売っている観光土産ばかりで日用品は見当たらない。だがここの市場には純血のインディアンが一万人近くも集まり、工芸品以外に野菜、アルパカの毛、家畜、生地、加工食品、衣類、野菜の種、薬草などが所狭しと露店に並べられる。色鮮やかな服を着た人たちが町全体にあふれ、普段はひっそりしたこの場所が一気に活気づく。インディアンどうしのやり取りは何より賑やかで活発だ。
 九つに区切られた大きな広場に、種類ごとに分けられた商品が山積みになっている。服地の店ではミシンが地面に置かれ、その場で洋服を仕立ててくれる。綿羊を売り切った女性が服地の店にやってきて生地を買い、その場でロングスカートを縫わせていた。そのまま穿いて帰ろうという寸法だ。軽食類を売る屋台が延々と並び、「クイ(モルモット)の丸焼き」*4がインディアンの祝日の名物になっている。売り手が一塊の肉を手で裂いて渡すと買い手は炊いた白飯を一つかみ取って肉に添え、その場にしゃがみこんで食べる。
 この市場が永遠に世界の片隅に隠れて観光客に知られず、彼らが自分たちの生活を守り続けることを私は心から願った。
 インディアンの服装と着こなしは、スペインに統治された三~四百年の間に変化してきた。市場の男性たちは落ち着いていて優しく人見知りだ。女性はまるでこの世に初めて現れた女のように、色とりどりのビーズを身につけ鮮やかな色の服を着ている。明るく賑やかに笑っているが、なかなか計算高く、ニコニコと愛想よく客引きをする。ロングスカート、ショール、ベルト、それからインカ時代には聖職者や貴族だけが身につけることができた耳飾りは、この土地のインディアン女にとって必須のファッションになった。ヨーロッパの中折帽はもともとスペイン人が上陸した時のスタイルだが、今ではインディアンの民族衣装になり、男女を問わず必ずかぶっている。オタバロ付近にはまた別の種族もいて、女性は帽子ではなくスカーフをかぶり、幅広のレースをつけ凝った刺繍を施した白いブラウスを着ている。ひとまとめにインディアンと呼ばれるが、実際にはそれぞれの服装には大きな違いがある。帽子のひさしの幅も村落によって異なるので注意深く見ればすぐに区別がつく。
 私の目にはインディアンが世界で最も美しい人種に見える。彼らの服装はデザインしないことで逆に独自のスタイルを作りあげている。また蒙古系の人種に近い顔立ちにも私は強く惹かれる。高原地带に住む人は大体において背が低い。これは自然の成り行きで、このような体形のほうが、血液が速く循環し呼吸も楽なのだそうだ。少なくとも本ではそう説明している。
 市場を丸一日歩き回ったが、とくに何も買わなかった。この種の美しさというのは、その場の雰囲気が人を酔わせるのであって、個々の品物に魅力があるわけではない。物売りをするインディアンこそが見るに耐える鑑賞物である。屋台のそばで地べたに座ってクイの丸焼きを食べながら、現地の人が話すケチュア語にひそかに耳を傾け、支払いの時に他人の発音を真似て値段はいくらかと尋ねたので、太った女性店主は大笑いして喜んでくれた。私に言葉を学ぶ気持ちがあることがわかると、店主はクイを焼く手を休めずに大きな声で繰り返し教えてくれた。私をたいそう気に入ったようである。単語をいくつか教えてもらって別の屋台で早速使ってみると意外にもすぐに通じた。彼らはほほえみを絶やさず、友好的な眼差しでちらちらと私を見た。
 夕暮れが来る前に人の群れが散っていき、美しい都市は突然死んだように静かになった。私は町はずれの丘の上にある公園に登って大きな教会の前に座った。薄紅色の雲が平原と遠くの山際で薄墨色に変わっていく。清涼なミントのように薄い空気を吸いながら、昼間のインディアン市場を思い起こす。賑わいがすっかり落ち着いた場所に特有の静けさが胸を満たしていった。ここに座って夕暮れを眺めること以上に私を喜ばせることはない。
