« 三毛の中南米紀行 -6- | トップページ | 三毛の中南米紀行 -8- »

三毛の中南米紀行 -7-

村医者の孫娘――前世  エクアドル紀行一

http://www.kanunu8.com/book3/7180/158736.html

その頃には、アンデス山脈の高原では心湖の物語はあまり語られなくなっていた。
 朝が来ると、私は素足で霧を突っ切って水を汲みに行く。鏡のような大きな湖に着くたびに恐ろしい昔話を思い出す。ずっとずっと昔、ここがまだインカ帝国の領地ではなかった頃、古代からカニャーリ族と名乗っていた私たちはインカ政府に税金を納めるのを拒否したため、彼らの強大な軍隊の侵略に遭い、戦(いくさ)が始まった。その戦で私たち一族は万人の死者を出し、私の曾祖父も含めて全ての戦士が殺された。インカの祭司の指示によって遺体は心臓をえぐられ、三万の心臓が故郷の湖に捨てられた。もとは銀湖と呼ばれたその美しい湖はその時から名を変え、「ハワコチャ」*1―「心の湖」―と呼ばれるようになった。
 戦が終わり、カニャーリ族はインカ帝国に帰属した。私たちの住む山間部は都市のキト寄りであったためアタワルパ王の領地になった。そのころ、インカ帝国のサパ・インカ王*2はすでになく、二人の王子がこのとてつもなく広大な帝国の領土を分割していた。ペルーのクスコにはワスカルというもう一人の王がいた。
 時は何事もなかったように湖畔を流れ、戦で夫を失った女たちも一人二人と死んでいった。その子供たちの世代も収穫の三分の二を帝国軍人と祭司に差し出さねばならず、生活は日に日に苦しくなっていった。そして、私の両親の世代はインカ国王の道路を建設する工事に徴用され、クスコとキトを結ぶ石造りの長い道を築いている間にまた多くの死者が出た。私の両親もその時に消息を絶った。母が故郷を離れる時、私はすでに物わかりのいい利口な子どもだった。水汲みや羊の餌やりだけでなく、天日に干したビクーニャ*3の糞を保存して燃料にすることもできた。母は私を父方の祖父に託し、しっかりした女性になって祖父が年老いたらよく面倒を見なさい、と私に厳しく言い聞かせた。母は色とりどりのビーズでできた長い首飾りをはずして私の首にかけ、私に背を向けて父と一緒に行ってしまった。私は泣きながら数歩追いかけた。母の背中には大好きな弟がおぶわれていたからだ。その時、私は六歳。六歳のカニャーリの少女だった。
 大半の村人は去って行った。残された老人と子どもは人数こそ少なくはなかったが、もともと静かだった山間部の村はよりいっそう寂れていった。祖父は賢く愛情深い人で、あまり大柄ではなかった。祖父と私は大きな雪山と湖に面した山の斜面にある家に住み、村には住まなかった。たった二人の家族ではあったが、それでも毎日は忙しかった。私たちはトウモロコシや豆やジャガイモを植え、ビクーニャと綿羊を育てた。畑の収穫は三分の一しか自分たちの物にならず、それ以外は公共倉庫に納めなければならない。私たちの土地には野生のサイザル麻が繁茂していた。寒冷な高原では麻織物は寒さを凌ぐには不十分で、動物の毛で紡いだ布の方が暖かい。母が去ってから麻糸を紡いだり布を織ったりする仕事は私にまわってきた。私たちは懸命に働いたが日々の生活は依然として苦しかった。着る服は数枚しかなく、私は長すぎる上着を踝のあたりまで引きずっていた。自分はもう大人だと思っていた私は、村の他の少女たちとはちがい、ボサボサに伸ばしっぱなしの髪のままでいることはなかった。毎朝、水汲みを終え、大きな岩の上で洗濯をした後には必ず湖畔で長い髪を骨の櫛で梳り、おさげをきっちりと一本に結ってから家に戻る。洗った服はいつもきれいな草の上に広げて伸ばし、夕方には取り込む。太陽と青草の香りのする洗濯物に嬉しくなり、その中に顔を埋めずにはいられない。
 平穏な日々の中にも、時おり村人が慌てて祖父を呼びに来るときがあった。祖父は必ず大きい薬袋を背負って出かける。決まって病人が出たときだ。幼いころは祖父がどんな人間なのか分からなかったが、人から村医者の孫娘と何度も呼ばれてようやく病人を治療する人のことを医者というのだと知った。村医者はインカの大祭司とは違い、宗教的なやり方では治療しない。だが私たちも神は信じていた。祖父は寡黙な人で、私に薬草について教えることもなかった。遠くまで薬草を取りに行き、数日間帰ってこないこともあり、そんなときは私一人で家を守った。少し大人になってからは、一人で高原をぶらついて普通の香草を採ってくることができるようになった。祖父は一度もそれをやめさせようとはしなかった。子どもの頃、友達はいなくても祖父の側にいるだけで楽しかった。
 薬草は家の畑には植えられないものだと考えられていた。私はなぜ薬草は畑ではなく草原で育てないといけないのか祖父に尋ねたことがある。祖父は、薬草は天からの秘密の贈物だ、薬が手に入れば病人とその家族は幸運だが、もし見つからなければ天の定めに従うだけだ、と答えた。当時十二歳の私はすでにかなり有名になっていた。祖父が留守の時に村の羊がお腹を壊せば、私は薬草を抱えて与えに行く。病気になったのが人であれば祖父に行ってもらうしかない。
 たぶん私が幼い頃に母親と別れて育った少女だったからだろう、村の中年以上の女性からはとても可愛がられた。彼女たちはみな私を村医者の孫娘と呼び、しょっちゅう花の髪飾りやビーズをくれた。私は薬草を採って帰る道すがら、彼女たちに香り高いユーカリの葉と天然の蜂蜜を分けてあげた。私たち温厚で静かな民族は何代にもわたってこの湖の周りに住んでいる。ここには緑の草原が広がり、空は高く青い。空気はいつだって薄く冷たいが、平原の伝染病は高地までは登ってはこない。作物を育てるのは難しく収穫も乏しいが、ビクーニャとアルパカはここで楽しく暮らしている。
 納税と祭典の時期になると、インカ帝国の伝令が村にやってきた。いろいろな形の縄飾りをつけ様々な色をした杖を持って、次々に労役と納税を通達し、私たちは常にそれに従った。インカ人が来るたび、心湖の物語が年老いた世代によって繰り返し語られた。そんな時、村の少女たちはしばらくの間は湖に水汲みに行くのを怖がるのであった。
 祖父と私は夜も滅多に灯りを点けなかった。私たちは小屋の入口にある石段の上に座り、湖と雪山がひっそりとした穏やかな夕暮れに消えていくのを見るのが好きだった。私たちは余計なおしゃべりはしない。インカ帝国は太陽を信仰する。私たち一族もまた太陽を崇拝している。寒冷な高原では太陽はあらゆる大自然の象徴であり希望なのである。もちろん雨季も必要だ。一年のうち、雨季は羊の妊娠期間よりも長い。羊やビクーニャが出産の季節を迎えるころ、ちょうど草原は緑に覆われ、湖も満々と水を湛えて面積を増す。
 一日また一日と、私は成長した。村の娘と同じようにトウモロコシをすり潰し、甘い香りのするパンを焼いて祖父に食べさせる。自分の生まれた土地で、私はひっそりと穏やかに暮らし、薬草に触れることをさらに好むようになっていった。
 ある日、畑から戻ると祖父が小屋の中でコカの葉を噛んでいるのを見て私は驚いた。村の男女の中には、コカの葉っぱをいつも噛んでいる人がいた。中には一生ずっと噛み続ける人もいて、そういう人たちは口の中に大きなへこみができていた。この葉を食べると気分が明るくなり興奮する。これは良くない薬草だ。祖父は私を見ると悪びれる様子もなく淡々と言った。
「おじいちゃんは年をとったよ。この葉っぱは血のめぐりを良くしてくれるのさ」。