 翌日早朝、私が厚手のコートを抱え歯ブラシを手にホテルを出ると、ワゴン車とその運転手のワシントン、彼の妻と息子、娘がすでに外で待っていた。車は前日の夜にホテルに頼んで予約しておいたものだ。運転手つきでないと借りられないとのことだった。ワシントンと名乗る男性は普段はブルドーザーのエンジニアで、日曜日だけ自分の車を貸し出して運転手になる。彼の名は実にイギリス的だ。
 私の目的地であるインディアンの村は、ぬかるんだ山道を車で何時間も走った場所にある。ワシントンが、彼の家族もそこまで奥地に入ったことがないので一緒に連れて行きたいと言うので私は承諾した。ミシャだけに言っておいたのだが、もし私がずっとその存在を確信している湖が本当にあったら、私は何日かそこに滞在し、帰りは自分でどうにかして町に帰ってくるつもりだった。
 今回の旅では、ミシャはヨーロッパがかつての植民地に残した輝かしい建築物と数えきれない博物館にしか興味を持たず、驚嘆し感心することしきりだった。彼は文化や歴史が浅い国で育ったので文化遺産をあまり見たことがなかったのだろう。私は教会と博物館を見るだけでは飽きたらず、建築史を学んだ。当時の何回かの試験は今でもはっきり憶えているし、いまだに残念な思い出もあるので、今回は教会と博物館だけを巡る旅にするつもりはなかった。私の目的はまだ観光客に汚染されていないエクアドルの土地で純血を守っているインディアンに少しでも近づくこと。彼らと数日間ともに生活するだけで満足だ。そこで、ミシャは市内の大きな教会を見学し、私は高原の山間地帯に入って別行動をとることに決めた。レンタルしたワゴン車には奥地の村落まで行ってもらうが、往路はミシャも同行し帰りは彼一人が同じ車で市内へ戻る。
 車は山中へと進んで行った。ワシントンはインディアンの村落を探し出して私たちに見せるために全力を尽くした。村のインディアンたちは外部の人がやって来たのを見ると、わっと声をあげて散り散りに逃げてしまい、私は彼らに近づくことすらできず、かなり落胆した。
 そろそろ帰途につかなければならない時間が近づいたとき、まだ走ったことがないぬかるみの道が目の前に現れた。不思議に何かの予感が働き、その道に入ってほしいと頼むと、ワシントンは言った。
「この先には行ったことがない。噂では谷間の平地に湖があるそうだが――」。
湖と聞いて、私はとうに知っていたはずなのに驚きのあまり言葉を失った。それから四十分近く山奥へ進んで行くと、広々とした草原と湖水が明るい青空の下に神秘的な姿を現わした。まるでこの世のものとは思えない光景なのに郷愁を覚えるのは何故だろう。
「お願い、ミシャ、もう写真は撮らないで!」。
私は車を降りて彼らの前に出た。湖畔までは車が通れる道はない。遠くにかまどの煙をあげる家が静かに散らばっている。よそ者の訪問にはまだ気付いていないようだ。ワシントンの妻はこの時やっと私がここに留まろうとしていることを知って、大慌てで私を思いとどまらせようとした。
「一人で村に行って泊めてくれる家を探すわ。見つかったらここに知らせに来る。それなら安心でしょ!」。
それから四十分ほど後に私は大急ぎで草原を走って車に戻った。自分のコートと歯ブラシ、それからティッシュを一箱取って、彼らに町に帰るように促した。
「何日かしたら迎えに来るよ」。
ミシャはかなり心配そうな様子で立ち去りがたそうに車に乗ったが、私を止めようとはしなかった。とうてい説得できないと知っているからだ。本当は不安でたまらなかったらしいが。
 車は行ってしまった。草原に残されたのは、見るからにちっぽけな私だけだ。夕暮れ空の下、私は静かに立っていた。
 台湾にいた時、座談会終了後に疲労と虚しさのあまりこっそりと泣いたことがあった。だが今は一人で広野に立っているというのにあの時のような深い寂寥感は全くない。私はゆっくりと村に歩み入り、大きな湖を振り返って見た。ずいぶん遠回りをしたが、夢見ていたことがとうとう現実になった。ときどき自分の予感が不思議で恐ろしく思える。