私は祖父が少しずつ弱ってきていることにようやく気づいた。次の雨季が来る前に、祖父は寝ているうちに静かに息を引き取った。亡くなる前には、遠くの小屋にしょっちゅう出かけて一族の若い猟師と話し込んでいた。その猟師の両親もインカの道路工事に駆り出されてから消息がない。帰って来たときには祖父はいつもとても疲れた様子だった。私のとなりに座って夕暮れと夜の訪れを眺めることもできなくなっていた。彼は私の髪を少し撫で、「ハワ!」と低く名を呼んで、すぐに眠りに落ちた。
 私の世代の人々は誰も私を名前で呼ばず、みな私を医者の孫娘と呼んでいる。祖父は死ぬ間際に小さい声で私の名を呼んだ。ハワという、まさに「心」という意味の私の名を。母も同じ名前だった。彼女は祖父のたった一人の娘だ。祖父は私の名を何度も呼んでから、私から手を放した。私は孤児になった。祖父を亡くし、私は一人で小屋に住んでいる。私たち一族は、命は永遠であり人は何度も生まれ変わると深く信じている。私たちは自然の死を静かに受け入れる。一人で見る夕暮れは以前よりずっと寒々しい。私は小屋の入り口で相変わらず生まれ育った土地を眺め、それを幸せだと思っていた。
 その年、ハワという少女は十五歳になっていた。祖父が亡くなってまもなく、あの猟師の青年が斜面の家まで登ってきて私に言った。
「ハワ、おじいさんが君をうちに住まわせるようにって」。
私はトウモロコシ畑に立ち、その凛々しい青年をまっすぐに見つめた。彼も祖父に似ている。彼は手を伸ばし私の髪をそっと撫でた。彼のまなざしが陽光に照らされた湖面のように温かくなった。私は何も言わず、小屋に入って洗い立ての清潔な服を一包みまとめ、祖父の薬袋を担ぎ、壁に掛けてあったローブの束をこの猟師に渡した。そして門を閉めて、二人でビクーニャとアルパカの群れと祖父の老犬を連れて彼の家へと向かった。実は、私は幼いころに夫と会ったことがある。数年前、私の犬と山で喧嘩をしたのだ。彼は狩りをしていて、私は一人で薬草を採っていた。家に帰ったとき、犬が噛まれて怪我したことを祖父に告げ口した。祖父はその若者の仕業だと聞き、愛情深くそして意味深げに私を見て微笑むだけで何も言わなかった。祖父は私に内緒で結婚の準備をしていたようだ。
 新しい家で、私は更によく働く女になった。夫が家に帰る頃には、よく焼けたトルティーヤと野生の獣肉を煮込んだ料理を用意して待った。質素な小屋はすっかりきれいに掃除され、ユーカリの葉を燻した清々しい香りが部屋中に漂っている。私たち一族は大体が寡黙で控えめだ。愛情を言葉に表すことはない。夕暮れ時、一緒に家の前に座って月が登るのを黙って眺める時、私は夫が自分を痛いほど愛していることを感じた。
 その頃、村医者は私に代替わりしていた。祖父のやりかたに習って、病人を治療するのにいかなる報酬も受け取らなかった。なぜならこの素質は天から与えられたものであり、私たちは神に代わって仕事をしているだけだからである。結婚後も、夫は私に昔と変わらぬ十分な自由を与えてくれていた。独りで犬を連れて山まで薬草を取りに行くこともできる。ときには家が気がかりで、薬草が十分に採れていなくても帰りたくなった。家に夫の姿が見えればすぐに彼の元へ飛んで帰らずにはいられなかった。
 その頃、インカ帝国はすでに終焉を迎えようとしていた。二人の王が内戦を起こし、村の人々は戦の火の粉がこの山間部に飛び火することをしきりに心配した。私たちはすでにインカ帝国に帰属してはいたが、彼らの司祭や軍人には畏怖以外の感情はなかったし、納税することで一族の男たちを再び失わないことだけを願っていた。戦は北部のサラサガで始まり、その地の人々の大半が戦死した。北部キトのアタワルパ王が勝利し、ワスカル王は処刑された。
 内戦が終わってまもなく、夫が不思議な動物を抱えて帰ってきた。平地に住む人が白人から買ったもので「豚」と呼ぶそうだ。私たちはジャガイモを豚に与えた。その時は豚にどのような使い道があるのかも知らなかった。三匹のビクーニャをこの動物と交換するなんてまったく割に合わない。時には見たことのない種も村に伝わった。私は苗が青々と育つことを切に願っていたが、どんな作物ができるのかは知らなかった。白人に関する噂は風のように流れてきたが、白人がやってくることはなかった。ただ動物と小麦だけが村にもたらされた。
 平穏な日々が過ぎていき、私は幼い少女から大人の女性に成長した。祖父も、父も、母も皆いなくなったが、私は今また新たな命が世に送り出されるのを待っていた。村医者の孫娘として、分娩の危険性はもちろん知っていた。村の多くの女性がそれによって命を落としている。夕暮れ時、夫はよく私の手を握ってこう言った。
「ハワ、怖がることはない。赤ん坊が産まれる時は僕が必ずそばにいる」
 私たちは熱心にアルパカの毛を集め、毎日新しい布を織った。産まれた赤ん坊をフワフワした暖かい布でたっぷりと包んでやりたかった。その頃、私は出産を控えて、夫は外出せず付きっきりで私を守っていてくれた。彼が猟に出ないと夕飯は毎日トルティーヤだけだったが、豚は高価な対価を払って交換したものだったので殺してしまうのが惜しく、それに私たちは豚に愛着がわいていた。ある朝、目を覚ますと入口の大鍋の中に新鮮な魚が数匹煮てあるのに気付き、私は驚いて大声で夫を呼んだ。心湖には沢山の銀色の魚が飛び跳ねているが、百年もの間ずっと誰も捕りに行こうとはしなかった。そこには私たち祖先の身体が沈んでいるのだから。夫は畑から慌てて走って帰ってきた。私は魚を捕ったことを咎めたが、彼はこう言った。
「ハワ、医者の孫娘ならわかるだろう、子どもが生まれるのにトルティーヤだけでは栄養が足りない。これからは魚を食べよう」。
夫が毎晩こっそり湖で魚を捕っていることは徐々に一族に知られはじめた。彼らは私たちがいつか報いを受けると言っていたが、私たちはそんな陰口は気にも留めなかった。夫と互いに支えあって生きていくだけだ。出産についても村の老女には助けを求めないと固く決心していた。彼女たちは大したことはできないし、万が一ここに来たら夫は間違いなく家から追い出されてしまう。夫が側についていなければ不安でしかたない。
 寒い夜、陣痛が始まった。声を立てずに起き上がり、薬草を煎じて、眠っている夫を起こした。初めは二人とも慌てたが、その後夫に寄りかかって毛布に包まれながら入口の階段に座っているうちに気分が落ちついてきた。それが、私が最後に見た月明かりの雪山と湖、果てしない草原だった。三つの日の出と日の入りを必死に耐え、ハワという女と産まれる前の赤子は一緒に死んだ。ランプの側には彼女を一途に愛した夫が跪いていた。彼はハワの身体を抱き、氷のように冷たくなっても放すことはなかった。
 後の世のカレンダーでは十六世紀初頭、現在では南米インディアンと総称される女の平凡な一生である。
 ハワは十九歳でこの世を去った。


訳注

*1 ハワコチャ:Yahuarcocha、エクアドルのイバラにある湖。インカ帝国時代、三万個の心臓が投げ入れられたとの伝説を持つ湖。
*2 サパ・インカ:皇帝。ケチュア語で「唯一の王」という意味。
*3 ビクーニャ:原文は「駱馬」、アルパカ・リャマ(ラマ)・グアナコと近縁の偶蹄目ラクダ科に分類される偶蹄類。

|

« 三毛の中南米紀行 -6- | トップページ | 三毛の中南米紀行 -8- »

翻訳」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 三毛の中南米紀行 -6- | トップページ | 三毛の中南米紀行 -8- »