 彼女の名前はジル、インディアンのケチュア語ではジィェルと発音する。私は最初に見つけたのは彼女の畑にいる家畜だった。一つがいの雄牛と雌牛、一頭のロバと綿羊の群れ。私がそこに立つと、牛と綿羊が一斉に鳴き出した。ジルが家から出てきた時、注目したのは私ではなく、私の首にかかっている銀のメダルだった。ジルの目はインディアンとビクーニャが彫ってあるメダルに釘付けになった。骨董屋で買ったちょっとした雑貨だ。彼女は近づいてきて、私にどこから来たのかも聞かず、「あなた、メダル、何と交換?、それ、欲しい」と言った。彼女のスペイン語は単語をつなげただけの片言だ。私は、何日か家に泊めて食事をさせてほしい、家のことは何でも手伝う、ここを去る時にメダルをあげるし、さらに千スクレ(エクアドルの旧通貨単位)払うと言い、彼女はすぐに承諾した。私はこうして偶然の成り行きでそこに泊まることになった。いとも簡単に何の困難もなく問題は解決した。
 ジルには夫と息子がいる。家は大きなレンガ造りで窓のない部屋が二つあった。その日の夜、彼女は敷物を一枚持ってきて乾燥させたトウモロコシの茎をつみあげた上に敷き、ランプを一つ置いてくれた。私は水を一杯もらって飲み、すぐに眠りについた。短い木の板でできた仕切りの向こう側には黒く痩せたブタが行儀よく静かに寝ている。家族三人の寝室はもう一つの部屋だ。私は何も尋ねられないことを奇妙に思った。一家はとても親切で、かけぶとんの代わりになるものをあれこれ探し出して貸してくれた。彼らと一緒にいても私は何の恐れも感じず、素朴な安心感だけがあった。
 翌日の明け方、私はジルが家畜を追う声で目を覚まし、彼女について湖まで歩いた。とても遠い道のりで、湖畔の道はぬかるんでいた。ジルは裸足で、わたしはコートの内ポケットに入れていたビニール袋で靴をカバーし、湖のほとりまで行って水汲みを手伝った。
 ここは村落とはいえ、家はまばらに散らばっている。それぞれの家に畑があるためだ。一九七三年、この地を治める役所の土地改革によってインディアンは代々居住してきた土地を所有できることになり、大農場できつい労働をする必要がなくなった。
 私は村にいる間はできるかぎり家事を手伝った。牛や綿羊を湖畔に連れて行って草を食べさせたり、ジルの息子の糸紡ぎを手伝って切れた糸をつないだり、村の近くで薪拾いをしたり、午後には日差しの下でガラス玉に穴を空けたりする。ジルは大きな袋にオートミールを入れていて、牛乳とオートミールで薄い粥を作り、フライパンでトルティーヤ*3を焼く。食事は一日一回だが、鍋に入っている薄い粥は火が消えるまでずっと温めてあり、好きな時に何度食べてもよい。ジルはアルミ製のコップを使っていた。
 私は他の家にもぶらぶらと訪ねに行ったが、誰も私から逃げず、私を特別視しない。奇妙なことに、どこの一族だと聞かれたことまであった。私は平地の人間しか履かないジーパンを履いているというのに。
 夕暮れになり、畑仕事を終えたジルの夫が帰ってくると、私は彼ら三人と一緒にドアの外に座って湖と雪山を眺めた。彼らはほとんど話をせず、歌うこともない。湖は「ハワコチャ」、つまり心湖と呼ばれている。トウモロコシは収穫期が終わったところで、私の寝室の一角に積んであったが、その中には真っ黒な品種のトウモロコシがある。黒豚と同様に初めて見るものだった。黒トウモロコシは粉に挽かず、ジルがスープにした。スープは紫色になって、砂糖を少し加えるととてもおいしい。畑には玉葱、ジャガイモ、トウモロコシの苗が植えてある。湖の魚は誰も捕って食べようとしない。なぜ魚を食べないのかと尋ねると、ジルは理由は知らないが今まで捕まえたことがないとしか答えられなかった
 この湖が私の故郷だ。月明かりの下に広がる静かな水が銀色の光を放つこのなつかしい湖を、私は密かに銀湖と呼ぶことにした。村人たちは早々と眠りについたが、私はしばしば湖畔を一周してから帰った。夜の高原は凍り付くような寒さだ。私は心の中にある余計なものを全て捨て去って無になっていく。永遠に現世に戻らず、この旅を銀湖のほとりで終えて、三毛と呼ばれる人間も消えてしまえばいい!
 人に名を聞かれるたびに私は「哈娃(ハワ)」と答えた。村の老女はみなビーズが好きで、私が遊びに行くととっておきの宝物を出してきて、私の手に置いてゆっくり鑑賞させてくれた。私たちは余計な話はしない。こうして歳月は静かに淡々と過ぎ去り、太陽はずっと変わらずに昇る。ここでは小アジア遊牧民の女性が着けているような色模様の入った石とコンチョ*5のアクセサリーも見かけた。模様のある石は古代に人工的に合成された人造石だが、材料が何なのか今でも不明である。また、それらがどうやって南米インディアンに伝わったのかを推測するのも難しい。この石は北アフリカの市場では今では大変高価で滅多に手に入れることができないものだが、女性たちはこの石の価値を知らず、ジルにあげることを約束してしまった銀のメダルと交換してほしい、でなければ私のコートと交換してくれと頼んでくる。善良な人々を騙すのに忍びなくてどの宝石とも交換しなかったが、言葉の端々にこの宝石は大変高いものなのだ教えた。「グリンゴ」が村に入ってこの宝石をほしいといったら、少なくとも四〇万スクレ以上の値をつけるか四百頭の綿羊と交換しなければならない(「グリンゴ」というのは白人の総称である)。
 村人は貧しく無知で、インカ帝国の物語を聞いても無関心でぼんやりとしている。私のことをインカ人だと思い込んでいるようだ。彼らが認識できる最も遠い場所は三百キロ離れたサラサカ止まりである。私が、サラサカでは男も女も古めかしい黒服を着ている、なぜなら四百年前の戦争からこの方ずっと喪服のままだからだ、と話すと彼らは笑って少しも信じようとしなかった。
 ジルはジャガイモを豚の餌にしている。私はもったいないと思ってスパニッシュオムレツを作って食べさせてみた。ジルはおいしいことはおいしいが自分で作るのは面倒だと言って作り方を習おうとはしなかった。銀湖の日々は昔から全く変わらない。ジルはここで生まれ、ここで過ごし、過去の記憶は風と一緒に流してしまう。牛と綿羊が群れをなす草原と高い空を見ていると、自分がいったん命をなくし天に昇ってからまたこの地上に落ちてきたように思てくるのだった。
「おさげをほどきな、結い直してやろう」。
村には大きな鏡を持っている男がいて、私は彼に髪を結ってもらっている。赤い布の長いリボンでロバのしっぽのように後ろに垂らして結ぶ。私は長い髪をほどいてうつむき、穏やかで口数の少ない友人の手に髪を委ねた。この村に来てすでに七日だ。その時、カシャっという小さな音が静かな部屋に響き、私はすぐに顔をあげた。ミシャが長い脚で部屋の入口をまたぎながら、「やあ、インディアンの男に髪を結ってもらっているのか」と英語で言った。彼の手にはカメラがあり、断りもせずにまた写真を撮ろうとした。私の友人は何も言わずにじっと立ちつくし、ひどくきまり悪い様子だ。
「礼儀をわきまえて! ご主人の許可をもらって入ってきたの?」、私は大声で叫び、急いで友人に向かってスペイン語で非礼を詫びた。ミシャは出ていこうともせず、悠々と家の中を見回し、あげくのはてに機織り機に触ろうとした。
「行くわよ!」、と私は彼の背中を押した。
 私は村のひとりひとりを訪ねて別れの挨拶をした。突然の別れに誰もが驚いていた。ジルを探しに行くと彼女は両手いっぱいに薪を抱えて家の傍らに立っていた。
「メダルをあげる、それにお金も!」、私は手を回してチェーンを外した。
「いらない!ハワ、いらない!」、とジルが懸命に押し返した。彼女は薪を放り出して急いで家の中に走っていき、オートミール粥を持って出てきて、私にどうしても飲めと言った。
「あなた、グリンゴ、一緒、行く?」、彼女はそう言ってミシャを指した。
 ミシャは私とジルが並んだ写真を撮りたいと言い出し、ジルは私の言うとおりにカメラから逃げずに座った。私が村を去るという知らせは瞬く間にひろまり、ジルの夫と子どもたちも慌てて帰ってきた。私はコートを抱え、振り返って彼らを見た。ジルは銀のメダルを決して受け取ろうとせず、何も言わずにどこかに逃げて行ってしまった。私はジルの夫の手に無理やり紙幣を握らせ、遠くの湖の入り口に停まっているワゴン車に向かって走った。
 私の愛する一族の人々と銀湖、緑の草原が空の果てまで続く楽園、一生に一度しか来ることができない場所。これからずっと来世を待つことしかできない。現世で再び帰ってくることはないのだ。
 ここはエクアドル。一九八二年初頭に書き終えた二つの物語である。

訳注

*1 Echo:エチョ。三毛はスペイン語圏ではこの呼び名を使っていた。
*2ヒバロ族:ペルーとエクアドルにまたがって住んでいる先住民集団。自称はシュアラShuara。言語はヒバロ語族に属する。
*3平児:三毛の本名懋平の愛称。
*4クイの丸焼き:原文は「幾内亜烤乳猪」(ギニアロースト子豚)、「ギニア豚(guinea pig)」とは南米に分布するテンジクネズミ(モルモットの一種)を指す、「クイ(cuy)」は現地語。
*5コンチョ:金属の「飾りボタン」のこと。 ジュエリーの装飾ボタン。

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